2025年5月17日土曜日

夢で逢いましょうか?


 

 

すべて偶然の神託によるべきだ

ゴマと火と塩とヴィーナスの

先見にたよるばかりだ

西脇順三郎 『禮記』

 

 


 

夢こそが真実

とまではいわないけれど

肉体や物の取扱いに忙殺され続けるこちらの現実界よりは

はるかに真実

 

たびたび

むこうの夢の世界で

色とりどり

動きや音やかたちや味覚やドラマに

溢れに溢れてから

ひょいと目が覚めてくると

ああ

またこっちのB級の

型落ちの

萎びた現実界とやらとの

しばしのおつき合いのお時間か

と思わされる

 

おつき合いも長いから

もちろん

つき合い方も慣れたもので

できあいの型に

なんでもかんでも投げ込んで

ひたすら事務的に通過させていけばいいと

わかってしまっているが

 

とりわけ大事なのは

他人とのおつき合いを

とにかく

いい加減に

深入りせずに

形式的に

過ぎ越させていくことだ

 

先週は

混雑している駅構内を歩き

人人人の流れに乗りながら地下通路を歩き

ぶつかってくる人たちを

都会人ならではの軽快さで身をひるがえしてサッサと避けながら

人間に見えるこれらの人たちは

やっぱり人間ではなくって

「状況」とか「環境」とひとまとめに呼んで処理すべき要素群に過ぎない

と結論し直した

 

となると

こんなに人間がいっぱい蠢いているようでも

人間と呼ぶべき人間はわたしひとりしかいないわけだな

と結論し直した

 

かれら「状況」とか「環境」のほうでも

洗剤でつかのまできる泡の粒のように個体意識があって

わたしを「状況」とか「環境」とみなし

そうして

人間と呼ぶべき人間はじぶんひとりしかいないわけだな

と結論し直しているだろう

 

なんとも素晴らしい世界ではないか!

 

生きるに値すると思い込んでいられる人はどうぞご自由に!

生きるべき世界と信じ込んでいられる人はどうぞご自由に!

守るべき世界であり地球だと信仰している人はどうぞご自由に!

 

混雑している駅構内で

地下通路で

黙々と死の行進を続ける人たちのうちの

たったひとりの

ひとがたを操縦している個体意識のあなたについて

いまの瞬間の装いや

いまのこちらからの角度から見える姿だけしか

わたしは認知することはなく

永遠にほかの部分を知ることも知る可能性もないまま

やはりどうしても人間だなどとは思えない抽象性をそのままにしながら

あなたの一瞬の外貌からまた離れていく

 

「状況」とか「環境」の一要素としか扱いようもないあなたが

もしかして人間でもあったのだろうか

人間である可能性でもあったのだろうか

ぐらいは思いつつも

一瞬の外貌でしかなかったあなたは永遠に離れて行ってしまい

二度と接近することはないだろう

 

夢で逢いましょうか?

いつか?

おたがいが「状況」とか「環境」と扱われることのない

第一級の上質な夢のなかの

特別中の特別の出入り口から

うまいぐあいにタイミングよく出てきて

偶然の女神の恩寵に

これまた

うまいぐあいに見事に浴して







0 件のコメント: