2012年8月31日金曜日

遠い者よ



スープが湯気を立てている

まだ
遊びたいのかい?

行っておいで
はやく

きみには
熱すぎるかもしれないから

帰ってくる頃には
ちょうどいいかもしれないから

ぼくがもらった
冷たい水
コップの表面には
こまかい
たくさんの水滴

これを
ぼくは見続けているから
そして
海の
あの遠くのほうも

生きているかぎりは
わからないことがあるね
たとえば
生きているこの今の意味とか
ほんとうの
自分のありかとか

そのわからなさも
ぼくは見続けているから
そして海の
あの遠くのほうも

行っておいで
はやく

遠い者よ


2012年8月30日木曜日

この暑い日こそ



立秋もとうに過ぎたのに
茹だるように暑い日

遠く過ぎ去った晩夏
別れてしまった人たちや
逝ってしまった人たちと
こんな日を過ごした
何日も
何日も
来る日も
来る日も

いつまで続くのかと
うんざりしながら
どこかへ逃げだしてしまいたいと
捨てばちにさえなりながら

いまは知っている
本当にすべては
遠く
遠く
過ぎ去ってしまうのだと
いつのまにか
終わっていってしまい
無辺の宇宙の
どこにいてさえ
二度と戻ってこないのだと

いつまで続くのかと
うんざりしながら
どこかへ逃げだしてしまいたいと
捨てばちにさえなりながら
過ごしたあの日々
あれが
あれだけが
わたくしの内実なのだと

立秋もとうに過ぎたのに
茹だるように暑い日

この暑い日も
わたくし

この暑い日こそ
わたくし



2012年8月29日水曜日

八月句 (五)



八月十七日

蕎麦の花田舎の小寺囲みたり

とろろ汁よき山葵添へてゆつくりと

赤蜻蛉身捨つるべきかこの祖国

朝顔の見飽かぬ色と花ぶりと

八月十八日

鰻屋に出掛ける宵や花火舟

流燈を受け取る海の昏きかな

ハイビスカス珈琲紅茶ミント水

夏萩や心の旅を忘るまじ

わくら葉を摘む間も光鮮らけし

かなかなに急かされてゐる夏ごころ



2012年8月28日火曜日

八月句 (四)



八月十六日

枝豆を茹でる匂ひの満ちる路地

茄子焼きにオリーブ油かけるのも旨し

夏葱を刻めば刻み過ぎる宵

ゆかり作るべく赤紫蘇の山搾る

玉蜀黍旨さうに焼く屋台店

苔青し人にも世にも交じらはず

波のごとき無限旋律油蝉

いわし雲美しく高く空はあり

陸続と湧く政治屋よ油蝉

カンナ燃ゆこれからは秋と冬のみと

猫じやらし友と呼ぶべきもの絶えて

五山送り火USTREAMの中継で



2012年8月27日月曜日

八月句 (三)



八月十三日

鏡花漱石荷風八雲と展墓かな

夕方は鮨喰ひに出る生身魂

八月十四日

汗拭いつつ見残して稲の花

芭蕉葉も汚れてをれば雨も良し

をみなへし政治談議は人にさせ

原爆忌塩麹漬けの胡瓜食む

吟醸も濁りも揃へ大文字

八月十五日

懐かしき軒先となり岐阜提灯

盆の月生きて見てゐる不思議さよ

朝顔の見飽かぬ青や朝散歩

ひきもきらず蝉の来て啼く小庭持つ

終戦の日や忘却も人の(さが)

井戸水を汲む楽しさよ西瓜来る

夜顔の誰かに似たる誰ならむ

ブルーハワイ色なき風の吹かぬ夜に

盆の道吉野家マクド突つ切つて

スーパーの入口俄かに草の市



2012年8月26日日曜日

八月句 (二)



八月十二日

蒸す夜明けともに汗かく朝顔と

淡紅の芙蓉の花の美人ぶり

木槿咲く豆腐屋に若き娘あり

稲妻やわが人生の此処ぞ臍

秋立つや畳に坐る心地よさ

パブコメを送りし後に苧殻焚く

猫夢む八月の隅田川べりに

人生もやや捨て置いて残暑かな

星月夜メソポタミアの昔より

ともに見る縁となりしよ遠花火

いつぱいの蜩の林抜けて湯に

2012年8月25日土曜日

八月句 (一)

  

八月十一日

桔梗(きちかう)のなにあきらめた紫か

新涼やオリンピックの季節越え

再稼働反対の声よ吾亦紅

秋津島隣国はどれもややこしき

冷や酒の秋暑の縁にくちびるを

とろろ汁降りつのる雨の音を寄せ

秋出水パンツ送れと支那の友

眉薄き年増抱くべく風の盆

思ひ出の軽さはかなさ草蜉蝣

(はぜ)(つり)も仕舞仕度よ夕つ方

飄々と生きる他なし走馬燈


2012年8月24日金曜日

その日焼けが



自分は
ほんとうはどこにいる?

…なんて考え直すとき
どこにもいない
自分なんていない
と即座に答えてしまうとしたら
禅かなにかの
悪い影響

どこにもいない
自分なんていない
と体験した人は
そんなふうに答えたりしないから

どこから
ほんとうに自分でなくなるか
どこから
自分がなくなるか
何度でも
世界をまわって
見直してくればいい

たとえ一度でも
世界をまわってきたら
もう
問うていた自分は
違っている

少なくとも
日焼けぐらい
しているだろう
方々に
擦り傷や切り傷
歯だって
何本か
失っているかもしれない

たぶん
その日焼けが
大切なんだ
擦り傷や切り傷
歯を失ったあとの
穴だとかが



2012年8月23日木曜日

シルバーの自動車に乗って、私たちは話もせず、

  


 
シルバーの自動車に乗って、私たちは話もせず、大通りをすべって行く。オレンジのネオン、ヴァイオレットの看板が美しい。

もしや、ラ・ロシェルの城壁のわきの道を通っているのではないか、と思うが、そんなことはない。ローマのコロセウムをぐるっと廻り、まだ約束の時間には余裕のある夕べ、ラウラの住まいへ向かっていた時の感覚まで甦る。躰のあちこちから記憶の小さな花序が開き、神経叢とはちがう霊叢の回路のそこかしこにミモザの私が咲く。私たちはいつも、星々のリンパ液に涼しく浸ったベッドではなかったか。

ある時、とりどりの色どりの岩が自動車になり、その一台が先祖の若い金髪の王子を迎えに来た。王子の母はたちどころに白いチューリップに化し、それを握って彼は車に乗り込んだ。だから私たちには、チューリップリキュールがいまでも合う。幼時の古い家の裏で、女中のセツコがお祈りを捧げてから、束で持ってきた白いチューリップを大きなガラス瓶の強い酒に浸けこんでいた。ナイチンゲールの声を聴きながらイギリスの夜の真っ暗闇の中、ごつごつの低い石塀に座って透明な肌のジェーンと寄り添っていた頃の香りが車窓から入る。この街区にジェーンと名付けよう、乾杯。自動車のボディーにはきっと、トワイライトの空の深青が走り、ジェーンの感情の色彩が幾本も線を引いているだろう。甦りの色彩の中にはシルクハットを被っているものもあるが、たいていはレカミエ風のゆるやかなローブを纏っている。

私の心はラナンクラス。オレンジ色も強く、風は、き、ら、い。墓にひとりで行け、テルアビブから来た娘。いつか、ローマのカタコンベの外光の射す一角で、との約束はきっと果たすから。

夢見ることが、まだ、あるのか。大通りから小道に入り、自動車はスピードを落とす。走り続ける自動車には誰も乗っていない。速度は青い麦の穂の、腰にさわさわ当たる時の長さ。宇宙に思いを馳せない年頃の姉を慕って、いつのまにか速度を速めてしまっていた。ヒナゲシが成りかけの天使たちをよく救う。微風に揺れるスカートの断片。少女は裸。暗闇の底でひかり続けるために。透明ビニールのブックカバーを、だから、いつも持っている。少女を見つけたら、片方の平たい乳房にそれを押しつけ、思いっきり泣きわめくホムンクルスを、心の地下2階の隅のスタッフルームのロッカーのひとつから引きずり出して、用意してきた別の芳しい栴檀の箱に押し込め直す。海が少女の腹から浮き上がり始める。

