2026年5月20日水曜日

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っておく


  


善い人であれ!

どこの文化でも勧められるし

善い人というのは

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持たない人

というイメージを

どこの文化でも

たぶん

提示してくるだろう

 

しかし

この世で生きのびていくにあたっては

ひとつや

ふたつぐらいは

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っておく

というのも

嗜みのひとつである

 

これこれを憎んでいる

嫌悪している

誰々を恨んでいる

何々に執着している

わざわざ

公言しておくのにも

香ばしい人間味がある

 

こうした公言をしておくことには

じつは大きな効用があって

とりたてて

たいした憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていなくても

まるで

それらを持っているかのように

カモフラージュすることができる

 

不思議なもので

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っている

と大げさに公言し

演出し続けていると

内心では

憎しみや嫌悪や恨みや執着は

だんだんと

痩せ細っていく

ええと……

いったい

自分はなにに

憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていたのだったっけ?

と自問したりすることも

多くなってくる

 

憎しみや嫌悪や恨みや執着さえ

いつまでもべったり粘着していられないほど

心や意識や魂の表面の変貌ははやい

数十年もすれば

それらは骨董品となってしまう

あの頃は

あんな憎しみや嫌悪や恨みや執着を持っていたものだった!

と懐かしむのも

ちょっとは楽しいかもしれないが

もともと風の性質を持つ心や意識や魂が

いっそう強風になっていく際には

吹き飛ばされていくそれらを掴んでいられる腕や手さえ

いつのまにか

なくなっていることに気づくだろう

 

 

 

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