2020年4月2日木曜日

この第4四半期は


交通事故による死者数は
全世界で年間135万人ほどだという(2016年統計)
新型コロナウイルスによる死者数は
目下のところ4万人超え
死因はだいぶごまかされているらしいから
この疫病が殺した人数はもっと多いかもしれないが
それでもまだ10万人ぐらいだろうか

世界中で外出自粛だの外出禁止措置だのが採られ
どこもかしこもガラガラなうえ
警察や憲兵が出て取り締まっているから
交通事故だけはかなり減っているだろうと思う
いま3ヶ月過ぎたから12分の4で考えれば
例年なら34万人近くが交通事故死しているはずだが
今年はだいぶ救われたんじゃないのか
交通事故死担当の死神たちとしてはこの第4四半期は
コロナにだいぶお株を奪われたかたちだろう

インフルエンザによる死者数も国内で3325人(2018年統計)
29万人から65万人ほどは毎年世界中で死んでいる
ウイルス界の新人COVID-19はこの先輩に追いつこうと
昨年末からずいぶん頑張っているようだが
さて どこまで延びていけるかまだわからない




2020年3月31日火曜日

この人のお笑い芸をほとんど見たことがなくて


コメディアンというのか
お笑い芸人というのか
ドタバタ芸人というのか
テレビの常連さんのあの人とでもいうのか
なんと呼べばいいのかわからない人がはやりの病気で亡くなって
それはそれでご愁傷様とは思うのだが

じつはこの人のお笑い芸をほとんど見たことがなくて
そればかりかこの人がザ・ドリフターズの一員として出てきた時には
雑でガサツで品のないうるさい芸風に嫌気がさして
お風呂上がりのちょっとの居間での休息のあいだだけでさえ
もうザ・ドリフターズを見るのはやめてしまおうと決めたものだった
いかりや長介がよくこれを許すなぁと思ったものだったが
こちらもテレビなどは漫然とは見なくなるようになった歳でもあったし
見なくなってしまえばどうでもよい世界でもあるので
バカ殿だの♪東村山~だの♪へんなおじさん~だの
有名な持ちネタを職場の誰それから聞かされたりして知りはしたし
子どもたちがマネをして困っちゃうわという話につき合ったりはしたが
こちらとしてはそこですべて済んでしまう話で

ところがツイッターをはじめとするネット上の書き込み欄を見ると
ずいぶんとたくさんの人がつぎつぎと哀悼の気持ちを表明しているし
日本の宝を失った!とか叫んでいる人たちもいて
むしろこちらのことのほうにとんでもなく驚かされてしまう
日本を代表するエンターティナーだったと東京都知事さえ言うくらいで
そうか、宝だったのか!そんな大人物の芸をまったく面白いと思えずに
このせせこましい列島で生きてきてしまった何十年だったか…と
どこまでこの列島村でじぶんの感性も趣味も異端でしかあり得ないのかと
ニホンブンカとやらにまつろわぬ者としてのわがサガを思い知らされ直す

とはいえ会ったこともないご本人をどうこう思ういわれもなく
仕事の外で出会ったりしたらまったく別のつきあいもあり得たのかも
菅野完のこんなツイートを読んでみると
今さらというか今ごろになってというか
ちょっと違う視点ではじめて見つめ直してみようかと思ったりもする
《麻布十番でさぁ、いつも若いおねーちゃん引き連れてさ、
《いつもジャージとウインドブレーカーなのに、
《飲んでる姿が超かっこいいのよ。
《めちゃくちゃかっこいい。
《渋いジジイだった。
《全然えらぶらないし、媚を売ることもない。
《飲み屋で姿を見かけて「ああかっこいいな」と思ったのは、
《志村けんぐらいだった




もっと大事なエーテルを呼吸するための肺



森や林のある夜の公園でも
大きな河沿いを長く続く真っ暗な道でも
まわりにほんとうにだれもいない時もずいぶんあって
物理的な空気とは違うもっと大事なエーテルを呼吸するための肺が
いつものじぶんのからだのまわりに大きく張り出すのを感じる
その気持ちよさといったら!
なんて長いことするべき本当の呼吸をしてこれなかったか
そう気づかされる

けれども
半径数十メートルのところに誰か現われたら
大きな大きな自然な深いこの呼吸はストップしてしまう
数メートルほどの間隔ですれ違ったりすれば
外に張り出した肺はもうすっかり失せてしまう

いまはちゃんと認識しているのだ
少なくても半径50メートルほどはまわりに誰もいないところでないと
じぶんはたちまち擬態して防衛をはじめてしまうと
相手にわかりやすい仮面や振舞いをしはじめてじぶんを深く隠すのだと
つまり生きるということも息をするということもすっかり放棄して
人間という規格品の偽装の中に引き籠もってしまうのだと




インコグニト


  
自粛要請が出ていても
禁止命令ではないからどこへでも出歩く
といっても
もともと人の群れるところや行列が嫌いなうえ
日中というものも好きではないので
夜陰にまぎれて
人のほとんどいないところを出歩く
大きな墓地や廃墟となった大聖堂などがあれば望むところだが
近頃それらは払底しているので
灯りのついていない千鳥が淵の桜並木や
北の丸公園の森林の中を亡霊のようにさまよう

ウィルス禍がない時でも
桜の春はこのように歩きまわってきて
今年になってたいした変化があったというわけでもない
日中から醜いシートで場所取りをして宴をしているところは避け
薄ら寒いのに耐えながら小卓を囲んで飲み食いしている人群れも避けると
誰にでも開かれているのに誰もあまり辿っていかないような
通りの縁や小闇の奥などを辿っていくことになり
秘密の通路でもないのにすっかりインコグニトになって
亡霊にも妖精にも時には精霊にも身は近づいて
まわりに漂う静けさをあらためて特製の衣服として感じ直し
翻してみたりする
数十メートルほど先にポツンと街灯が灯っているだけの
漆黒の小径に踏み入れていく時など




2020年3月30日月曜日

ふざけすぎた季節のあとで


  
疫病流行のさなか
季節はずれの雪が降り出して
午後まではまるで冬のように大きな雪片が舞い
気温も下がって
あたかもこれからクリスマスでも迎えるかのようだった

戸外に出たのは夜も遅くなってからで
その頃にはもう雪も止んでいたが
政府や行政機関からのおりからの自粛要請もあってか
まさか生真面目に要請を受け止めたわけでもあるまいとは思うものの
街にはほとんど人影はなく
正月の深夜のような街路が四方に延びているばかりで
宴のあとのようでもあれば
これから始まる大きな催しの前の静けさのようでもあった

日中に降っていた季節はずれの雪を思い出しながら
ふと口をついて
♪季節はずれの雪が降ってる……
と古いフォークソング*の一節が洩れ
そうか、あの唄もこんな季節の唄だったかな
と他の部分も思い出していくうち
♪ふざけすぎた季節のあとで……
というサビのちょっと前の歌詞が浮かんでくると
あゝ なんだかこのとおりではないか
と腑に落ちるものがあった

ずいぶんと調子に乗って
人類もふざけすぎた季節を過ごしてきたわけだ
♪ふざけすぎた季節のあとで……
とこれからなっていくのだ
 ♪いま春が来て きみはきれいになった
 ♪去年よりずっと きれいになった
となっていくのだ
きみというのは地球のことだな
いま春が来て
地球はきれいになっていくわけだな
そう思い至ってみると
あゝ なんだか 
ほんとに
そのとおりではないか
と腑に落ちるものがあった



*イルカ「なごり雪」
https://www.youtube.com/watch?v=q0gEn0Q7QX4



2020年3月27日金曜日

無音の都会の壮大な明けがた



夜明け前に起きて
机にむかって考えごとをしたり
雑事にあれこれかまけたり

そうしながら
まだ暗いというのに
ほんのすこし
明ける気配が空気のなかに染みてきた頃
カーテンをあける

そのあとは
無音の
都会の壮大な明けがた
色を変えつづけていく空と雲と
次から次
大きなたくさんのビルが
東の空から受ける色の反映の移りゆき

こんなことにまきこまれるから
夜明け前に起きると
なにもできない
あれもこれもやりたくて
はやい時間に目覚めたというのに

無音の
都会の壮大なあけがたに
まきこまれてしまって




夢からこの世へと覚めて来るときのふしぎに




夢からこの世へと覚めて来るとき
の
ふしぎに
わたし
まだまだ
こだわっているよ

この世へと覚め上がった(覚め下った?)のに
夕方まで
目覚めのときのふしぎを抱えて
ぼんやり
過ごしてしまっている
日
もある

きょうは
道の上が木々の枝葉で覆われた雰囲気を
圧倒的な現実感で受け止めながら
目が覚めた

あゝ、これは
わたしの1990年代の住まいの前の道
自動車が片側一台しか通れない細めの道で
うちの前には江戸時代から続く豪農の屋敷があって
高い木々の枝がそこの長い塀から道の上に覆い被さっていた
この道に入ってくると森の中のようで
いっしょに住んでいたエレーヌはこの雰囲気を愛した
そこに住むのを決めたのはこれのためだったほど

あゝ、これは
また
ブルターニュの友シルヴィの家までの小道
村の大通りから曲がりくねって
さらに曲がりくねって
車がようやく一台通れるような森のなかの道を行くとき
両側からの木々の枝葉ですっかり覆い尽くされて
ちがう世界に入っていくのだとわかる
その道を抜けると湖があり
大きなコテージがあってそこが彼女の家

夢なのだ
思い出なのだ
存在しないものなのだと
この世では思わされることになっているが
目を開けて
からだを動かしつつ
迎え続ける日々の一瞬一瞬よりも
もっと現実のようなのは
どうして?

一生
これだけにこだわってきて
わたし
まだまだ
こだわっているよ

夢からこの世へと覚めて来るとき
の
ふしぎに