自動車がまた大通りに出る。鏡が自分探しを続けているから、サイドミラーもバックミラーも海を映すばかり。ストロベリーパフェも。ラムレーズンアイス、微粒ダイヤの鏤められたティースプーン、使われないまま半世紀経た誕生日プレゼントのブラウンのリボンも。走り続ける自動車から、日に二度三度、大通りで鍵を放つ。その時だけ鍵は輝くイエローの魚になるから。その魚たちが都会に散って、いつか、やわらかい公園に群れ集まる。人もみな数センチ宙に浮き、水の速度を思い出しながら、さわさわとおしゃべりもするだろう。まだ間がある。黒い大きな男物のマントを着て顔をすっかり隠し、目だけ出して待つ異国の女神が待つ一角まで。いつも私たちのかたわらに浮いているボーンチャイナの、その女神の腋の肌のような白のカップが、春の桃園の空気を注入したマカロンの香りを立てて唇に近づく。

希望は黄色い新聞紙で包まれている。黄緑色の新しい空気入れを使って、マロニー夫人にも、また空気を入れてきた。知性の皺は取れづらく、鏡はきまって「美人だよ、今日も」と告げる。黒い峠を黒いふたりで思い描くが、越えに行かず、トレビの泉でなにかを我慢してしまって。トイレに未発見の聖女を探しに立とうとするが、カサブランカが目の前に急に立ち、道を塞ぐ。無性に透明の土を開発したくなり、あらゆる観葉植物の根が見える花屋をプラハあたりに開きたくなりはじめる。

本当は、誰に会ったのか?これが私の手である訳は私こそがいちばん眺め続けたから。生れてしばらくは、きっと私の手ではなく、母の手だっただろう。生後数カ月の私を最も可愛がったのは隣りの20代の、少し知的障害のある美しい女だったと、つい昨日、87歳になる伯母が洩らした。母も伯母もその女にどこかで到達したがったらしいが、若草の中を飛ぶウスバカゲロウのような頬の女は、ついに一度も私に頬ずりはしなかった。そうして、苺の肌を細い針で傷つけるのを好んだ。食べずにすべての苺を森林公園の小川に流しに行き、群れている小さなオタマジャクシの上をゆっくり滑って行くのを愉しんだという。哀れ、生けにえの苺たち、汝らのための大きな墓を造ろう。蓬の建築家を招き、まずモグラの係累たちに宴を任せて、イモリの腹にわが執事たちの性器を乗せて、ひたひたと憩わせてから。

さわさわとさえ音を立てずに揺れる萩の葉の繁りの中を、あの夏、この初秋、どこへ本当は向かおうとしていたか。途中の庵でお茶を頂き、私たちはしばらく畳に座ったまま、人生の今を少し掴み損ねたかもしれない。螢がブローチやペンダントになったまま、上半身がいつも6月のままで、と途中下車した田舎の、確か里子さんという宿の娘が洩らした。つやつやに磨かれた黒い廊下の階段のところで私の腕に凭れかかって、あれはブルーオリヤン、東洋の青、というのか、深く晴れやかなところのある河が里子さんの胸からゆっくり流れ出していった。白い柔らかな、ゴムのようなビニール装の表紙の中型辞典が触りたくなって、私は高い塔の上に立ち、そこから足を片方伸ばして河のおもてに靴の裏をつけたり、離したり。まだ生れていなかったのを、そうしながらようやく理解していった。

