LINEで繋がっているピアニストに
YouTubeの
濱田あやの『ゴールドベルク変奏曲』演奏を送り
https://www.youtube.com/watch?v=xIc33Ulexao&t=559s
ジャン・ロンドーJean Rondeauの演奏も送り
https://www.youtube.com/watch?v=1AtOPiG5jyk
https://www.youtube.com/watch?v=OVdtmPoXX3c&t=325s
ついでに
ティボー・ガルシアThibaut
Garciaと
アントワーヌ・モリニエールAntoine Morinièreの
ギターによる演奏も送ってみたら
https://www.youtube.com/watch?v=mxqNzYPBn6s&t=1161s
おかえしに
ベアトリーチェ・ラナBeatrice Ranaの
『ゴールドベルク変奏曲』演奏を
送ってきてくれた
https://www.youtube.com/watch?v=taXra5Qrg4E
https://www.youtube.com/watch?v=2H6BwVpvNFw
ちょっと
驚きだった
ベアトリーチェ・ラナは
昨今
ぼくも注目しているピアニストだったから
バッハのチェンバロ協奏曲が大好きで
1990年代に熱中して以来
さまざまな演奏を集めてきていて
今でも新しい演奏を探して聴き続けているが
そんななかで
ベアトリーチェ・ラナの演奏は
バッハのチェンバロ協奏曲好きにとって
勘どころを心得た演奏をしていて
おやおやおや!
これはちょっと他のピアニストとは違うぞ
と気づいていたから
https://www.youtube.com/watch?v=dOsMjIOSqH4
好きな演奏家を
こうして
音楽のわかる誰かと共有できるのは
うれしい
しかも
このLINE繋がりのピアニストは
若い時にメシアンMessiaenに呼ばれて
パリのコンセルヴァトワールに留学した人なので
玄人中の玄人なのだ
この頃気に入ってる
アレクサンダー・マロフェーエフAlexander Malofeevや
https://www.youtube.com/watch?v=uc3AkWPDGpg
ポリーナ・オセティンスカヤPolina Osetinskayaの演奏も
https://www.youtube.com/watch?v=KiUy5WBHRK4
https://www.youtube.com/watch?v=IwsTSkGHdoI&t=17s
さらに
おかえしに
もうひとつ
ヴァディム・コロデンコVadym kholodenkoの
粒立ったパーセルのGround in c minorも
送っておいた
https://www.youtube.com/watch?v=2IP8Nvi_p8c
パーセルは大好きだが
36歳で病死した
バロック期のこの大作曲家の曲を聴いていると
彼の早すぎる死のことがちらついて
不必要なまでに
悲愴さを曲の背後に聴き取ってしまおうとしがちになるし
深いところで
どこか
意識が乱されるような感じがしてしまう
そんな
悲愴さと乱れを保ちつつ
Ground in c minorを聴く時には
ヴァディム・コロデンコの美しい名人芸よりも
アレクサンダー・マロフェーエフの
まだ若いというのに
衰亡と枯淡を指先から香らせはじめている演奏や
https://www.youtube.com/watch?v=uc3AkWPDGpg
ポリーナ・オセティンスカヤの
どこか朴訥な
即物的な点描的演奏のほうが
ふさわしいような気になる
https://www.youtube.com/watch?v=KiUy5WBHRK4
死
死
死
ということとパーセルを結びつけて
思ってしまいがちになるのは
彼が若くして逝ってしまったからだけではなく
キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』で使われた
『メアリー女王のための葬送曲』
(Funeral Sentences for the Death of Queen
Mary)
の印象の強さもある
https://www.youtube.com/watch?v=AVVpIoeBAO4
https://www.youtube.com/watch?v=87w599dyp3g
