1996年頃のことか?
福岡県嘉穂郡雄井町平山のアパートに住む61歳の男の妻が
糖尿病で死亡した
男には
親戚や近所との付き合いが少なく
妻が死んだことは
周囲に気づかれなかった
部屋に遺体を置いておくうちに
腐敗が始まった
そのままにしておくわけにもいかないので
男は
畳を上げて床下の地面を掘った
ひとりで大きな穴を掘り
そこへ妻の遺体を横たえて
土を埋め
戻した
「葬儀費用がなく床下に妻埋める」
十日午前七時二十分ごろ、福岡県嘉穂郡雄井町平山のアパートに住む無職男性(六十四)が「葬儀の金がなく、約三年前に糖尿病で死亡した妻の遺体を床下に埋めた」と上嘉穂署に届けた。同署員が、男性の部屋の床下の盛り土の中から白骨化した女性の遺体を発見。遺体を解剖して詳しい死因を調べるとともに、死体遺棄の疑いで男性に事情を聴いている。
調べでは、遺体に外傷はなく、普段着姿であおむけ状態。約四年前まで男性の妻が治療を受けたことを示す記録が、病院に残っていた。男性は親せきや近所との付き合いが少なく、妻が亡くなったことに周囲の人は気付かなかった。九日夜、男性の部屋を訪ねた親せきに妻を埋めたことを打ち明けたという。
(日刊スポーツ 1999年9月11日付記事)
この事件について
精神科医の春日武彦は
なんとも突飛な事件である。常識からすれば、金がなかったとしても役所の福祉課に相談をするとか、親戚や町内会長に泣きついてみるとか、いくらでも手はあった筈である。だいいち、死者が出たのだから察か病院に連絡するのが当たり前の話であろう。ところがこの男性は、そんなことを一切しなかった。結婚して世帯を構えていたくらいなのだから、決して「やりたくても出来なかった」というわけではあるまい。
と書いている*
ひとりで床下に大きな穴を掘り
妻の遺体を埋めるのは大変な作業だったはずだが
彼にとっては、他人に頼みごとをしたり頭を下げたり書類を記入したりする手間のほうが遥かに億劫なことだったのだろう。そんな気詰まりなことをするくらいなら、黙々と汗水を流したほうがどれだけ気が楽だったことか。自分の足元に妻の亡骸が埋もれていて、それが刻々と白骨化しつつあることを不気味に思うよりは、他人とのやりとりのほうが段違いに「うんざり」することだったに違いない。
と
さらに考察を進めている
そして
こう結論していく
彼にとって、葬儀費用がなかったことが妻を床下に埋めた本当の理由ではあるまい。
突き詰めれば、他人とのやりとりがひたすら面倒だったのである。そんなことよりは、世間から孤立した生活を持続させ、そのスタイルに則って妻の骸をひっそりと床下に埋葬することのほうが彼にはよほど自然であり精神的負担が少なかったのである。いくら他人が「理解し難い!」と口を揃えようと、孤独な彼にとって床下に妻を埋める行為は異様でも何でもなかったのである。
この男の
死体隠蔽行為と
死体遺棄行為の理由を
「他人に頼みごとをしたり頭を下げたり書類を記入したりする手間」
のほうが
「遥かに億劫なことだった」ため
と考え
「他人とのやりとりがひたすら面倒だった」ため
と推測する精神科医の考察は
なかなか面白い
存外
この人界の大事件や厄介事の数々は
面倒臭さや億劫さから
じつは
出来してきているものかもしれず
そう思い直して
人界を見直してみれば
なんとまあ
グウタラな生物の群れている汚海であることか!
と
あらためて
感じられてくる
とはいえ
ちょっと駆けまわったり
才覚を働かせれば
なんとか工面もできそうながら
事実として葬儀費用がなかったことも
じつは
けっこう大きな理由であり得たかもしれない
とも思う
少ない手持ちの金から
どうにかこうにかでも葬儀費用を出せる人と
葬儀費用など
本当に出しようもない人とでは
脳の中に焼きついている費用の観念やヴォリュームが
まるで違ってしまう
ちょっと金でも
本当に出しようもなくなる人にとっては
「役所の福祉課に相談をする」とか
「親戚や町内会長に泣きついてみる」とかいう案は
明日から会社を立ち上げるよりも高い壁と見えるだろう
それらの思いつきがすぐに浮かび
すぐに実行できる人なら
そもそも葬儀費用に困ったりする境遇には
陥っていないはずだ
やはり
こういう事件を前にする時は
さほど金に困るほどの境遇には陥らないはずの
精神科医の想像力では
おのずと
大きな限界に突き当たるといえよう
いちど食い詰めて
ホームレスぐらい経験して
さらには
ずっと看護してきた糖尿病の妻を亡くして
いっそ
家の下に埋めて隠してみようかと
真剣に考えたりしたことのある人が
精神科医であってほしいし
警察官や
検事や弁護士であってほしい
と思う
*春日武彦『不幸になりたがる人たち』(ちくま文庫、2026)
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