2026年4月24日金曜日

それでも雨はよろこび


 

 

ぼくは、ぼくに似た魂を求めていたが、見つけられずにいた。

  ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』、第2

 

Je cherchais une âme qui me ressemblât,

et je ne pouvais pas la trouver.

 Comte de Lautréamont

 Les Chants de Maldoror, Chant deuxième.

 

 

 

 

雨がつよくなっていた。

夜も遅くなり、22時を過ぎていた。

(「夜も更けて」と彼は書きたくなったが、

「更け」た夜とは何時頃のことだろう?

22時は「夜更け」だろうか?)

 

出て行くのは躊躇われたが、少し買っておきたいものがあった。

日課のようにしている4ℓの浄水汲みもしたかった。

 

外に出て、歩き出し、傘にしとどに降り来る雨を受けてみると、

強い雨の中に出て、よかった、と思った。

その気持ちを表わすために、

「出てきてよかった」

「やはり雨はいいものだ」

「夜の闇の中に降り来る雨はさらによい」

などと意識の中で作文してみたが、

これらの日本語作文は、

雨のよろこびを表わすにはもちろん陳腐過ぎ、

ちょっと愚かな感じの行為だ、

と彼は思った。

 

何年も前からよく思うように、

雨は「自分」というものと「自分でないもの」の壁を除き、

世界のうちの「自分でないもの」と一体に成った

かのように彼に強く感じさせる。

その感覚を彼は愛した。

 

7分ほどでスーパーマーケットに着き、

水汲みやわずかの買い物をすませて、

また雨の中を戻っていく。

 

ビニール傘は大きめのものを開いているが、

それでも足元から腿あたりまで雨で濡れ、

背中に背負っているリュックサックの上部も濡れていた。

それでも雨はよろこびだ

と彼は

作文まではせずとも思いを軽く軽く固めた。

単語を主語と助詞と形容動詞の順にしっかりと繋ぎ止めはせず、

それでも雨はよろこびだ

というのにほぼ近い意味の

まだまだぼんやりした塊のままにして

意識の中での軽い概念の浮遊を快く思った

 

数日前よりも気温が少し落ち

厚手のジャケットを着ていても暑く感じない

春の夜22時半になろうとする頃の

強い本降りの雨の中

暗闇の中を歩いて行く

なんという

よろこび

 

(「暗闇」といっても、都会に住んでいるので、

ほうぼうに街頭があり、

自動販売機のあかりもいくつもあれば、

都会の常夜灯でありオアシスであるコンビニのあかりも

一区画ごとにあるので、

「暗闇」が居座るはずの場所は

さまざまなヴァリエーションの濃淡の「薄闇」でしか

ないのだが……

と彼はいつも言い添えておきたく思うし、

注釈しておきたくも思うが、

そんな余言を加えたとしても、

いったい誰に向けられるべきだろうか、

誰が受けとめてくれるだろうか、

『ナジャ』を書いた頃のアンドレ・ブルトンでもなければ

あるいは『マルドロールの歌』のロートレアモンでもなければ

パリについての散文詩を書いたジャック・レダでもなければ

『パリの田舎者』を書いたルイ・アラゴンでもなければ

あるいはあるいは

日本でならば

『日和下駄』や『墨東奇譚』の永井荷風でないならば

などと

彼の意識の中で

強い塊にまではならないものの

無限に観念の玉が出来続けていく)

 

 

 

 

 

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