2010年12月17日金曜日

マリヤさまとお呼び

            「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ。気にしないで」
(村上春樹『ノルウェーの森』)
                




ひとがひとり死んだくらいでなにか大事なものが始まってたまるか
ぼくはスタバに緑のセックスをしにでかける
茹であがった蟹をむきながら
きょうはロシア娘
おしんこの匂いが充満する小部屋は
選ばずに
天皇陛下万歳
天皇陛下万歳
参照する三島由紀夫資料に参照し終えたらオリーブ油を垂らして
カリブ海だ、もう
さっきは三陸沖だと思ったのに速い速いファントム
おお戦争の香りがする軽井沢の冬、カフェ・ジムノペティから
もうクリスマスだよ
もうクリスマスだよ
アジアから仕入れた赤ん坊の生肉をひっそりと焼いて
賞味いたしましょうよと黒川晃さんが電話してくる
いかない
わるいことだと思うよ
赤ん坊の生肉だなんてウィキリークスしちゃうゾ、こら
食べずにひとり暖炉の前で自戒する今夜です
思い出は走馬灯のようだと通俗表現者は書いて字数を稼ぐところだが
ぼくがメモっときたいのは
思い出が主語
思い出が人を現実化している意識の仕組みについて
どちらが主体かが問題なのだ
いや、あっちが主体だ
ぼくらは影絵にすぎない

深夜の冬の高原の枯れ木立のはずれ
もの皆暗く黒く立ち尽くすあたり、そう、『ファウスト』に出てきた
ロマン主義びいきの舞台背景に打ってつけのようなさみしいところに来て
ぼくは誰だったのか結局
誰がぼくだったのか薬局
A=Bごっこは疾うにやめたはずだったのに
弱まっているのね私というあなたというぼく
また古いお遊びはじめちゃって
またそんなとこ
くちゅくちゅ
いやン

御線香のいい香りが漂ってきます
スタバからカスバへ
ことばことばことばことばことばことば
の外へ出るための時空経験だったじゃないのさ
首が飛んでも意味には陥らぬぞ
鶴屋南北の精神がさらに必要な時代の日本語族のぼくは
ロシア娘の男根をぼくの男膣から引き抜いてたっぷりと卵子いっぱいの
射卵を顔に口に受けて性母にこんどこそ本当になるぞ
ぼくが性母なの
マリヤさまとお呼び、あたいを
ぼくが性母マリヤさま
わたしに繋がっていなさい
わたしもあなたに繋がっている

2010年12月14日火曜日

ゼリーの御夕食

  冬もこほらぬみなわなりけり
(紀貫之・古今集五七三)


夢よりも細い小道
つばき湯搔いて
サイネリア園の寄り道
紫檀の箸ポケットに
今年最初のメール
赤々と暮れゆく母よ
ちりちり剥けて酒
鶯の椅子の下の渓谷
倫子さんの臍しらじら
干し薔薇苦悶慟哭
Oh、河下りより乙女
腿、桃、漂白剤、膠
とうに銀河の蛇口
見える山を見る警部
眠い三四二六頁
逝くというから莢
湘南湘北帆の浮き名
夢からも細い小道
ミソサザエ追って
銀座から仙石原
ああ愛欲も澄んで
今日もゼリーの御夕食




ここからは思念も花

妙とはたへなりとなり。たへなると云ぱ、形なき姿なり。
形なきところ、妙体となり。
(世阿弥『花伝書』)



友はみな一場の友
friendならもっと続くのか
amiなら
amigoなら
Freundなら
いずれは枯れる雑草
緑濃き
瞬時は記憶されよ

あらたに出会う娼婦たち
あらゆる娼婦的なものだけが
よき気晴らし、慰め
風吹いて
雨降って
ミルクチョコレート
くわえる唇
重ねるあれほどの愉しさも
古い恋文の封筒の黄ばみ
受けては返し
消え去るままにしてゆく
電子メールほど
さっぱりとあるべきか
すべて

紺碧の空は宵化粧し
レストランの華やぎが
永遠にわれらを待つ
しかし永遠にわれらは赴かず
永遠にわれらを構成せず
使用頻度少ない人称よ
廃兵院
文法書の丸屋根を
星々の明りは
薄い蜜のように滑る

