2016年12月29日木曜日

もうおせちには興味のミの字も湧かない


早く歳を取つて芝居一ツ見たくない様になつて仕舞ひたい。
永井荷風『歓楽』


昨年の年末は
おせち嫌いのぼくにしては
ちょっと
おせちのマイブームで
クリスマス頃から
もう
出始めたおせちを早々と買って
27日には
だいたいめぼしいところは
食べ終えてしまっていた
子どもの頃から
おせち嫌いで
正月の食べものは
なんだか
サビシイと思ってきたし
長くいっしょに暮らした
フランス人と
たいていは年末年始
フランスにいたから
むこうでは
クリスマスのごちそうを食べて
その残りを食べて
もう七面鳥やウズラのマロン詰めにも
飽きたから
そろそろステーキに戻ろうか
といったふうで
日本のおせちなんて
ちゃんちゃら…
というふうだった
ながい
ながい
あいだ

おせちを
まともに食べるようになったのは
歳を取ってきたからか
なにかを決定的に
手放してしまったからか
断じて
ふつうのニッポンジンにはならぬ
断じて
この国には同化しまい
そういう強固すぎるほどの戦いの意志を
どこかで捨ててしまったからか
それとも
戦略を柔軟なものに
変更するすべを身につけたからか

ところが
今年はなぜだか戻ってしまい
もう
おせちには
興味の
ミの字も湧かない
伊達巻や栗きんとんのあれこれを
矯めつ眇めつ見比べて
どれにしようか
いくつか買っちゃおうか
などと売り場で悩むことも
憑き物が落ちたように
もう
なくなった

なくなってしまった
たった一年で
なにがどう変わったものか
とにかく
もうすっかり
興味が落ちてしまった
ニッポン的な
年末年始なるものに

また
戦いのはじまり
なのか?
ニッポン的なるものとの?

それとも
さらに老いが進んだだけか?
感情のアブラがゲソッと落ちて
タンパクに
タンパクに
なっていくところか?

永井荷風が書いていたな
「私ァもう、全く世の中には飽きちまひました。
「早く歳を取つて芝居一ツ見たくない様になつて仕舞ひたい。
小説『歓楽』の中の
登場人物のセリフだけれども
本人の思いを
もちろん
ふんだんに染み込ませてあって…

こうも書いていたな
「得やうとして、得た後の女ほど情無いものはない。
「この倦怠、絶望、嫌悪、何処から来るのであらう。

本当に
「得やうとして、得た後の女」でないものなど
この世に
どれくらいあろうか…

こんなことを
真正面からべったりと語ってくれる
本音のオトナの文芸が
昨今
払底いちまってるじゃあ
ござんせんかぃ?

子どもみたいに
なんやかやと
応援歌っていうのか
励まし合いっていうのか
チープな
宣伝旗みたいなのを
ひょこ
ひょこ
立てる歌やショーセツや
ドラマばっかり
街の
盆踊り大会の余興の
シロウト演芸みたいに
八方美人の
誰にも口当たりの悪くない
ソフトな大政翼賛会みたいな
薄口の
口調ばっかりに
無限に
なり続けていくばかりで…




ギラッ テカテカ



羽田空港にむかう早朝のモノレールの中で
てかてか頭のビジネスマンの頭が
朝日のつよい光を反射して
ほんとうに
てかてか
てかてか
時に
ぎらぎら
ぎらっ
と輝いていた

ハゲではない
テカである
テカとハゲでは気負いが違う
積極的だ
前進的だ
未来的なのである
テカる気満々である
たゞ髪がないとか
剃ったとか
そういうのではテカらない
どんなクリーム
塗りこんでるんだろうな、あれ
特別な油かもしれないぞ
いろいろ思わされる

モノレールの向きの変化にあわせて
陽光の射す角度が変わる
てかてか
から
ぎらっ
また
てかてか
また
また
ぎらっ
ひらがなじゃなくって
ギラッ
テカテカ
かと思うと
また
急にひらがなに戻って
ぎらっ
てかてか