墓の細い径をどこまでも行く自分の背中だけが見える。どこまで独りだろう。遠いココアの香りがする。太い縁の眼鏡にしておいて、よかったとジェーンが言ったのが、切れ切れに甦る。よい色合いの鼈甲のようなフレームの眼鏡を作ったばかりで、すこしうきうきしてミラノの路地にふたりして折れたところだった。干したりない鱈を何枚か貰って、寂しい浜から国道に出る。靴に少し入った砂は、アウグスチヌスの灰の一部。絹の大きなスカーフを巻いてきてよかった、この寒さだものね。もっと厚手のマフラーが欲しいが、これはインドネシアのなかなか良いバテイックなのだ。森のように木々の繁った庭のあるウブドのレストラン、あの仄暗さの中ではナシゴレンの甘さがあらゆる謎への解答のようで、心のすべてがずれることなく合致していた。離れて置かれた大きなテーブルの上の蝋燭の灯が、しばし憩うことにした人魂のように揺れる。知っていた?、人魂と霊は違うのよ。精神と意識だって違うのよ。それらを定義することで終わる生も無数にあるのだ、ドイツ語の冠詞の研究で生を終えた教授たちの遺骨だけを集めて祀る墓があるそうだが、青山先生の骨は誰か分骨して、あそこに入れたのかしら?… 

海が荒れてきている、見たまえ、ポテトサラダを買って帰ってくるあの娘。髪が風に吹き乱されて、もう夜明けのようだ。天使も待ちわびているだろう。自動車は、だから、走り続けている。動くもの、動かぬもの。運動様態の量にも不変の法則がある。君がそこに動かずにいることで、地球の裏の暴動の運動性が保証されるのだ。名を忘れたが、可憐な野の花よ、濃い緑の葉に守られて汝らは今生を全うせよ。そういう輪廻の瞬間もある。くり返されることのない期限付きの時間。



2012年8月22日水曜日

あなたは



    Word alone are certain good.
                 W.B.Yeats :The Song of the Happy Shepherd



誇りもなく書く
矜持もなく書く

なにを書いているのか
日本語ではあろうけれど
詩なのかどうか
詩でなくても書く
自分こそ詩人と思い込んでいる人たちの
軽侮をいくらでも浴びながら

書くとはどういうことか

昨日書いたメール
さっき書いたメモ
先週いきおい込んで書いた詩
それらのいちばん最後の文句から
いちばん最後の思念の余韻から
わずかでも
もう一歩
言葉の足で踏み出すということ

それだけのことだが
もし言葉を使って人がなおも生き続けるなら
ご大層なこと
衣食住より
もっと基本かもしれないこと

―で、あなたは
どうして
書かないの?
書かないで
済むの?

(書カナイナンテ
(書カナイデイラレルナンテ
(ソンナ激烈ナ非常識
(ソンナ非人間ノ極ミヲ
(ヨクマァ
(ヤッテラレルモンダネ

あなたは

あなたは



2012年8月20日月曜日

生きることはどこに転がっているだろう



生きることは
どこに転がっているだろう

込んだ列車から降りた時
駅の柱のわきに落ちていた
キティーちゃんの小さなストラップ

いつもよりちょっと遠くに
サンドイッチを買いに出た街角で見た
外国の女の子のスカートの
鮮やかなプリント柄

混雑するデパ地下で
高価なおいしい惣菜を買って
知りあいの入院する病院に
助カラナクナルカモシレナイ…とも思いながら
急いでいく時の
夕雲の壮大な光景

たまの数日の休み
片付けや掃除のさなか
ふいにいつもと違う雰囲気で
やわらかい清潔な
畳まれた死体のように
整理ボックスに静まっている
たくさんの衣類

仕事や用事や人づきあいに追われ
こんな日々のくりかえしでは
生きているとはいえないと思い
自分も
よりよく生きる希望も
投げ出してばかりだけれども

生きているのかもしれない
生きてきたのかもしれなかった
気づきが追いつかないだけで
生きることに
たっぷりと
本当は浸されながら

死んでいった人たちの
いつもより
もっともっと
顔の力を抜いた
深い忘却の眠り顔の秘密は
それに気づいたこと?

