2020年4月17日金曜日

マスク嫌い



マスクをしている顔を見るのが嫌いで
花粉症の頃になると
誰彼かまわず突っかかって行って殴り倒したくなるのだが
今はやりのコロナちゃんともなれば
どこもかしこもマスクだらけで
昨日も6人突き飛ばして殺し
今日は今日日で8人殺し
明日は明日の
また
風が吹く




世のならい



新型コロナウイルスと当初呼ばれ始めたが長いので
だんだんとコロナと呼ばれるようになり
海外ではCovid19と呼ばれているものの日本人好みではないので
やっぱり「コロナ」で呼び慣わされていくうちに
友人でシングルの富家行雄がコロナっぽい体調不良になって
家で寝たっきりになり
ぼくの家からは電車で40分も乗って行かなければならないものの
最低限の食料品などは届けてやらねばならず
毎日買い出しに出て届けてやっていたら
他の友人の黒田節子も倒れてしまって
家に閉じこもりになってしまったというので
そこにもやはり食料を届けてやることになったばかりか
昔のガールフレンド西田ルリまでコロナっぽくなってしまい
そこにも食料品ばかりか生理用品まで届けてやることになったが
まだまだこれで終わりとはならず
吉田順や広末浩太郎やソン・リやジェームズ・ハリオットなどまで
コロナっぽい体調不良に陥ってしまって
かれら皆に食料や必要品を聞いて買って行ってやっているうちに
慌ただしく過ぎてしまったこの二週間ほどであった

彼らの家の玄関前に物を置いて行くので
ぼくには感染する心配はないとは思うものの
それでもドア越しにちょっとしゃべったりはするし
このドアのむこうに感染者がいるのかと思うとそれだけで
じぶんにも感染するんじゃないのかとふと思ったりもするが
まだぼくの場合は大丈夫のようで   ……というか
だいたい彼らがほんとうにコロナかどうかわかったものじゃなく
例のPCR検査などにはいっこうに興味のない連中で
保健所に電話をするでもないしクリニックに出かけていくでもないし
高熱が出たり下がったり倦怠感がひどくなったり和らいだり
そんなこんなで家のなかでごろごろしているだけで
なかなか見上げた連中だと思い直している

ともかくも彼らみんなに買い物を届けに行ってやるぼくの
奇妙な修行の日々はこれからもまだまだ続いていきそうなので
ここはひとつ弟子を取るかバイトを雇うかしようと思ったりしているが
どうせ弟子もバイトもコロナっぽくなるのは目に見えているので
やっぱりひとりで食料+必需品配給は続ける他ないと思っている
ほんとうならどいつもこいつも劇症化して死んでくれれば
ぼくのこんな友情譚も終わりに出来るのだが
死んでほしい連中ほど死ななかったりするのは世のならい
それじゃあいっそぼくのほうが死んじまったら…と思いもするものの
ぼくのほうもなかなか死ななかったりするのも世のならい




峰外通り



Ob la di, ob-la-da, life goes on, bra
La-la, how the life goes on
And if you want some fun, sing ob-la-di, bla-da
The Beatles 《Ob-La-Di, Ob-La-Da》



峰外通りがその地図には載っていて
(地図などいっぱい持っているというのに)
衝動買いするように
思わず
買ってしまった

峰外通りはジョニーと暮らした
懐かしい通り
親しかったデズモンドやモリーといつも一緒で
買い食いしまくった店の
ずらっと並ぶ通り

ひょんなことから人を殺してしまった後
(なぁに、それはあの卑劣漢の大河内だから
(ぼくはむしろ褒め称えられ
(英雄視されて『大河内殺し』というドラマさえ
(ゴールデンアワーで流されたくらいだが
とりあえず逮捕されないように
通りを離れて出奔してからは
地図を見るたび
あの懐かしい通りを探してみたが
どうしてだか
絶対に名前の書いていない峰外通り

ぼくの家は峰外通りから細道を入ったところ
ちょっとこんもりとした木々を抜けて行く
その名も小峰外道の突き当たりにあって
父母ははやくに亡くなっていたが
やさしいお爺ちゃんとお婆ちゃんがかわりにいて
お爺ちゃんが丹精する草花の温室や
お婆ちゃんがよく座っているロッキングチェアがあった
ぼくは十畳の大きな部屋をあてがわれて
まるで世界のすべてのように
ありとあらゆるものでそこを満たした

そんなぼくの部屋から
小峰外道を通って峰外通りに出る時の
あの不思議な温かみと開放感は
忘れろって言われたって忘れられるものじゃない
だから
峰外通りがその地図には載っていて
(地図などいっぱい持っているというのに)
衝動買いするように
思わず
買ってしまった

峰外通りはジョニーと暮らした
懐かしい通り
親しかったデズモンドやモリーといつも一緒で
買い食いしまくった店の
ずらっと並ぶ通り




落ちてこない銃弾


  
空に向けて銃弾を撃ち、落ちてくるのを待つ。
発射地点にはバルベロの革を張った大きな太鼓を置いてある。
そこに落ちてくるのを待つのである。

太鼓の直径は1メートルで、銃弾ひとつが落ちてくるのを受け止めるのには、十分に大きい。
しかし、上空高く上っていった銃弾が発射地点に戻ってくるのを正確に待つためともなれば、その面積は十分に広いとは言えない。

