秋風や相逢はざるも亦よろし
高浜虚子
南浦和には南浦和の女が
蓴菜を好んで
いっとき栽培沼を営んだというが
わからない
真偽のほどは
ニース
に
明日経つ
アンドレが空港に出迎えに来てくれる
とはいえ
声だけ知っていて
顔も振舞いも知らぬアンドレ
たぶん
アーティチョーク(フランス語ではアルティショ)
を
目印に
なるように
携えて
くるはず
アンドレの「ア」から
「アな」
を
思う
アナ
といえば
フランス語の「アンナ」だが
むしろ
穴
(女性であるアンドレの?)
ああ
穴が開く
比喩でなく
本当の穴が現実界(と人々がとりあえず呼んでいるスクリーン)に
パチンと
去年の9月が賞味期限だった
井村屋の「ゆであずき」を食べてみたら
行けた
南浦和の女の家の
台所のタンスの奥に保管され
使い忘れられていた
缶でなく
「パウチゆであずき」のほう
そのまま
長い柄のスプーンで掬って食べる
たくさん入っているので
数日
「ゆであずき」意識が
続いた
大雨の日々
「ゆであずき」色にたびたび染まる
舌よ
わが舌
ところどころ冠水し
水没した
佐倉市の女が大学の教務課の前に立っていた
(幽霊?)
こちらに気づき
手を振った
………コレハ、マダ、
始マリニ過ギナイ、
コレハ、マダ、……………
した した した。
(と、折口信夫の『死者の書』の、あれ、
水の音、水の垂れる音、が
遠くから、響いてくる、
来ている、のか、
響いて、来ている、 ?…………)
した した した。
耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。
ただ凍りつくような暗闇の中で、
おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。
膝が、肱(ひじ)が、
徐(おもむ)ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、
彼の人の頭に響いて居るもの――。
全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、
掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけている………
水は呼ぶ、
ことに多すぎる水は呼ぶ、
死者たちを、
死者
と、
不見識にも、
傲岸にも、
みずからを生者と自認する/誤認する
者たちから
呼ばれてしまう者たちを
した した した。
彼(か)の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱(よど)んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。膝が、肱(ひじ)が、徐(おもむ)ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。
そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧しかかる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀(いわどこ)。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫の音。
時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に繋って、ありありと、目に沁みついているようである。
ああ耳面刀自(みみものとじ)。
甦った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うている。おれはきのう、ここに来たのではない。それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もっともっと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。耳面刀自。ここに来る前から……ここに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。
古い――祖先以来そうしたように、此世に在る間そう暮して居た――習(ならわ)しからである。彼の人は、のくっと起き直ろうとした。だが、筋々が断れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるような、疼きを覚えた。……そうして尚、じっと、――じっとして居る。射干玉の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、厳かに、だが、すんなりと、手を伸べたままで居た。耳面刀自の記憶。ただ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓って、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。そうして明るい意思が、彼の人の死枯れたからだに、再び立ち直って来た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまえのことを聞きわたった年月は、久しかった。おれによって来い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、ここは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすっかり、おれは忘れた。
(……)
蘇ってくる折口信夫
折口信夫の気味の悪い悪い悪い口調の時代が
うらうら
らうらう
みちょみちょ
みにゃみにゃ
見えないとろついた水面に
なにかの死骸から浮き出た油の被膜のように広がって
やがて
盛り上がってくる
ああ、なにか明るい色のシャーベットを食べに
青山墓地に彷徨い行こう
パステルカラーで墓石たちを塗ってしまう夢想を萌やしつつ
水野クレールとでも腕を組んで
ちょっとスキップしながら
わざとらしく真白のパラソル差して
彼女の名に連なる大貫妙子の『黒のクレール』など思い出しながら
https://www.youtube.com/watch?v=7LXnuH4QUUM
……忘れていた
忘れてしまっていた
立教通りのコーヒー豆挽き売り店『ドリームコーヒー』の
柱のまわりに円を描くソファで出会った河野広美にふいに恋に落ちた頃
くりかえし聴いていた『黒のクレール』の響きを
ふたたび聴いたように思えて
水野クレールよ
あなたに水滴が垂れ落ちていくように傾いていった
中国の海南省の亜流湾ビーチでの
私
泊まっていた
ザ・セント・レジス亜竜湾リゾートの自室に
サングラスを忘れて
浜で急に踵を返してふり返って駈け出したあなたは
たまたますぐ後ろにいた私にぶつかり
ずいぶん乱暴な出会いを
まずは
ふいに作り出したものだったが
その後
何度も何度も
廊下で
また
ディナーの場で
朝の浜で
偶然に重なる偶然の出会いをくり返したことで
私は傾いていった
水滴が垂れ落ちていくように
自然に
「偶然に対して
もう
いい
わかった
と
言ってやることにしましょう。
私はあなたにとって
面白くもなんともない人間かもしれませんが
少なくとも
悪い人間ではないと自負しています。
今後は
知りあいの一人に
どうぞ
加えてくださいますように」
と
私が言うことで
どうにか偶然の女神を
宥めたものだった
アンドレに
水野クレールの存在は知らせていない
ニース・コート・ダジュール国際空港
(Nice Côte
d'Azur International Airport)で
どう揺れるか?
目印にアンドレが抱えてくる
アーティチョークは
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