2024年7月29日月曜日

Et je vis : c’était un cheval blême.

 

 

 

たしか

アテネ・オリンピックの時だと思う

2004年だったか

 

開会式を

最初から最後まで

ぶっとおしでしっかり見た

中継を日本で見ると

深夜から夜明けまでの時間帯だった

 

これが

あまりにつまらなくて

疲れ切ってしまい

以後

オリンピックの開会式は見ない

二度とつき合わない

と決意した

 

だいたい

どこのオリンピックも

その土地の伝統的なダンスだの何だの

地域観光協会協賛みたいなことを入れ込んでくるし

その国のお国柄をぶち込んできて

小さな万博っぽい催しに持って行く

 

そういうのが嫌いで

つまらなくて

ああ、アホラシ……!

と最初から白け切るタチなので

開会式なるものがつまらなくしか感じられないのは

あたりまえと言えば

あたりまえ

 

なので

慾まみれの汚泥そのものの

穢れ切ったあのトーキョー・オリンピックの開会式も

一切

見なかったし

2024年のパリ・オリンピックの開会式も

まったく見なかった

 

そもそも

リアルタイムで見てる暇なんて

まったく

ないし

 

ところが

情報屋であり工作員でありスパイであり

超陰謀論者であり都市伝説収集家であり無限オカルト探究家であり

現実に神秘家で

DSの上に立つメタDSであるわたくしであるから

全世界のSNSやめぼしいYouTube

ネット内の情報のほぼ全部を網羅している関係上

パリ・オリンピック開会式に関するあれこれのお話は

舞い込んできてしま

それで

事後譚として

こんなこともあんなこともあったのね

今になって楽しんでしまっている仕儀に

相成り候

 

 

ヨハネの黙示録67にある

 

見よ

青白い馬が現れ

乗っている者の名は「死」といい

これに陰府が従っていた

彼らには

地上の四分の一を支配し

剣と飢饉と死をもって

更に地上の野獣で

人を滅ぼす権威が与えられた

 

をそのままイメージ化したような

馬に乗った騎士像を

これから世界に訪れる破滅のイメージの予告として

受けとめるのは

まあ

五島勉のノストラダムス本にハマるごとき

都市伝説大好き系や初級オカルトファンたちの

基本のお作法であるが

あながち

こういったイメージ化をちょっとは真に受けておく必要もあるかもね的な

受け止めの

別のお作法もそうバカにならないのは

2012年のロンドン・オリンピックの開会式で

はっきりと

その後の偽コロナ・パンデミックの予告がなされていたからではある

 

そもそも

近代オリンピックの創設者とかいわれる

クーベルタン男爵やその他の主要メンバーが

みな

フリーメーソンだったことを思い出せば

開会式を使って

近未来に起こる事態の予告をしておくのも

いちおう理にかなってはいる

 

え?

開会式に出てきた馬と騎士は

「青白」くなんかなくて

むしろグレーっぽく見えたり白く見えたりしたけれど?

という

都市伝説系言説にすぐには流されないぞ系の

ちょっと注意深い観察者クンに

いちおう

字義の細かいことに関わるつまらぬぶつぶつ事を言っておくと

あの「青白い馬」は

「ヨハネの黙示録」のギリシャ語のchloros(クロロス、緑)が

英語ならばpale(ペール、青白い)と訳されたわけで

(ちなみに手元にある国際ギデオン会の英訳もそうなっている)

翻訳者によっては

「病的な緑」と訳したり

「白よりもむしろ灰色」と訳されたりしうるもの

 

なので

グレーっぽく見えたり白く見えたり

というのは

可能な色彩使用の範疇に入っていると言える

 

今回の開会式はフランスで催されたものだから

全世界キリスト教会訳(Traduction oecuménique)

フランス語訳でも見ておいてみると

 

Et je vis : c’était un cheval blême.

Celui qui le montait,

on le nomme « la mort »

et l’Hadès le suivait.

 

 そして私は見た。それは一頭のblêmeな馬であった。

 それに乗っているのは

 「死」と呼ばれる。

 そして、ハーデース(ギリシャ神話における冥界の神)

 それに従っていた。

 

blêmeというフランス語は

辞書によりいろいろな語義はありうるものの

これも手元にある簡易辞典Le Robert Microによれば

D’une blacheur maladive

すなわち

「病的な白さ」とあるから

いきなり蒼系のイメージに持って行き過ぎるのも

偏向し過ぎといえる

パリ・オリンピックの開会式で使われた

グレーっぽく見えたり白く見えたり

というイメージで

べつにかまわないわけである

 

なので

都市伝説系の牽強付会大絶賛的解釈も

今回のあの馬と騎士については

けっこう行けまっせ!

なのではある

 

ただね

インドからカリフォルニアに宣教に渡った

パラマハンサ・ヨーガナンダ師の

霊的師匠にあたるスワミ・ユクテスワ師などは

キリスト教の聖書には

予言や歴史などとは違う霊的修行の過程が比喩を用いて描かれており

とりわけ『ヨハネの黙示録』は

個人の霊的成長過程が説明されている

と明言していたりするので

旧約聖書も新約聖書も

予言の書として見るというのは

霊的には完全に誤った使用法である

ということになる

 

言葉ではまったく説明不可能な

あまりに多くの層や境域からなる霊的深層の探究や

それらを引き継ぎながらの霊的進化をしていく上では

『ヨハネの黙示録』のような表現を採らざるをえなかった

と考えるのが

霊的修行を行なう者の基本姿勢ではある

 

しかも

初期キリスト教というかたちでの修行者たちに

過酷な弾圧が行なわれていた時代なので

サッと読むような者が容易には読み解けない象徴的表現を駆使して

霊的修行階梯をテキストに潜ませる必要があった

 

霊的修行者にとっては

新約聖書と旧約聖書の間に断絶はなく

そもそも

仏教修行を経てから

パレスチナの地で指導を開始したイエスの波動を伝えるものなので

キリスト教の本質には仏教がぴったりとしみ込んでいる

イエスだけでなく

古代ユダヤの預言者たちが

何度も

地上の王国ではなく天上の王国に富を積め

といったような言葉を吐いているのを忘れるべきではなく

彼らの教えは

地球上の平安や繁栄や富などに向けられたものではない

新旧の聖書を

完全に霊性開発のためのテキストとして読む時にのみ

霊性開発のための指導霊たちは

現世の人間たちに降りてくるだろう

 

さて

パリ・オリンピックの開会式にまつわる

あれこれの贅言は

また

べつの機会に

おしゃべりすることとしよう

 

 





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