2025年5月5日月曜日

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候


 

 

主なる神はこう言われる。

災いに続く災いが来る。

終わりが来る。

終わりが来る。

終わりの時がお前のために熟す。

今や見よ、その時が来る。

エゼキエル書 75-6

 

 

 

 

 

床屋のおやじが

426日の予言のはずれの話をした

 

知りあいが

426日に飲み会があったのだが

この日に大震災が起こるという予言を聞いて

それを真に受けて主催者が中止した

そうしたら大地震など起こらず

参加予定者たちから非難囂々となった

 

こんな話である

 

そんな予言があるなら

わざと飲み会を開いてみたほうがおもしろいのに

などとしゃべりながら

髪を切ってもらった

 

飲み会をしていたら

ほんとうに大火事に見舞われた

という話もあると

床屋のおやじが続けた

飲みはじめて20分ほどで

ようやくビールのジョッキを一杯飲み終えるかどうか

というところで奥から出火し

支払いはいいから急いでみんな逃げてくれ

と店主が言うので

あわてて荷物を抱えて逃げ出したが

どうせなら

一時間ぐらい飲んでから出火してほしかったな

という笑い話である

 

飲み会での大地震

ということなら

わたしも知りあいから聞いたことがある

仙台出身の大学生から聞いた話だが

311

東京から地元に戻っていて

ひさしぶりに高校時代の仲間で集まって飲もう

ということになり

会は夕方から始まるのだが

参加者たちは

ゆるゆると昼過ぎから

会場となっている居酒屋に集まっていく感じだった

仙台あたりの人間は

飲み会などをする場合

きっちりと時間を定めずに

ひとりひとり

適当な時間に集まっていくのが習慣らしい

 

店で飲み出していると

1446分に例の大地震が起きた

揺れに揺れて

大変には違いなかったが

怪我をするでもなし

みな無事に切り抜けて

とにかくはやく帰宅しようと

別れ別れになった

家に帰る途中

大きな川に沿ってしばらく歩くのだが

いつもは水を湛えている川から

すっかり水が無くなっていて

これも地震のせいなのだろうか?

ヘンだな

と思いながら

歩き続けていったのだが

知られているように

この後であの大津波が

川を遡り

町を飲み込みながら

押し寄せてくることになる

 

この大学生は

津波と火災のせいで

家には帰り着けなくなってしまい

帰れるようになったのは

なんと一ヶ月後のことだったという

 

いろいろと細かいことを聞いたが

「たいへんだったね」

とこちらが言うと

「たいへんでしたよ」

と返してくるだけで

人間というのはどんな大変な経験をしても

結局しばらくしてから語る時には

「たいへんでしたよ」

で済んでしまうものだということを

この時に再確認した

 

ところで

426日に大地震が来る

と予言したのは

沖縄のユタだと自称する金城保で

YouTubeの人気番組のコヤッキースタジオでも

紹介されたものだから

ずいぶんと世間に拡散されたものだった

金城保はこの日の前に行方をくらまし

さて予言どおりになるかどうか

と都市伝説界隈がざわめいているうちに

やっぱり嘘でした!

という決着がついたことになっている

 

わたしはあらゆる都市伝説やスピ系情報を網羅して見聞きしているので

昨年からこの金城保の予言は知っていたが

日付を細かく言ってしまうなんて

どうしちゃったのかな?と訝しく思っていた

予言というのはどんな霊能者にとっても

日付までは当てられないのが通例で

ひと月程度の余裕をもって予言するほうが賢明である

逃げ場をそんなふうに作っておくのが

いわゆる予言業界のお作法だというのに

この金城保はなにをトチ狂ったのか…と思わされた

 

ともあれ

大地震が来るぞと予言されているような日には

勇気をもって

というか

満を持して

というか

飲み会であれパーティーであれ遂行すべきである

本当に大地震が起これば

それはそれで得がたい楽しいアトラクションとなるし

代金を払わないで堂々と店を後にもできる

 

大地震で揺れる店で怪我をしたり死ぬような者は

ひとりで家にいても死ぬものだ

1500人の死者が出た1828年の新潟三条の大地震の時

良寛が次のような有名な言葉を言った

 

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

 

何月何日にどんな災害が起こる

と予言するのは

予言と実現のあいだにある微妙なクセを理解していないがゆえに

愚かだが

「災難に逢うがよく候」

とでも思って腹を決めるほかない今年という「災難に逢う時節」

にあっては

良寛のこの覚悟をよくよく自分のものにしていくほかない

 

多くの死が当たり前にまわりに発生し

救いようもなく

次々と人びとが死体になっていくさまを

平然と見ていられる心根を磨いておいたほうがいい

死体の腐っていく臭いには閉口するだろうが

どこにも逃げようがないとなれば

それにも慣れるほかないだろう

 

日本はガザのようになる

 

もう逃れようはない

 

どうにか方向を変えられる機を

この国の怠惰な人間たちはすべて逃し

もう押さえられない運命の津波に飲まれていくばかりである

 

わたしはYouTube予言者たちとは違うので

日付などを事細かく言ったりはしないが

これから起こっていくことは

すでに空気のなかに漂っているのが

わかる人にわかっているはずだ









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