2026年10月28日水曜日

「仮想現実的」


 

 

死について

ほとんどの人間は

まったく

真相を

把握できていない

 

死ぬ時

なにが起こっているのか

 

多くの人が持ちがちな

不確かな死の観念によれば

肉体から霊魂が抜け出し

肉体が属していた物理的領域から離れ

霊魂だけの活動場の法則に

以後は従う

とされがちである

 

物理的世界や

肉体領域の法則に束縛され続ける意識が

おのずと作り上げがちな妄想の集大成である諸宗教や

生活習俗から

こうした死の観念は発生してきやすい

 

しかし

肉体から霊魂が抜け出すというイメージ自体が

すでにきわめて物質的であり

物質性を持たないはずの霊魂の説明には

適切ではないし

「霊魂」とひと言で言ってしまう実体についても

ルドルフ・シュタイナーや

オカルトのその他の流派では

幾層もの区別の存在を指摘している

彼らとても

霊魂の説明については

きわめて物質界的な表現をしており

霊魂の本来の性質にふさわしい説明の方法は

まったく確立していない

それも当然で

言語や思考自体が物質的なものであり

物質的なもので非物質的なものを把握しようとする際には

唯一比喩的なアプローチをする他ない

イエス・キリストはつねに比喩を用いて教えたが

人界の言葉を用いるかぎりにおいて

どうしてもそのようになる

しかし比喩は

一度用いはじめると

比喩の世界に絡みついている多義性の宿命を

全力で発揮しはじめる

キリストなどが用いた比喩を

真意に近く理解できるようになるには

解釈者の側に同レベルの経験と理解力がなければならないが

それは結局

解釈者のほうでも

キリストと同じレベルに

達していなければならないことを意味する

比喩による伝達は

同レベルの発し手と受け手による対話ということになる

 

死とはなにか

 

肉体を霊魂が抜け出る

といったイメージのものではまったくなく

そもそも

肉体とか霊魂とかを分けてイメージしようとする

意識の判断装置そのものの消滅である

と捉えることから始めたほうが

いいかもしれない

 

じつは

肉体も霊魂もなかったのであり

肉体界や物質界に意識があると信じ込んでいた時にのみ有効

であった

仮の世界把握イメージであった

と

 

肉体をも霊魂をも創作していた運動体があり

その運動体が

それまで使い慣れてきた肉体や霊魂のイメージを手放して

イメージなき運動へ進む瞬間を

おそらく死と呼んだほうがよいだろう

と

 

現世の側

いわゆるこの世の側に残っている者から見れば

だれかの死の時

そこには死体が残り

死体を置いて霊魂はどこかへ去ってしまった

と見えるが

物質によって視界が構成される現世やこの世は

遠い恒星の光を受けとめるのに似た

そもそも非常に遅れた印影によって構成されているスクリーンであり

見方を変えれば

現世やこの世こそが

むしろ死の領域そのものである

と

 

死にも似た

眠りから目覚める時にも

はたして本当は

なにが

起こっているのか

 

起きている時に

すべてのものの基本ベースと捉えられがちな現実は

現実用に意識が再構成される時にのみ立ち上がる画面内の映像に

過ぎないのではないか

 

現実

という仮想現実に

いつまでも素直に騙され続けていく生き方を

多くの文化において

「現実的」と呼んでいるのは

哀れでもあれば

当然の帰結でもあり

皮肉であり

涙ぐましくもあり

真相把握からのあまりの乖離を思えば

悲惨だが

この世や現世で

「現実的」と呼ばれてしまいがちな思考や認識や言動を

とりあえずは

「仮想現実的」と呼び変えることからしか

より真の生の可能性は

来ないだろう

 

 

 

 


0 件のコメント: