2020年4月24日金曜日

しっかり確認させられた気が

 

まだ生きていられそうなのに
ちょうど昨年
あるいは
今年のごく初めあたりに
フッと
サアッと
この世を捨て
肉体を捨てて
去って逝った人たちが
じつは
けっこう
いたなぁと
多くのひとが
うすうす
思っていたりするのではないか

2010年の
あの大震災と津波と原発事故の前にも
そういうことがあった

ひとそれぞれ
やはり
最初からきっちりと決まった
宿命っていうのがあって
それに沿って
生き死にが
起こっていくのだと
今年も
しっかり確認させられた気が
するんだよ




関ヶ原

 
国が滅ぶか
政府与党が滅ぶか
ウイルスが滅ぶか
水漬く屍に
草生す屍に
どれだけの民がなるのか

それとも
いかにもニッポン的に
どれもこれも
曖昧にどろどろつるんじゃって
ウイルスさんも
なぁんとなく
毎年の寒い頃の風物詩に
なっちゃうのか

見ものの
関ヶ原であることには
かわりはない

どれ
もう一杯
うまい茶を
所望しようかのぅ



「この監督となら手をたずさえて頽廃してもいい」……



疫病が少しでもひろまらないように
店を閉めてくれ
といわれ
演劇の連中やほかの芸能連中が
ふだんならやっている催しをワンサと止めざるを得なくなったのは
しょうがないとも
大変ですねとも
参っちゃいますねとも
思わされたが

こぞって
ブンカ
ブンカ
ブンカ
と声高に言うのには
なんというか
なんというか
ねえ

じぶんたちのやっていることを
ブンカ
ブンカ
ブンカ
って

そりゃあ
ないだろうさ
って

雅楽の演奏者たちが言うのなら
かなりわかる
能狂言文楽歌舞伎の演者たちが言うのなら
かなりわかる

だが
新劇の連中や
そこらの芸能人やミュージシャンが
ブンカ
ブンカ
ブンカ
って自称するのは
ねえ

それらが
かれらが
無意味だっていうんじゃない
不要不急の最たるものだろっていうんじゃない
いなくていいものだろっていうんじゃない

ブンカ
ブンカ
ブンカ
だなんて
口が裂けても自称しないでいてほしい連中だっていうところに
最大のかれらの価値が
あったんじゃなかったのか

昭和の芸能人なら
ぜったい
おれらは河原乞食だから……
と
曖昧につぶやいて
わけのわからない闇仕事でもして
時を
待っただろうに

ブンカ
ブンカ
ブンカ
だから客が付いてたわけじゃ
ないだろうに
面白かったからだろうに
時間の無駄の最たるものだと思っても
見たり聞いたりしに行きたくなってしまう
どうしようもない
わけのわからぬ
媚薬
だから
客が付いてたわけだろうに

いちばん
言っちゃいけない言葉を
まぁ
どうどうと
言ったよねえ
と
見ていたよ

「それを言っちゃあ 
「おしめえよ…
って
よく言ってたなあ
誰かさんも


映画評論家蓮實重彦
ダニエル・シュミット『ラ・パロマ』をめぐっての
音楽家武満徹との対談において

『ラ・パロマ』を最初に観たとき思わず泣いちゃったのは、あの汽車の場面です。小津(安二郎)以来、客車の内部があんな見事に撮られたことはないと思うんですが、まずデッキからホームを見おろしてからコンパートメントに向かいあって座る、あの座席のビロードの感じとか網棚のあたりの材木の光沢とか何とも言えなくてため息をついていると、いきなり「エヴァ・ペロンが死んだ」……あそこで完全に魅了されつくして(笑)、この監督となら手をたずさえて頽廃してもいい(笑)と決意しました。*

ブンカ
ブンカ
ブンカ
などという淫猥なコトバを
ふわふわと
吐くな

客商売
なん
だろうが!

「手をたずさえて頽廃してもいい」
と
客たちが思ってくれているか
どうか

だけ
そこだけ

そこだけだろう?
誘惑者として
魅惑者として
心を
配るべきところは




*蓮實重彦+武満徹『シネマの快楽』(河出文庫、2001)





いい声で鳴く小鳥



いい声で鳴く
小鳥
都会の並木にも
ちょこちょこ
やってきていて

いい声で
鳴いているんだよねえ

ほんと
いい声

でも
名前がわからない

知っている名を
あれかな?
これから?
みたいに並べてみるけれど
当てはまらない

いい声で鳴く
小鳥



忙しい四月



四月のはじめ
わさわさと
大忙しでなかった年など
あったかしら?

なかばまでも
終わろうとする
頃までも

いつも
忘れそうになってしまう
忘れてしまう
夏の草花
アサガオなんかの
種まき

しかたなく
芽吹いたあとの苗なんか
買って
なんとか
夏のおとずれに
間にあわせようと
したことも
あって




驚かされてしまうのです


  
春から初夏へ移るときの……

と
うっかり言葉にしてしまいそうになるものの
自然はたぶん
意識などしていまい
春から初夏へ移る
などとは

空気の感触

質感…
といったら固すぎてしまうような

そうねえ、
冷たさあたたかさ
乾きぐあい
しめりぐあい
すべすべ感
ざらざら感
……そんなものが
いっしょくたになった
空気の
肌すべり感

春から初夏
と
人間がざっくりまとめてしまう
冷たくまとめてしまう
時期の
空気の雰囲気の
ほんと
数時間ごとどころか
数分おきくらいの
変化の絶え間なさに
やっぱり
驚かされてしまうのです






(ずっと (ずっと (………

 

二〇二〇年 ことし
正月
京都に在った

ひとり
寒い嵐山へ

ぼんやりと
いつものように
まずは
渡月橋へ
橋わたりするために

橋わたり
する
と
すぐに
ぼんやり
橋もどり

橋もどり

ぼんやり
そうして翻り
京ではいつもそうするように
二尊院へ

(あゝ 京で
(訪ねたいのは
(二尊院
(常寂光寺
(だけ

二尊院では
ひとりだった
いつものように
ゆっくり
二時間はかけて
墓所のなか
墓から墓
歩きまわり

雨に降られた年もある
霙のなか
写真を撮ろうとした晩冬もある
酷暑の階段を
タオルでうなじを拭いながら
法然廟まで
上ったこともある

数えきれない
  (数えられるのに
  (そう言ってみたい… 
訪問の
大きな墓所の山

墓山
…という
言葉は
あるかしら?

あるのかしら?

ことしは正月から
和歌の盛りだった頃の公家たちの
お墓参り
できて
あゝ 恵まれた
うれしい
年
であった

二尊院に
結局は三時間も居てしまって
閉門後に
脇のくぐり戸から
出してもらう羽目になってしまって
(いつものとおり…

常寂光寺にまわる
時間
なくなってしまったけれど

この次には
常寂光寺
から
まわることにしようか
常に寂しい
光の
寺
から

(とはいえ
(いつも
(いつも
(二尊院から
(まわりたくなってしまう
(そう
(この二〇年ほどは
(ずっと
(ずっと
(……………