2026年3月15日日曜日

『恋の泉』

 

 

 

そういえば

中村眞一郎の『恋の泉』を読んでいなかった

1962年のこの小説を

新潮社刊のハードカバーで手に入れた

古書店で200円で買った

 

40歳の戯曲作家の思念の流れから始まり

すぐに

20歳の娘との

あまり描写の臨場感に秀でてはいない

情交場面へと移っていきつつ

思念の流れを豊かにしていく十ページほどを

いくらかうんざりしつつ耐えると

情交相手の若い娘が

日本人ドイツ文学者とフランス女性のあいだに生まれた混血で

そのゆえに

戦争中の日本で苦労したことが語られ

小説は一気に面白みを増してくる

 

こんな記述も出てくる

 

優里江は自分と母とが、血液の相違のために、人並以上の苦労をしていた戦争中に、父がひとり世間的に派手に振舞っていたことも許せなかったが、また戦後、突然に、人が変ってしまったように老いこんで哀れっぽくなったということも我慢ならなかったのだ。私は、彼女の父が感傷的なドイツ文学者から地道な語学研究家に変り、やがてナチス心酔者になり、それから神道家に転じ、最後に民主主義者にさえなったということーーその転換が丁度、時勢の変化と一致していたことを、そうした変化を行った知識人が無数に存在したことから、それが近代における日本の知識人の自然な存在の仕方、多分、一般民衆(何という厭な言葉だ!)から、性急な西欧化によって浮き上った知識階級の孤立の、自信のなさから来る動きだと、今は判断している。だから、私は彼女の父を「典型的な日本人なのだ」と優里江に説明した。すると優里江は苛立って、「先生はそうじゃなかったでしょう。少くとも叔父さんはそうじゃなかった。」と反抗的に云い放った。私は二十歳から三十歳にかけての私自身が、先輩たちの戦時中に示した態度に対して、優里江と全く同じ感じ方を持っていたのを思いだした。そして、それが単なる怒りでなく、どのような絶望的な悲しみを伴ったものであったかを語った。優里江は突然に笑いだし、「それなら、先生は何故、そうした人たちに反抗しなかったの?」と口走った。私は黙って首を横に振るより仕方なかった。私は事実、自己の念を世間に説くためには、何事もしなかったし、それから、また、その念を秘かに抱きつづけることでさえ、幾らかの社会的 迫害を受けることは免れなかったのだが、それを若い優里江に告白する気にはなれなかった。

 

優里江の父のような知識人は

いわば日本のお家芸のようなもので

21世紀の現代でさえ

ちょっとまわりを見まわせば

いくらでも類型が見出せる

『恋の泉』で中村眞一郎が

みごとに描き残してくれていることに

今さらながらに感心させられる

 

戯曲作家のほうの態度も

中村眞一郎が書き込んでくれた

貴重なものといえる

 

「私は事実、自己の念を世間に説くためには、

何事もしなかったし、

それから、また、

その念を秘かに抱きつづけることでさえ、

幾らかの社会的 迫害を受けることは

免れなかったのだが、(……)」

 

こういう知識人の多いことも

日本の特徴というべきだろうか

政治が傾いていこうと

異様な風潮が社会を染めていこうと

戦争が起ころうとも

自分の意見を説こうとはせず

なにもすることなく

ただ天候の変化していくのを待つように

時勢や世のなりゆきが

しだいに変わっていくのを待つばかりという

お国柄

 

プルーストの翻訳者でもある中村眞一郎なので

時間とおりおりの自我とが織り成す物語にこそ

『恋の泉』のテーマはあるというべきだろうが

記述の中には

戦中から戦後にかけて

日本社会の中に露呈することになった

さまざまな日本人問題がまき散らされていく

 

書かれてから60年以上も経ってみれば

むしろそれらのほうの貴重さが

はっきりと感じられてくるようにも思える

 







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