2026年1月8日木曜日

もう紅梅が咲いているのを見つけた

 

 

 

いつも

いつも

反省しきりなのは

書きつける言葉がすべて

なにかへの反応でしか

ないこと

 

「今朝は〇〇時に起きて

すぐに身仕舞いを整え

〇〇へ向かうために家を出た」

という簡潔な記録さえ

反応でしかない

 

ましてや

春夏秋冬を歌う言葉ならべなど

えんえんとくり返される

地球のしくみへの

反応でしかない

 

こころという水面に

現われ続ける

喜怒哀楽を描くのも

それらを述べようとするのも

(そんな時でさえ

すこしでも簡潔に

すこしでも読み手に気に入るように

などと

ケチで俗な表現上の注意を

抱きながら……)

こころの仕組みを埋め込まれた

人間機械への

反応でしかない

 

そういえば

おととい

神楽坂へ向かう途中に

飯田橋の

プラウドタワー千代田富士見のわきで

もう

紅梅が咲いているのを

見つけた

 

春です

もう

 

芸もなく春に反応し

春に反応するこころに

言葉たちを

また

反応させている

今年の

はじまりです

 






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