https://www.youtube.com/watch?v=xWRcx9LHBJU
https://www.youtube.com/watch?v=5e3izA4EsJk
もっとも
パーセルの死については
真偽不確かな
というより
まず外れているであろう伝説として
こんな話もある
大変な酒好きだったパーセルが
外で酒を飲んでばかりいて
なかなか家に帰ってこないので
妻が怒って
寒いある夜に
家に入れないようにしてしまった
しかたなく外で夜を明かしたパーセルは
風邪をこじらせて死んでしまった
というものだ
この話が
まず
違っているだろうと思われる理由としては
パーセルが閉め出されたらしい日は
ロンドンの天気はよかったという記録があることもあるし
死の数ヶ月前から病気だったということもわかっており
さらには
死の直前に走り書きした遺書には
全財産を愛する妻に捧げる
と書かれてもいる
ということも
ある
死んだのは
1695年11月21日で
埋葬は26日だった
葬儀はウェストミンスター寺院で行われ
パーセルが教会音楽をたくさん作っておいたおかげで
彼自身の音楽で包まれたという
費用はウェストミンスター寺院が出してくれたというのだから
お得だったというか
役得だったというべきか
ところで
1900年代になると
パーセルは
急に
日本に親しい存在になってくる
パーセルの作品を多く含む楽譜の写本が
1917年(大正6年)に
徳川侯爵に売却され
侯爵家の文庫に
収められたのだった
この文庫とは
1901年に当主だった徳川頼倫(よりみち)が
麻布飯倉の自邸敷地内に開設した私設図書館「南葵文庫」で
ここには
代々伝えられてきた古文書・典籍類が収められた
「南葵」は
紀州徳川家のことを意味する
日本のものが収められたはずの「南葵文庫」に
ヨーロッパの楽譜が収められることになったのは
長男の徳川頼貞がケンブリッジ大学に留学し
音楽学を修めたことによる
頼貞はロンドンで
1917年
合唱指揮者・音楽史家のウィリアム・ヘイマン・カミングズの
旧蔵楽譜・古書籍類がオークションに出たのを幸い
巨費を投じて購入した
この中に
ヘンリー・パーセルの歌劇『ダイドーとイニーアス(ディドとアエネアス)』の
現存するものとしてはおそらく最古の筆写譜を含む
17~19世紀イギリス音楽の
貴重なマニュスクリプトが数多く含まれていた
帰国すると頼貞は
洋風の本格的な音楽ホールを建てて
地下に音楽図書館を併設する壮大な夢を持った
そうして実際に
1918年
日本初の洋楽専用の音楽堂と音楽図書館を設立した
当時の日本では
演奏会を催せる場所としては
上野の東京音楽学校の奏楽堂があるばかりであり
さらには帝国劇場が
多目的ホールとしてリサイタルに使われるぐらいで
音楽専用のホールはなかった
という
頼貞は
手書き楽譜を含む膨大な
かつ貴重な
音楽資料をひろく一般に向けて公開した
父の徳川頼倫侯爵から
「徳川たる者
人様から金銭を貰ってはならぬ」
と固く教えられていたので
閲覧料は一切取らなかった
音楽堂で催されるコンサートもすべて無料で
日本近代の音楽文化を進めるのに
多大の寄与をしたことになる
もっとも
世間からは
「湯水の如く散財する道楽好きの殿様」
と馬鹿にされていたらしい
希有の貴重な存在であり
試みだった
この南葵音楽堂と音楽図書館は
しかしながら
世界大恐慌による経済危機のなか
徳川侯爵家の衰亡によって
1931年
閉館となった
その後
父の徳川頼倫侯爵の建てた「南葵文庫」のほうは
熱海の伊豆山に移築され
「ヴィラ・デル・ソル」という名の洋館ホテルとして営業されている
という
作曲家ベンジャミン・ブリテンは
1956年に来日し
パーセルの『ダイドー』の古譜面を求めて奔走した
という
ブリテンの要請で
1958年から59年にロンドンで催された「パーセル三百年祭」の際
『ダイドー』の古譜面は里帰りを果たした*
*徳川頼倫と徳川頼貞、「南葵文庫」と南葵音楽堂と音楽図書館については、沼辺信一氏のブログ「私たちは20世紀に生まれた」から、面白く貴重な文章の内容を全面的に使用させていただいた。
https://numabe.exblog.jp/7886455/
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