2025年5月3日土曜日

初月

 

 

 

この数日

ふと夜空を見ると

三日月の浮いていることが続いた

 

心情を極力込めずに

三日月を詠った

詠物の詩が杜甫にある

 

 

  初月

  光細弦初上  
  影斜輪未安  
  微升古塞外  
  已隱暮雲端  
  河漢不改色  
  關山空自寒  
  庭前有白露  
  暗滿菊花團  

 

光細くして 弦 初めて上なり
影斜めにして 輪 未だ安からず
微かに古塞の外に升(のぼ)り
已に暮雲の端に隠る
河漢 色を改めず
關山 空しく自(おのずか)ら寒し
庭前に白露有り
暗に菊花に滿ちて團(しとど)なり

 

光っているところは細く 

弦が上向きになり出したばかりだ

月のすがたは斜めになっていて

輪のかたちははっきりしない

古い塞のむこうに

わずかに上ったと見えたが

夕暮れの雲の端にもう隠れてしまった

月光が弱すぎて天の川の色あいは変わらず

国境の山々も照らされずに寒々と見えている

目を落すと庭先には白い露の玉があり

菊の花をしとどに濡らしているのが

暗いなかでも見える


見事な詠いぶりで

三日月を詩にしてみようとすれば

杜甫のこの詩のようには

なかなかけないのがすぐにわかる

詩においては人類史上

古い中国詩に勝るものはないが

こういう実例に何度も触れて

後世の人類は思い知り直す必要がある

 

事物のありさまを詠う詠物というジャンルは

後漢の頃から始まっているらしい

はっきりと独立したジャンルになるのは

六朝の後半頃からだという

 

日本でも万葉集時代の山部赤人が近い試みをしているが

はっきりした認識で写実を試みたのは

正岡子規やその弟子たちが展開したアララギ派の歌人たちだった

三十一音で作る短歌という小さな器は

じつはきびしく写実を心がける時に精巧なカメラとなり得る

正岡子規が身をもって示した実例に

 

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

 

松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く

 

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

 

といった

空前絶後の詠物短詩があるが

そもそも直接的な叙情表現を禁じて

対象の観察と描写だけに注力する場合

言語表現というものには

間接的な叙情を呼び起こしたり

寓意や象徴性を起動させたりする性質がある

アララギ派は実景描写に留まろうと努める場合が多かったが

この派の決定的な影響下に磨かれていった近代短歌は

たとえば初井しづ枝のこのような歌を発生させるに至った

 

弧をゑがき打ち水の飛ぶ林泉(しまのかげ萩は涼しく花こぼすべし

 

しづかさをふと照り出でて夕日なり紅葉燃えたち地には庭苔

 

青磁瓶のひびきと思ひそそぎゐる水充ちゆきて水の音となる

 

向うむき雨中に咲ける日まはりの花を緊めたる真青のうてな

 

氷塊の透きとほるなかに紫の翳としてわれ行きすぎゐたり

 

鳴きかけてやみたる蝉の籠もりゐる槇の木かげを歩みてすぎぬ

 

白き鯉の泳ぐ水深は見えながら池のおもてに夕翳つどふ

 

空間のどこよりとなく降る雪の吾を囲みて加速ともなふ

 

北原白秋に師事した初井しづ枝はアララギ派ではないが

対象凝視の厳しさは白秋ともどもアララギ派由来と見るべきだろう

ものの見方や切り取り方や言葉の選び方そのものが

そのまま叙情でありつつ幻想にまで至ろうとする境域に達している

というよりも

物は凝視すればすべてが幻であるとわかるということを

初井しづ枝の短歌は露わにしてくれている

 

カメラとしての短歌がもっとも極まったのは大平洋戦争の時だった

小さな手帳やメモ紙さえポケットに入れておけば

短歌の場合は数十首程度は書き止めておくことが可能になる

やはり北原白秋の弟子だった宮柊二は兵士となって出征したが

中国戦線で敵兵を殺した際のことをこのように書いた

 

ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す

 

三菱商事の社員として中国大陸にいた歌人の香川進は

昭和13年に日本軍とソ連軍が衝突した際の戦闘体験をこう書く

こちらも銃剣で敵兵を刺した時の体験である

 

銃剣をひきぬきしかば胃袋よりふきいづる黄いろき粟粒みたり

 

中国軍の攻撃から南満州鉄道を守る鉄道守備隊兵士だった今村憲に

こんな歌がある

 

撃ち撃ちて赤く焼けたる銃身に雪をかけつつなほし撃ちつぐ

 

機関銃を撃ち続けていると

銃身が熱を帯びすぎて鉄が赤く焼けてくる

それを冷やすために雪をかけて冷やし

そうしてなおも撃ち続ける

実戦の体験者でないとこんなことはわからないが

こうした事実を記録して三十一音に刻みつけるところに

紀貫之や小野小町などが想像もしなかった短歌の展開が起こってい

 

自宅の庭の草木を細かく見て作歌するところから成長した

近代短歌の写実技法がこれらにおいてはさらに精巧なレンズとなり

たった三十一音という小さな器の可能性を最大限に発揮している

 

航空母艦「蒼龍」に乗って真珠湾攻撃に向かった佐藤完一特務大尉は

海軍軍人でありながら短歌結社「アララギ」の歌人だったため

つとめて事実だけを書き残そうとするような

叙情どころか感情を極力廃したシャープな描写を心がけた

 

陸揚の私有物品其の中に使ひ残りし銭も入れたり

 

時来なば戦死と決めし我が部署は水準線下二・八米

 

今はしも東京の沖航過(すぎ)()とす心をただして左舷に向

 

東経百八十度今宵過ぐてふ日暮時()()は立ち来る壁の如くに

 

今ぞ知る我が作戦の内容に思はず万歳と叫ぶ兵あり

 

防水区間今は全(まった)し我が部署に空気の通う孔二つだけ


二昼夜の後に迫りし()の夜明け魚雷調整室に(チェーン)繰る音 

 

攻撃は二十時間の後となり総員入浴の令かかりたり

 

新しく下着の(たぐい)(あらた)めて戦闘部署へ階段下る

 

一次攻撃の総試運転始まりて微かなる振動はここに伝はる

 

攻撃機(かえ)りたるらし通風筒に耳あてて聞く遠き爆音

 

後部指揮所に戦果を報ずる電話口に集へるらしき人声聞ゆ

 

戦闘部署十三時間に及ぶころ耳鳴りを感じまた水を飲む

 

主計科の心づくしの赤飯を食ひ終りたり午前一時十五分

 

 

もちろん

森鴎外のような明晰な精神は

大平洋戦争の時よりもはるか以前に

こんな短歌を作ってしまっていた


大多数まが事にのみ起立する会議の(には)唯列(ただなら)び居り

 

職務上しかたなしに参加しなければならない

日本的会議の場というものを

というより

そこに居させられる自分というものを

自分のこころの停止というものを

あまりに露骨に描いてしまっている

楽しみのために短歌を読み漁る人たちには

森鴎外のこの歌はおもしろくもなんともない

むしろ下手なつまらないものに見えるだろうが

対象を凝視してできるだけ正確に描くとともに

それへの自らの反応も読み込むという観点から見直す時

森鴎外はここで空恐ろしいまでの達成をしていると

見直しておく必要がある

 

 




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