華やぐ場所に
それでもひとりを着ていく
遠いわれらの
やわらかな斥候のように
輝くグラスをつまみ
冷たく震える銀のフォークを操るため
遺伝子は旅する
人生を構成する普通名詞は
もうすべて使い終え
固有名詞の代入練習も終えた
動詞活用も諳んじ尽くし
裸足で踏み入ったことのない汀が
ああ
もうどこにもない。
人生の外へ
人生の外へ

なおも
どこかで鳴る踏切の警報機
私もカモメ
花園にある時は
他の花園から隔絶されねばならぬ
宇宙のさだめ
ああ陶酔の時よ来い、か
陶酔の後を
覚醒という酔いもなく下降しゆく遊び
閑吟集を
秋冬に繙く通俗は避けよ
夏!
夏!
水遊びする子を
跳ねる鯉を
永久機関になおも
われら
組み込まねばならぬ

友なき里の蝙蝠
まだ蚊がいる
キンカンとムヒのにっぽん
鉛筆はもう
ミツビシとは限らない
指先に嵐
心は自尊せよ
あかるい空虚を維持するために
ドウシテアナタハ
ろめおナノ
くり返される問い
嘆き
つかのまの喜び
されど

勝算
なきにしもあらず
なきにしもあらず
我アルユエニ我アリ
我ナキユエニ我ナシ
あほらし
ある/なし
現象の継起に
暫定的乾杯
賑やかなレストランに
暫定的着席
ここからは思念も





エルメスのスカーフ

            わたしの未来がしずかに階段をのぼる
(エミリー・ディッキンスン)



ロンドンで書いた冒頭を抹消
書き急ぐ
希薄な淫らさ
ロシアンミルクティーを
もっと濃厚にしようと
Mackays
ウィスキーマーマレードを入れる
ああスコットランド
少女に犯されたことがある
アリスという娘
なんと凡庸な
刺草でも摘んでこい
ウェールズ人だった頃の
お話さ

モロッコにまた行く
黒い腿のレイラの立つ路地
学問なんて
忘れてしまったからね
紙も使わずに
射精の後を拭う手のひら
車がはやく行く
あたらしい映画を見る直前の
軽い心の愛
いいね

アリスが最初の妻
日曜の午後ともなれば
たっぷりと時間をかけた猥褻
緑したたる草原
馬小屋の性欲
まだ仏陀になるには間があったから
偽の蛇のように
偽の虎のように
ワトソンとクルックの思念の
階段のうねりを辿った

見たまえ
ここからはエメラルドの海
堅牢なホテルに居られるよろこび
ついに
独り立ちするのだよ
墓で出会った愛人は去っていくから
2時だが8時だ
いや710分か
数字たちが立つ遺跡
ペンはドイツかニッポン
紙はアメリカ
宴をともにするなら中国娘

貧相な詩を集めた雑誌
バタークッキーを
食べながら
何杯もアッサムを飲む
行くところがない
よろこび
文字盤は類まれなる表象である
時計だけあればいい
惑星とは
そんなもの

エルメスのスカーフ
欲しいかい
選んでおいてよ、柄
淡雪に
ティッシュペーパーを開く
かわいい心
からすうりの花のような
やさしい女よ

もう
飛行機が来る
乗るのではない短い心の旅
バナナが
あざやかなイエロー
さざ波も夢を見る
独り立ちとはこういうこと
ふいに甦る
十代の終わり
どうやって生きていけばいいかな、内面を
まだ何もはじまっていない
人生がはじまるのだ
これから
いつも
何度も

古い木戸のある
清潔な便所の小窓から
だれもいない
境内の白砂が見える
姿もないのに
足跡だけ
ぽつ
ぽつ
まあたらしく
付いていく
だあれ
だあれ
導いていくのは
響きもなく
来ている
アリス
紺碧の猥褻
海を啜る
熱いティータイムの
はじまり

(刺草でも摘んでこい…

(刺草でも摘んでこい…




水野霞のために

われらの願いを妨げるロンギヌスの槍はすでにない
(『新世紀エヴァンゲリオン』第弐拾四話)



献身のあかしの薔薇を遥子に
理紗には
ヴェネシヤングラス少量の
わが三十路の精液

なべて愛し
みずみずしき退廃の舟
けっきょく誰が真の旅に発ったか
至上の煙草をもとめ
われわれは処女のまま
唇を保って

109で久しぶりに待ちあわせ
女を捨てておいでよ
心は臭うから
躰は無臭、かたい桃の
シェーキをニシムラで頼み
たゞたゞ見知らぬ肉体をもとめて
もうまなざしは離れる
きみからも
あらゆる帝国たちからも