射手は太鼓の革の上に乗って、銃口を上空真上に向けて撃つ。
射撃後にすぐ太鼓から降りて、あとはバルベロ革の表面を凝視しながら、延々と銃弾の帰還を待つのである。

すこぶる強度と柔軟性に富むバルベロ革が落ちてきた銃弾に射貫かれるか、それとも、銃弾を跳ね返すことになるか。
この点の観察が求められているのだが、跳ね返された場合にはふたたび上空へ垂直に上っていくような光景が見られるか、それとも、斜め方向に飛んでいくことになるかにも、われわれは熾烈な興味を惹かれてやまない。

ところが、銃弾は落ちてきたことはないのである。

もちろん、銃弾は上空で横からの風を受けるであろうし、大げさに言えば地球の自転の影響さえ受けるかもしれない。どれほど真っ直ぐに撃ち上げようとも、わずかの軌道の歪みが上空では大きな歪みとなり、どこか遠く離れた場所に落下することになるのだろう。

射手としては、最高の腕を誇る狙撃手を雇っているのだが。
確かに、2007年に3540m離れたイスラム国戦闘員を射殺して世界記録を樹立したカナダ軍特殊部隊の狙撃兵ほどではないにせよ、われわれの射手は、アフガニスタンで2009年に、2475m離れたタリバンの機関銃手をL115A3で射殺したイギリス軍ブルース&ロイヤルズのクレイグ・ハリソン軍曹には拮抗しうる腕の持ち主である。


撃った場所に垂直に落ちてくるよう、可能なかぎりの細心さで、彼が真上に銃弾を発射する。
今の人類のうちで、まず数人ほどしかいないであろうはずの腕を持つわれわれの射手が、想像もつかないほどの集中度で発射する。

日に二回、午前と午後にこの射撃は行われる。
時間は定められていない。
彼の完全な自由に委ねられている。
起床してから彼は心身の調整を始め、最適の瞬間が来るまで全身全霊で射手となり、おそらくは銃弾そのものともなる。さらには、空や高度ともなるのではないか、とわれわれは想像する。

ところが、銃弾は落ちてきたことはないのである。

バルベロ革は、ぴんと張り切られたまま昼の太陽を反射したり、夕日をせつないまでに眩く滑らせたりし続けている。




2020年4月6日月曜日

この頬を吸いたい



鞍馬山から貴船神社まで、芸もない、特別な趣もないハイキングをしてみたのは、その途中にある山道をちょっと逸れた小屋で、人にはあまり言えないものを御馳走される栄を賜ったからだが、桃の咲き満ちるあたりの風情が予想もしていなかった華やぎで、いいものを見たと思った。
神社から貴船口まではマイクロバスに乗ったが、額にずいぶん皺の寄った猿のような運転手が、道々、巧みにハンドルを切った。
電車に乗ってから市内へ向かう間、ボックス席の向かいに18や19に見える若者が座り、崩れて腐りはじめそうな水蜜桃さながらに寝潰れた。造園の仕事の帰りなのか、洞山園芸と書かれた頭陀袋を足下に置いていた。まだ、一人前ではないのかもしれない。頬が桃の果肉のように薄赤く、美味そうで見える。熟れた無花果の実を割ったような色にも見える。この頬を吸いたい、と思った。
この若者、杉埜純と暮らすようになったのは、この後、ふた月も経ってからである。二十歳にならぬ男の体の頬のやわらかみは、わたしにはいつも垂涎三尺のものだが、純の頬は潤った清潔な砂の微粒子の集結体のようで、指を滑らすにしても、指先をめり込ませるにしても、これまで吸ったどの男のものよりもわたしを自失させてくれた。
純の男根がまた素晴らしかったのである。それは勃起せず、いや、勃起するにはするのだが、海鼠のようなやわらかさのままで、突き立てるような使用には全く適さない。普段でも24㎝2㎜あるそれが、血を集めて54㎝ほどになりつつも、たゞくにゃくにゃと純の腹の上に寝そべっている様を、わたしは愛した。射精はできたので、わたしは純の精液をわたしの下半身に塗りたくり、わたしもまた純に挿入しては、抜いて純の腹上に射精したりし、ふたりの種を無駄にせずに穴という穴に擦り込んだりした。
妊娠したのは、純とわたし同時であった。十月十日というが、わたしたちの場合、純は二年半、わたしは逆にはやくて七ヶ月で出産を迎えた。わたしは左耳から産み落としたので、左耳夫と名づけた。小さな小さな男の子だったが、数年のうちに130㎝に達した。
純が鼻から産み落としたのは女児で、鼻と名づけるよりはと、華子と呼ぶことにした。左耳夫が、図体は大きくなってもまだ幼いながら、けなげに世話をしてくれようとし、華子の育児はずいぶんと楽だった。毎年の桜も、藤も、牡丹も、心ゆくまで純と見てまわれたのは、左耳夫のおかげと言える。
物語はここで終わる。というのも、わたしたち四人家族の生活は継続中で、これと言ったクライマックスも悲劇もないからである。
子らの存在にすっかり充足してしまったようなわたしの心は、この頃、純との交合もまるで求めなくなってしまったが、華子がかわりに純の頬を舐めたり、吸ったりしているのを見ると、意地悪とはわかっていても、言いたくなってしまう。
「お父さんのほっぺた、前はもっともっとやわらかくて、おいしかったんだよ」
 やさしく、やさしく言いながら、あゝ、なんと恐ろしいことであろうか、わたしときたら、あらたな若者の頬吸いを、もう夢見はじめてしまっているのである 。   



