2025年5月18日日曜日

造化にしたがひ四時を友とす

 

 

 

 

見る処、

花にあらずといふ事なし。

おもふ所、

月にあらずといふ事なし。

 

松尾芭蕉は

『笈の小文』でこう言うが

至言であろう 

 

其貫通する物は一なり。

しかも風雅におけるもの、造化にしたがひ四時を友とす。

見る処、花にあらずといふ事なし。

おもふ所、月にあらずといふ事なし。

像、花にあらざる時は夷狄にひとし、

心、花にあらざる時は鳥獣に類す。

夷狄を出、鳥獣を離れて、

造化ににしたがひ造化にかへれとなり。

 

芭蕉から遠く離れて

しかし

それでも

芭蕉に良く繋がって

立原正秋は

『あだし野』に

こう書いた

 

慰めはいたる所にあった。

一木一草が慰めであった。

 

かれらの知らない

現代の一刻一刻に沿いながら

思うのだが

アスファルトの歩道でも

粉塵たえない通行量の多い車道でも

四角四面の冷たいビルの中でも

「花にあらずといふ事なし」と

たびたび

思わされる

 

そうして

やはり

「慰めはいたる所に」ある

「一木一草が慰め」であるばかりか

コンクリートの角も

古い住宅のモルタルの汚れた壁の染みも

土管工事後のアスファルトの盛り直しも

視野の狭そうな若いサラリーマンたちの

どこかツンツルテンのズボンも

「慰めであった」

 

「花にあらずといふ事なし」

 

「月にあらずといふ事なし」

 

そして

終局

こういうことだ

 

「風雅におけるもの、造化にしたがひ四時を友とす」

「造化ににしたがひ造化にかへれとなり」

 

 

 



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