死はない
冷たいペンであるべきである
愚問を
ルッコラのトスカナ風サラダに紛らし
吹キスサブ
60年代外哲学のページ
アーレントああ
マンハイムああ
嵐山で今年×月×日ふたたび
水野霞と密会予定
紅葉きれいだといいね、霞
ワタクシ通俗ス
霞ちゃん…
霞ちゃん…

二尊院の墓地で
ひとり淡雪のなかに立つ
恒例行事
ワタクシ寂寞ス
べつの女体を前後に抱いて
雪墓地にひとり
祇王寺も寄るかもね
野宮神社も寄るかもね
天龍寺にも
湯どうふ
愛人よ
一瞬だけ顕われよ
清潔なバスに身を浸す時の
まどろみの
夢を彩るためにだけ

先週のニューヨークの雨
デルタ機の席に沁ませ
コロンビアの娘と
再来月の約束
上海まで行く気がなくて
セブには行く気があって

終わりはいつも必要悪
性でも
生でも
精でも
正でも
だから芍薬が好きなんよ
百合はやだね*
愛液が
うつくしくこびり付かないから

だから遥子とも
理紗とも
切れたっていってるじゃないか
霞よ
きみだけがすべて
たとえ会えないとしても
たとえ会ったことが
まだ
ないとしても


*「フランスの王たちは百合を好む。それが勾配にはりつく深い根をもつ植物だからだ」(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー』、序「リゾーム」 豊崎光一訳)




2010年10月27日水曜日

遊んじゃってみる?


Mon plan de bataille était exact....
(Huysmans : A rebours)



万華鏡を実につける草を、やはり、毟らないで
来てしまった大きな河口の傍
風もないのに
足のなかに入り込んで唸る風(のようなもの)の蠢きがしきりで
わ、た、し、って
言ってみちゃった(イッテミチャッタ、イッテミチャッタ、…)

ねえ、映画に、いこ
ねえ、映画に、いこ

真っ赤なうつくしい車を背景のどこかに
そう、どこかに
発見するためだけに、いこ
  、いこ

キューピーさんがお供
クマちゃんがお供
だったこともあったなぁ、人生くん

(回顧、しない
(しない

ながぁい手紙をひさしぶりに書いたところでしてネ
心の奥の森のほとりで
ホオッと
ココアなんか飲んでおりました(、、、、美味しかった、けっこう、)

飲んだ後どのくらいの時間
経ったのかしら
休んでいるあいだに
転生はかってにひとり
くるくる
くるくる

駆けっこが駆けっこしてくる越してくる
錚々と
時間は吹き抜け
行ってない
原石をしまったままの納屋
読めない文字の書庫

…ああ、キキョウともリンドウともつかぬ
青むらさきの花

ここではすっかりひとり

また
遊んでみる?
何千年も
遊んじゃってみる?

巨大な鏡が
立ちあがってくる予感
鳴る
万華鏡の実
戻りの道
戻らない道
行ク
道、モウ、ナシ
前方のない
特異点

遊んじゃってみる?

2010年9月30日木曜日

浜のほうへと ぼくらも

浜辺には
もう
なにも寄せてこなくなった
くりかえし
波ばかりは寄せるが
宝とは
感じられない

遠くに
船も見えない日
それでも
水平線に目をこらし
ぼくらはなにを待ったのだろう
うつくしい貝がらの
ひとつ
ふたつ
握りしめて
砂だけはしっかり
足あとをとどめてくれるかと
あさく信じて

風はかわりつづけ
ときには止み
日はめぐる
らせんのかたちの
大きな装置のように
わずかな違いを
ひそやかに
あからさまに
刻みながら
そうして
捨てられていく
ぼくら
なによりも
ぼくら自身の舟
とりかえしのつかぬ
この肉体によって
ここに湧く
こころの霧の
うつろいによっても

ひとつの波の
ようでもあったぼくらか
平らだった水面が
もりあがり
さらにもりあがり
極まったと見るまに
くずれ出して
ふたたび平らになっていく
天のみえない爪に
抉りとられるように
ふかくおそろしい底が
口をあけさえする

