ふざけすぎた
季節
のあとで
と
『なごり雪』の
歌詞が
思い出され
懐かしく
なおも新しく
流れて
いく
https://www.youtube.com/watch?v=aGVwfSidMyg
去っていくもの
過ぎていくもの
終わっていくもの
壊れていくもの
いろいろ
あるが
崩壊のさま明らかな
あのフランスの惨状など
見ていると
ふざけすぎた
季節
のあとで
という歌詞が
ひときわ
鮮烈に
思い出されてくる
社会主義が
可能であるかのように
信じ
振舞ってきた
ふざけすぎた季節の
終わり
富の分配が
可能であるかのように
演じ続けてきた
富裕層や政治屋たちの演技の
終わり
すてきなことは
みんな
いつか終わるもの
という
村上春樹の『スプートニクの恋人』の中の
すみれのセリフも
思い出して
おこうか
孔子の
あの有名な述懐も
思い出して
おこうか
逝く者は斯の如きか 昼夜を舎(お)かず
そして
清少納言の『枕草子』の
この書きつけも
ただ過ぎに過ぐるもの、
帆かけたる舟。
人の齢。
春、夏、秋、冬
繁栄を極めた平家の
滅亡にあたって
藤原定家は
紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ
と
書いたもので
その顰みに
ならい
他国のことだから
ただ
滅びのさまを見ていればいい
とも
言えるが
国家として建て直すには
徹底して緊縮財政を行わねばならないのに
保障を手厚くされることに
馴れ過ぎ
さらにさらに
与えられることに
馴染み過ぎた
国民は
そんな政策を
受け入れるわけがない
思想の問題ではなく
経済の問題なのに
譲歩しない
だから
終わっていくしかない
とりわけ言論の激しい国ゆえ
後から後から
ソフィストが現われ続けて
百家争鳴や侃々諤々ならいいが
喧々囂々に至って
収まらぬまま
崩壊し尽くすしか
たぶん
ない
滅びの後を生きることに
秀でた日本人
むなしさを無常觀とし
わびしさを幽玄に昇華させ
さらに
侘び寂びとして
哀しみを
人生観の根本に据えるに至って
ひたすら
無を友とする
日本人には
いまや
世界中が
馴染みの親しい風景に
見えてしまう
世界人たちよ
川端康成のこの感慨を
共有しようでは
ないか
戦争中、殊に敗戦後、
日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がない
といふ、
私の前からの思ひは強くなつた。
感じる力がないといふことは、
感じられる本体がない
といふことであらう。
敗戦後の私は
日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。
私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。
現実なるものをあるひは信じない。
近代小説の根底の写実からも私は離れてしまひさうである。
もとからさうであつたらう。
(『哀愁』)
*なごり雪(Nagoriyuki) - イルカ(Iruka)【1975年】
https://www.youtube.com/watch?v=aGVwfSidMyg
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