小学生の頃
みんなで歌って帰った歌のひとつ
♪おやじのハゲ頭
思いの中を
あれが流れる
モノレールの中の
今そこにいるビジネスマンの
てかてか頭
あれがプルーストのマドレーヌ効果を発揮して
ぼくの思いは今
20世紀文学の華のひとつ
無意識的回想なるものの渦の中へ
なんとでも
長くも短くもできる
あの歌が流れる

♪お化けは消える
  消えるはランプ   
ランプは丸い
丸いはおやじのハゲ頭

でもいいし

 ♪消えるは幽霊
  幽霊は白い
  白いはパンツ
  パンツは臭い
  臭いはトイレ
  トイレは狭い
  狭いは押入れ
  押入れは怖い
  怖いはお化け
  お化けは消える
  消えるはランプ
  ランプは丸い
  丸いはおやじのハゲ頭

でもいい

ピンポンやバドミントンのように
なるべく長く続けさせるのが
子どもたちにとっては勘どころで
ストンと
あまりにはやく
おやじのハゲ頭に
行きついてはいけない
ヴァージョンはいくらでもある
いくらでもできる
ムリしたギリギリな迂廻路を辿ったほうが
みんなの称賛は大きくなる
何年も何年も
登校下校の時間や
休み時間は
こんなふうな戯れ歌の時間だった
ラップっぽい時間だった

どことなく
プロレスラーっぽさもないではない
体格のいい
てかてか頭のビジネスマンを前にしながら
こんなふうに
思いの中はプルーストしていた
無意識的回想していた
マドレーヌしていた
コンブレーしていた
失われた時を求めて…!

モノレールの向きの変化にあわせて
陽光の射す角度は変わり
てかてか
から
ぎらっ
また
てかてか
また
また
ぎらっ
ひらがなじゃなくって
ギラッ
テカテカ
かと思うと
また
急にひらがなに戻って
ぎらっ
てかてか



あゝ、ポスツマス、ポスツマス、



Eheu fugaces,
Postume,
ostume,
abuntur anni

ホラチウス…

しかし
歳月はおのれではないか
おのれを成したのは
歳月ではないか
ならば
歳月の過ぎゆく速さとは
おのれの速さでは
ないか…

Eheu fugaces,
Postume,
ostume,
abuntur anni

あるいは
また
おのれひとりは
動かずに
立ち尽している
立ち尽していられるとでも
いうのか

Eheu fugaces,
Postume,
ostume,
abuntur anni

あゝ、ポスツマス、
ポスツマス、
歳月の過ぎゆくことの
いかに速き…



望江の道中



わたしの道
ダメかな
荒野に来たかのよう

見晴らせば
かしこに紅葉が

あそこには
青い山も


《吾が道 
《非なるか
《曠野に来たる

《紅樹 
《青山
《まさに詩有るべし

      陸游『望江の道中』



侘びたるは



侘びたるは
良し
侘ばしたるは
悪し

…利休さん、
などとは
呼び
かけぬ

されど


侘びたるは
良し
侘ばしたるは
悪し



アヴァンギャルドに反対しなければならない



ラディゲはたしかに優越している
コクトーは余すところなくラディゲの恐るべき本質を掴んだ
『知られざる男の肖像』でこう書いている

「ラディゲは反対者として現われた
「我々にとっての新たなもの全てに彼は反対した
「習慣やブルジョワ精神に反対すべきではなく
「もっと進んで
「アヴァンギャルドに反対しなければならない
「アヴァンギャルドははじめこそ勇ましいものの
「必ず衰えて終わる
「彼はそう言っていた
「コピーしなければいけない
「と彼は言っていた
「なぜならば
「何かが誰かの中にあるならばコピーするのは不可能で
「コピーしながら人は自分に基盤を与えるのであり
「自己を知らずにコピーするわけにはいかないから

ラディゲ!
ニ十歳で死んだ男が!




何も変えるな



保守主義という点では
ロベール・ブレッソンのそれ
極北

「何も変えるな
「すべてを変えるために

革命主義という点でも
ロベール・ブレッソンのそれ
極北

「何も変えるな
「すべてを変えるために