どうして波に生まれ
どうして消えていくのか
寄せつづけるこれら
ひとつひとつの波は知らず
ぼくらも知らない
くずれて
くずれきって
レース織りのように浜に寄せ
ぷつぷつと泡だって
失せる
くりかえし寄せる
繊細なこれら
やさしい
やわらかな死を
数かぎりなく迎えながら
うつくしい貝がらの
ひとつ
ふたつ
握りしめて
砂だけはしっかり
足あとをとどめてくれるかと
あさく信じて

ひとり
ひとり
くずれのほうへ
繊細な
やさしい
やわらかな
レース織りのように
寄せていく
ぼくら
浜のほうへと
ぼくらも
  
(『ぽ』305号・2008年8月)

東からの風

東からの風がつよいね
寝室の
南の窓を開けはなったら
そこからも風
暑かったきのうまでが
うそみたいな日
ひどく蒸していたのに
昨晩の激しい夕立が
ぜんぶ拭きさらっていったみたいだ

こんなすてきな日には
なにも考えないのがいい
あれこれ迷うのも
仔細に検討するのも
たいして意味はないものだと
もうわかっているのだし

冷やしておいた水を
そのまま飲むのが
こういう日にはうれしい
コップを持ちながら
人間っていうのは
どこかの方角を
向かなければいけない
どちらを向いても
きょうはすてきな空がある
うすくむらさきがかった
あこがれのような雲
ほら
あそこにも
そこにも

こんな空の日
人間であるのは
そうわるくない
東からの風が
やっぱりつよいね
そろそろ暮れ方
あこがれのような雲は
どんどん色を増し
大空全体に
あこがれが広がる
水の入ったコップも
ぼくらのこころも
それを逐一写しとるだろう
そうして
いつものように
忘れていく
なにも保たない
コップは空になり
こころもからっぽになり
あしたには
またあしたの
あこがれを
受けとめるだろう

(『ぽ』304号・2008年7月)

2010年9月19日日曜日

雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる

雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
汗ばんでいる、すこし

必要もないのに歩きに出る
なんという草だろう、みどり鮮やかな美しい雑草の群れを見上げる
エノコログサもまだ若々しいみどり
風が吹くと揺れる
若々しい雑草はうつくしく揺れる
この草たちの明るいみどり
これが希望
これを超える希望はない 
希望
みどり

ああ若い女の子が腿を桃のように晒してぴちぴち行く
腿の肌も顔の肌も腕の肌もすべらり
若い希望のひかり
みどり

わたしはもっと老いてアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルト
うつくしい
不思議な地球の岩石の一種に出会うようだ、よくよく見つめる
女の子はもっとわかくアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルト
うつくしい
女の子
うつくしい

みどり鮮やかなうつくしい雑草の群れが陽に透ける
女の子も陽に透けて女の子になっているのだろう
わたしも陽に透けてわたしになっているのだろう
アスファルトも陽に透けてアスファルト
雨の後も陽に透けて雨の後

汗ばんでいる、すこし
雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
時間とともに
雨がすこし降った後のなかにいる

ああ若い女の子
行く
腿を桃のように晒して
ぴちぴち
腿の肌も顔の肌も腕の肌も
すべらり
若い希望のひかり
みどり

行く
時間とともに
雨の後とともに
時間のなか
雨がすこし降ったので
行く

雨がすこし降った

雨の後とともに時間のなかにいる

2010年9月10日金曜日

なんだ猫だったのか

ずっと見ていると
その猫は塀の上で犬になったんです
それが三メートル以上もある塀だったので
くぅん
くぅん
ぐずりました
飛び降りるのなんて
猫にとってはなんでもないけど
犬はびびっちゃいます
ばかだね、おまえ
高い塀の上で
犬になっちゃうなんて
得策じゃないというものだよ

見続けていると
その犬は塀の上で猫になったんです

ひょいと飛び降りて






犬を見ると
猫だった犬じゃないか、こいつ?
思うようになったのは
それ以来

でも
猫を見ると
もともと
なんだった猫なのか
わかんなくなっちゃいますね
やっぱり

2010年9月5日日曜日

ほつほつ

猛々しかった夏
なのに
いつか大人になっていたね
照りつけようも
すっかり
やさしくなって
万物のよわさ
こわれやすさを知る
おおらかな
暑さ

みどり

水のひろがり
花から花へ
つらなっていく
のこりの夏の
さまよ

目を持ち
耳をひらき
肌のすべてで受ける
色あざやかな
この世

挨拶ばかりを
送る
ほかはない
充溢

わたくしは
また
ことばを
思いを
ほつほつ
ほつほつ
散らしながら
いくよ

もう少し
すこしだけ
あのほう
むこうのほう
まで


(ぽ392号・2010年8月)

