ゆたかに
ふんだんに
いかにも華やかに
対立の世界や
矛盾の世界や
闘争の世界が
地上には
展開されている
荘子ならば
こうした世界を観照し
諦観することで
「無為に任放し、塁外に逍遙する」だろう
そうして
絶対的一の世界に
入ろうとする
しかし
曇遷(542-607、東魏・興和四年―隋・大業三年)の
『亡是非論』には
こうある
「若し『是非』の対立の立場をあやまりであるとし、
それをこえた『無是非』の世界が正しいものであるとするならば、
それはほんとうのものではない。
『是非』対立の立場を悪んだり、拒否することは、
すなわち『是非』のとりことなっているのだ」*
「絶対」が「相対」に対立する時
それは
「相対」に対立しているかぎりにおいて
みずから「相対」となっている
真の「絶対」は
「相対」をそのまま自らとして
「相対」即「絶対」でなければならないだろう
是非対立の世界を離れて
別の世界を求めるのは
曇遷のように考える仏教者の道ではない
彼はむしろ
現実の対立と闘争の世界がそのまま仏の命である
と考える
対立と闘争の世界に
「無心」に住するべきだと
彼は考える
この時代の仏教者のいう「無心」は
「無執着」
ということであっただろう
曇遷のこうした論を見ると
この頃の中国仏教は
荘子を超えたのではないかと思われてくる
きわめて実践的な
サバイバル思考に突き抜けた感がある
曇遷は饒陽(河北省)の人で
曇静の下で出家し
『勝鬘経』を学んで具足戒を受けた
鄴都では曇遵に学んだ
林慮山に隠棲して
『華厳経』『維摩経』『楞伽経』『地持経』『起信論』を研究し
道場寺では唯識を研鑽した
彭城の慕聖寺、建康の開善寺で『摂大乗論』を開講し
長安に移ってからは大興善寺で『摂大乗論』の普及に努めた
この努力により
北地の唯識研究は
『十地経論』から『摂大乗論』へ移った
といわれる
*『仏教の思想6 無限の世界観〈華厳〉』(鎌田茂雄・上山春平、角川ソフィア文庫)p.109.
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