そういえば
中村眞一郎の『恋の泉』を読んでいなかった
と
1962年のこの小説を
新潮社刊のハードカバーで手に入れた
古書店で200円で買った
40歳の戯曲作家の思念の流れから始まり
すぐに
20歳の娘との
あまり描写の臨場感に秀でてはいない
情交場面へと移っていきつつ
思念の流れを豊かにしていく十ページほどを
いくらかうんざりしつつ耐えると
情交相手の若い娘が
日本人ドイツ文学者とフランス女性のあいだに生まれた混血で
そのゆえに
戦争中の日本で苦労したことが語られ
小説は一気に面白みを増してくる
こんな記述も出てくる
優里江は自分と母とが、血液の相違のために、
優里江の父のような知識人は
いわば日本のお家芸のようなもので
21世紀の現代でさえ
ちょっとまわりを見まわせば
いくらでも類型が見出せる
『恋の泉』で中村眞一郎が
みごとに描き残してくれていることに
今さらながらに感心させられる
戯曲作家のほうの態度も
中村眞一郎が書き込んでくれた
貴重なものといえる
「私は事実、自己の念を世間に説くためには、
何事もしなかったし、
それから、また、
その念を秘かに抱きつづけることでさえ、
幾らかの社会的 迫害を受けることは
免れなかったのだが、(……)」
こういう知識人の多いことも
日本の特徴というべきだろうか
政治が傾いていこうと
異様な風潮が社会を染めていこうと
戦争が起ころうとも
自分の意見を説こうとはせず
なにもすることなく
ただ天候の変化していくのを待つように
時勢や世のなりゆきが
しだいに変わっていくのを待つばかりという
お国柄
プルーストの翻訳者でもある中村眞一郎なので
時間とおりおりの自我とが織り成す物語にこそ
『恋の泉』のテーマはあるというべきだろうが
記述の中には
戦中から戦後にかけて
日本社会の中に露呈することになった
さまざまな日本人問題がまき散らされていく
書かれてから60年以上も経ってみれば
むしろそれらのほうの貴重さが
はっきりと感じられてくるようにも思える
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