2010年9月2日木曜日

若い水のように

見た夢には音がなかった
噴水の先
水玉はたえず入れかわり
並木の葉々は揺れ
ときおり鳥たちの影が
青空をよこぎる
雲は大きく動き続け
若い水のように
ふるえる大気

人かげはなく
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
くったくなく光は躍る
影はくつろぐ
なにか起こる気配もなく
重大なことの後の
くつろぎでもなかった

どこにいたのだろう
夢のなかで
揺れる木々の下か
陽のあたるベンチか
噴水の水玉の
なかから外を見てもいた
鳥たちの軌跡を
上から追ってもいた
そこかしこ
どこにもいた

過去ということ
いまということ
見た夢には
音がなかった
いますか、私を知っているひと
来るだろうか
声なら
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
夢からの声
若い水のように


◆「ぽ」296号(2008年7月)

2010年8月25日水曜日

しずかに身を崩さないすがた

桜の咲きそろう前の時期は
だれのだったか
つましい人生のひとに似ている
暖かかったと思えば
すぐに冷え込んで
伸びてきた
あれもこれも
ひととき
また縮こまってしまう
そうしながらも
ぱあっと咲くのだ
ぱあっと
思いながら
咲かないでいるひと

つぼみは
たいそう正確にふくらんで
つぼみであることをこそ
いま咲いている
うつくしく
つつましく
希望のかたちしながら

これが失われるのを
開花と呼ぶのか
手ばなしに
よろこんでみたりする
こころばえの
さびしさ

時間よとまれ
うつくしい
おまえ
とどろきながら
滝にすべてをひきこんで
飲み込んでいく景の
豪勢な混濁

さなか
記憶たちはかならず
灯しなおす
つぼみの
ひとつひとつ
あのかたくなな留まりのさま
時の滝にむかって
しずかに身を
崩さないすがた

 
(ぽ385号・2010年3月)

2010年8月22日日曜日

あかるい広場で待ちます

滅びていくもの
逝くまま
手をのべたまま
数学さえ捨てましたので
軽いです
からだ
今をしか生きず
あかるい広場で待ちますね
塔の影の移りゆきにも
こころ沿わせて

来ないもの
そのために生き
いつも新しい歳月
たった一度なら
老いも若さの比喩
来いとはもう言わないのです
たっぷり時を陶酔し
Ah,
肉体は愉し

居続ければ葉のそよぎ
見尽くしたとは言わせませんわよ
類型でしか
ものを見なかった罪
どこまで行っても
罰らしい罰のないくすぐったさ
虹の色して
ひかりのやわらかな子たちが
たくさん
飛ぶ
飛ぶ
飛ぶ

どこにでも
溢れているもの

急ぐな
sunawachi
結論を出すな
desune…

 
 
 
(ぽ391号・2010年6月)

2010年8月20日金曜日

ヴィーナス再誕

若草の茎の肌のように、
もし
眠かったら
おいで、この泉へ

淵に石たちが
ぷちぷち
粘膜のおしゃべりを続け
青や黄色の花々が
澄ました顔を陽に向けている
幻だったよね、きみ
求めてきた空箱や
欠けた陶器
抱いて!
若い日の肌さえ
思い出そうとしないから

濡れた肌の上
水の切れていく速さを
きらきら
楽しく追い直しているの
読みつくさないまま
瞬間の連鎖は放り出し
深海にくらぐら
沈んだり
浮いたり
思いちがいの
かわいい花籠たちよ
すっかり心やすく
解く
幾重もの衣
彩の
数かず


(ぽ387号・2010年3月)