死の間際になって
大急ぎで宿題をするように
全人生分の気づきを
駆け足でやり終え
ホッとした顔なのかもしれない

どうこう言っても
生きてきたじゃないか
あんなにも
生きてきたんだった…

そんなふうに安堵し
生きることの本を
ゆっくりと閉じたような
あれらの顔


2012年8月19日日曜日

われわれは常緑する ついに



森のはずれ
悲惨はたくみに隠匿され
ぬくもりさえある
手ざわりの木製の皿に
幸福な家族でもいるかのように
よそられる
卵料理

すべて
自分の心から来る
とは嘘
やわらかに
あるいは不可視に
奴隷制を支える者たちの
つねに鼓舞する口調
目をしたがって逸らせいつも
影に角や尻尾を
見てとれるように

いつまでも
森の中にいるわけにもいかない
木々さえない
岩の高みに
青い花をやはり
探さねばならないから
対岸の見えない
大河に立たねばならないから

死んだ者たちが
ようやく心の奥に静まった頃
感情の衣を一糸纏わず
かたわらに立つ死者たち
すでに生者より近く
アルファであり
オメガ
動きはもう手放されてよい
閉じず
隠遁せず
籠もらずに
われわれは常緑する
ついに
高低もなく
大気へ
ほぐれていく
また
凝っていく
霧靄の秘術を
わがものとして



2012年8月18日土曜日

曇った夏の日



暑さがすこし薄れ
朝まだきより曇り空
昼前には激しい雨となった

午後には雨もやんで
静かに
静かに
蒸してきた         

たまに涼しい風が来る
吊るしてある風鈴の
短冊が揺れるが
それでも音の立たないほど
よわく

真夏の雑草は茂り
あちこちで
虫の声がやまない
目を瞑れば
懐かしいところからの
遠い貴重な音のよう

子供の頃なら
はっきりしない
いやな天気と思ったか
しかし
曇った夏の日も
やはり夏の日

一年の最も元気な頃の
思い出となるべき時間が
まだ思い出となり切らずに
空と地面のあいだを
湿り気となって
ひと気のなさとなって
生きているところ



2012年8月17日金曜日

とりあえず…



捨てていくしかない親…
というものも
ある

親はやはり親だから…
親はだいじだから…

そう言い張る人に
押しつけてみたことがあった

あの親…

なにかの
あつまりの時に

いつものように
自分の生まれ育ちをほこり
自分の父がどれだけ大物だったか
どれだけ甲斐性ある放蕩者だったか
自慢をつらね
相手を世間を蔑視し
もちろん「今どきの…」を連発し
最近の旅行の詳細を語り
子供を愚弄し
その他どうやら
いろいろ…

あんなに言い張っていた人は
もう
なにも言わなくなり
親称揚の一般論もひっこめ
話をむけると
「まぁ、あれはちょっと…」と
逸らすようになった

「どうです?
つぎの生まれかわりの際にでも、
ご自分の親として、いかが?」

そういうと
「洒落にならない、
ってんだよね。
そういうの…」
と言って
黙り
「いや、ほんとに。私なら殺しちゃうと思う。
あんなのが
よく生きてるよねえ…」
ぽつり

一般論で
済まないことが
世の中
いっぱいあるっていうことで
〆ておきますか?
とりあえず…

2012年8月16日木曜日

アングレームだったか



アングレームだったか
ポワチエだったか
それとも
ランスやアミアンだったか

ホテルで目覚め
窓をあけて下をのぞくと
小さな中庭に面して
数階下の部屋の窓も開けられ
男がひとり
窓辺に立っていた

よく見ると
体の前で棒状のものを握り
てのひらを前後に動かしている
自慰しているのだ

棒状のものはよく見えるが
木でもない
金属でもない
色もはっきりしない
やわらかさのある
判別しづらいものに見え
男のてのひらは
ゆっくりと
ゆっくりと前後し続ける

窓枠にもたれ
すこし体を乗り出して
見続けるうち
男はてのひらの動きを止め
こちらのほうをふいに見上げた

男の顔がこちらに向く前に
ほんのすこし早く
部屋のなかに身を戻したので
見られなかったと思う
男の目は
数階上で開いている窓を
ただ捉えたにすぎないだろう

しばらくして
もう一度見下ろしたが
開いている窓に
男の姿はなかった

邪魔してしまったかな
と思ったが
女のいない朝は
まだ
いくらも男に来るだろう

ちがう場所のホテルで
しずかな朝
窓を開け
朝の気のなか
また
機会は来るだろう
今度は
どこで?

ナントで?
あるいはニース?
ブザンソン?
グルノーブルで?