「耀子です。あたし、耀子よ」


  
耀子の体はそう好きではなかったが、裸になったのを見せられると、勃起は健やかだった。
わたしの男根が
「耀子です。あたし、耀子よ」
 つぶやくので、まだ体を流しに赴いていない奥のバスルームが唱和し、
「耀子です。あたし、耀子よ」
 安手のテレビCMの台詞かなにかのように、ちょっと歌うように、言った。
 夜のホテルの高層階の部屋なので、近くの他のビルの窓々のあかりが美しい。
 テレビのわきに置かれてあるグラスが、
「耀子はあたしのほうかもしれないよ」
 言いながら、すこしカチンと音を立てた。
 その音を契機に、というわけでもないと思うが、耀子の裸体はたちまち2ミリほどの極細のコードのように豹変した。宙にスクリューのように舞い上がって立ち上がったと見る間に、わたしの男根の先端から入り込んできて、交合となった。
 男根とはつねに女体である。そして、すべての女がそうだとまでは言わないが、耀子のような女は、つねに真の男根である。
 今夜、耀子はわたしの脳髄まで届いていきそうだ、と感じる。
「耀子です。あたし、耀子よ」
 と、また、バスルームが言っている。





いなかったが、



新型コロナウイルスのせいで、千鳥ヶ淵緑道では、桜の開花期には恒例のあの提灯吊るしが今年はつけられず、夕暮れともなると、空気のなかに闇が染み上がってくるのが見どころのひとつとなった。
桜の頃の冷えていく空気は、徐々に親しみつつ近しくなっていきながら、まだ体を許してくれていない、誰にも似ていない唯一無二の若い若い若い娘の肌のようだが、時間の過ぎゆきとともにすこしずつ冷えていくさまが、こちらへの娘の気持ちの微妙な一瞬の離れぐあいのようでもあり、それがまた、麗しい。
陽がすっかり落ちて暗くなってしまうと、灯でうすぼんやりと紅く照らされたりすることのない、わかりやすさの微塵もない、闇の桜である。
派手に目を引くような美しさはなく、そもそも俗世に好まれるようなぐあいには美しくなく、闇の殊に深いところでは、焼いた後の骨片を思わせるはかなさが淡く白さを懐旧するかのように宙に無数に浮いている。
立ち止まって見ていると、こちらの霊が引っぱり出されて、はっきりと見えないながらたしかに無数に其処其処にある桜の花々に交じっていき、じぶんの霊顔にふつふつと花びらがやさしい穴を無数に開けていくようである。全身にたくさんの細かい金剛石の弾丸による銃撃などを受けて死んでいった兵士の物語などを、雑踏する東京のあちこちの駅の階段を上る時などよく空想するが、兵士にとっては長く充実した人生を生きるよりもそんな瞬間に恵まれるほうが、のちのちの幾十の転生の後にもなおも忘れがたい、さぞや小気味よい快楽の至高の瞬間となるであろうと思われ、美と逸楽の極致たる戦闘のかかる空想なるものがいつ何時でもわが脳内に易々と降下してくることの麗しさよ、と思われてならないが、闇のなかで圧倒的な数量で見せつけられる桜花は、他ならぬわたし自身が闇の奥から銃撃してくる桜たちに砕かれ、散らされて、類い稀なる滅びを恵まれるかのように思わせる。
北の丸公園の小山を望む千鳥ヶ淵緑道ボート場のあたりで、いつもの年と違う鬱然たる暗い盛り上がりとなっている対岸を眺めながら、誰も来ないものだから、すっかり身体など分解するに任せて脳も蕩けるままにさせていたら、暗い顔のところどころ、頬のあたりや鼻の稜線などだけわずかに光を受けて見える、しかし、まるでわだかまった香りの凝集のような、いわばかたちも質量もない魅力の精だけのような、闇色の着物を着た娘が柵の一所に立っていなかった。
いなかったが、顎の稜線の美しい娘で、首もミネラルウォーターのペットボトルのように細いのが美しい蛇を思わせ、抱きたい、などとは思わなかったが、この娘そのものに現下になってしまいたい、とあまりに深く煩悶した。いなかったが、娘のいたかのような場所から桜の花びらがひとしきり吹き寄せて、わたしの唇に、ひったり、ひったり、と付いた。