命はなによりも大切だとか
一瞬一瞬が大事だとか
生きていることはなによりの恵みだとか
やすっぽい人生標語は
どんな時代にもポンポンと
子どもだましの打ち上げ花火のように
世間の中空に打ち上げられる
そういう歌謡曲のチープな歌詞ふうの
人界での言葉あそびをいったん受けとめた上で
一瞬一瞬にはなんの価値もなく
生きていることはどう転んでもただの幻で
命になんの価値もないことなど
人間が毎日殺している家畜の命を思えば
あまりに明白で
本当に生の一刻一刻には
なんの価値もない土田舎の幻灯芝居に過ぎない
と断じて日々の流れや
物事の発生や連鎖を注意深く眺めて見ることは
まことに方法的に面白い
どうやらデタラメでなどなく
価値のないわけでもなく
自分で演出しているのでもないのに
見事に合成効果を発揮して
プリズムのような意味作用を醸し出している現象界が
逆にありありと見えてくるからだ
意識は今の瞬間しか見ることはできず
過去や未来をあわせて見通すことなどできず
もちろん過去-現在-未来の構造やそこに潜む意思を
見抜き続けることもできず
ましてや生成の絶えざる転変の諸相を
あまねく掴んでその中に最良の道を見出すこともできないが
そうした限られた狭い視野としての意識を変容させたり
効果的に破壊しさえすれば
はるかに広い視野となる超意識を
獲得できないわけでもないだろうと
やはり希望させてくれるところは残っている
そうした超意識への到達は
グルジェフ的な強固な意志にもとずく霊-心-身の実験によって
もちろん手に入れるべきなのかもしれないが
故意に現象界の流れに身をぴったり委ねて
流されたり揺動されたり止められたり叩きつけられたりするのも
もし一瞬一瞬の観察を徹底させていれば
意外とスムーズに達せられるかもしれない
たとえば
ふと過って水の入ったコップを落してしまい
床に水をぶちまけてしまう
自分の腕がやらかした失敗にちょっと機嫌を損われ
雑巾を出してきて床の水を拭き取る
そんな何でもない当たり前の作業をするうち
水が雑巾に吸われて拭き取られていくことの奇妙さや異様さ
あるいはとほうもない豊かさに気づかされ
水と雑巾がしばらくの時のあいだに作り出す宇宙に
心の上の霊を引き上げられるような気になる
これに気づけば
ここには超意識への入り口が開ける
私の場合は
こうした水と雑巾の宇宙への気づきの後に
こんなこともあった
拭き取り終わってコップを棚に戻そうとした時
コップがさっきのように水を湛えていて
雑巾のほうはといえば
使用前の渇き切った状態に戻っていた
そればかりか
時計を見てみると
拭き取り作業をはじめた時よりも
ずいぶん前の時間であり
さらに驚いたことには
もう何十年も前に住んでいたことのある
気に入っていた美しい家の
やや金色がかった清潔なキッチンの中にいるのだった
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