夏の水原優希

足であり同時に踏みしめられる岩
見つめられる草の芽
喉にも上らなくなった言葉
言葉たち
スクランブル交差点でまだ迷っている亡心
地面にまだ着かないのですよ
まだ宙に浮いたままなのですよ
でも寒くもなくてね
もうすっかり荒地の風のようで
風の顔を持って
うなじにはまだ成り切れなさを残して
行かない
行かない
どの方向へも
流れてきて流れていくだけの歌のような無数の思い
思いはあなたですか
感じたこと感じなかったこと
忘れたこと
…うそ
あれは波の音
壊れそうにこんなに敏感になって
落ち切らず上り切らずどこまでも漂う
見えない蜘蛛の糸のひと切れ
ながいこと真実には発しないできた「私」という扉
森、遠くに、ああ、森…
過去なんてもうこだわってないから
血と息のなかに
今を拾い上げて未来を縫い進めていく生き物の健気な癖
動かされて動けるところまで
かなしく行くかなしく
見続けてたでしょ
対象はなんでもよかったのでしょ
まるで大事なものでもあるかのように
見るそぶり
聞くそぶり
死んでいるのは知っている
崩れるまで
まだ間のある珊瑚
美しければいいってものじゃない
時間つぶし
詩人なら詩人屋さんに買いにおいき
筋肉もちょっとは脂肪も
いずれ切り取られるためにつけて
いずれ燃やされるために蓄えて
動き出す森
動き出すはずの
不思議だ新聞が来る来るまだ来る旧聞の
人間劇だけが続いているというのに
新しいものはこの半世紀ビニールの肌触りぐらい
浸透していけないので水は驚いた
なんて粗いまま
宇宙に顔をむけてきたのか
たちまち時は過ぎ
時さえも時でなかったはずのものに過ぎ抜かれ
しかし空間に阻まれて
いつも色たちは色に幽閉されたまま
ここにいればいいなどと
居直ったのは誰
だあれ
流砂をここだなんて
呼んで冬の浜茄子
夏の水原優希
生きてる子
まだ生きてる子
きっと死ぬ
きっと死ぬ
んじゃないといいね水原優希
早朝の朝顔の開花
ひとりで見ていた子たちは
どこへいった
煙の遠い小焼け空
わかってるじゃない
ふりしているのさみんなしてわからないふり
あそこもここも
暗い
ほんとうは暗いところなのですよ
炎天の白い広場にすっかり日焼けして
涼しい飲み物を啜っている
白い夏服の女よ
いまこれからわたしたちの邂逅が起こる
からだとからだが近寄っていく厳しい約束の成就
消えたものが
永遠に戻ってこないなどというのか
真昼
真昼
真昼
わたしたちはやすやすと自我を換えて
目配せしたりしゃべるのに足りる程度の
簡素な「私」を取り戻していく
複雑さはヒイラギにでも引っかけ
出帆していく
深い青の浸透した
澄んだ繊細な水様のものの
湧出の
一瞬



(ぽ381号・2010年3月)

いつか時は伝える

まぢかにも
遠くにも
満開になった桜
デッキチェアなんか持ち出し
ひさしぶりの陽射しのなか
桜に包まれながら
きみは本を読んでいる

花に釣られ
春に釣られ
ぼくたちのように
暖かさへとさまよい出た
花見のひとたち
ちょっとふらふらしながら
あの枝へ
この枝へ
回遊をやめない

こんな明るいひかりのなかでは
去っていったものごとも
すべて
あざやかに見える
思い出すまでもない
ひとつひとつ
どれも位置を得て
あり続けている
ふしぎよ

なんと明るい桜日…

すっかりくつろいで
そよ風も
陽も
花びらも
肌にうけとめて
本など
こんなふうに
開いていたこともあったと
いつかきみは思う

時はきっと伝えていく
おなじ心ばえの
未来の
あたらしい人たちへ
きみの
こんなすがたを
この一瞬のことを
陽も
花びらも
肌も
みずみずしく輝いていたと



(ぽ389号・2010年4月)

天使たちにも呆れられるほどに

たとえば
言葉など書きつけながら
拵えようとしていなかったか
塀や支えや足跡や
墓標などさえも

もっともっと
失われるべきわたくしなのに
守ろうとしてなど
いなかったか

そとにあるものを
さびしくは拒まない
色もない
厚ささえない
うつわ

あんな
むぼうびに
ひらき切ってしまって、と
天使たちにも
呆れられるほどに




(ぽ373号・2010年2月)

ぷうっとふくれて

ぷうっとふくれて 男の子がバスに乗ってきた
つぶやいている

ムカツクンダカラ、マッタク
アイツラ
アシタ、ガッコデ
ブットバシテ
ヤルカラ

バス停には
何人かの男の子たち
友だちだろう
バスにむかって
やんや
やんや
はやし立てている

そっちを見ながら
つぶやき続ける
男の子

マッタク
ムカツクンダカラ
ホントニ
ムカツクンダカラ

ぷうっとふくれて
頬いっぱい
りんごみたいな
つやつやの
怒り




(ぽ369号・2009年12月)