さとう三千魚詩集『花たちへ』よりの引用の織物
聴いていた
ガーベラ
白い道が光っていた
まいにちが
まいにちさ
抱いていくよ
港町を
飛んでいくよ
わたしがあなた
すみれは
水晶を
抱いてる
天に
問う
どうして
きょうが
あるの
花がすき
きょうが好き
なにもかも
好き
余生を
花で埋める
まいにち
まいにち
咲いている
*さとう三千魚詩集『花たちへ』(浜風文庫、2025)所収の「
さとう三千魚詩集『花たちへ』よりの引用の織物
聴いていた
ガーベラ
白い道が光っていた
まいにちが
まいにちさ
抱いていくよ
港町を
飛んでいくよ
わたしがあなた
すみれは
水晶を
抱いてる
天に
問う
どうして
きょうが
あるの
花がすき
きょうが好き
なにもかも
好き
余生を
花で埋める
まいにち
まいにち
咲いている
*さとう三千魚詩集『花たちへ』(浜風文庫、2025)所収の「
ショッピングモールの端の
簡易なテーブル+イスに
ちょっと憩って
食べても
食べなくても
かわらないようなものを
ちょっと食べて
まわりのひとびとの動きや
たくさんのショップの賑わいを
ちょっと眺め続けて
食べ終わって
席を立ち
出口のところから
つい今までわたしたちがいたところを
ふり返ると
べつの人たちが着席して
やはり
食べても
食べなくても
かわらないようなものを
ちょっと
食べはじめている
つい今までわたしたちがいたところに
もう
わたしたちの影はなく
ちょっと
時間が経てば
今いるひとたちの影も
すぐに
なくなるだろう
次に着席するひとたちも
その後に着席するひとたちも
同じように
食べても
食べなくても
かわらないようなものを
ちょっと
食べては
すぐに席を立ち
かれらの影も
すぐに失われていくだろう
いるひとたちも
すぐに
いなくなるひとたち
すぐにいなくなる
なら
今いるようでも
すでに
いないのと同じ
ひとたち
わたしたち
クリスマスが済んで
翌日になると
もう
スーパーマーケットでは
注連飾りや
鏡餅なんかが売られていて
この変わり身の早さに
やっぱり
驚いてしまった
ちょっと昔なら
翌日は
売れ残った
クリスマスケーキや
シュトーレンが
値引きされて売っていたり
したのに
さらに
クリスマス明けのチラシには
もう
恵方巻の予約広告まで
出されていて
いっそう
驚いてしまった
とはいえ
ひな祭りの予告までは
さすがに
まだ
出てはいない
端午の節句のことも
まだまだ
出ていない
世間
ということばを使おうか?
それとも
世の中
と呼ぶ?
いつも
迷う
町に出ると
人のかたちをした
たくさんの姿が
歩いていたり
なにごとかしていたり
テレビの画面に映っていたり
SNSで
なんやかや
しゃべっていたり
動いていたり
みんな
そこそこ元気そうで
世間や
世の中の
分子や原子としてふさわしいように
あるいは
素粒子のように
いそがしく立ちまわっている
ああ
世間や世の中には
元気な人たちばっかりなんだ
じぶんも
がんばらないとな
などと
思ってしまいそうになるが
そう見えるのは
うそ
まちがい
そこそこ元気そうに
立ちまわれる
人体たちが
きびきび
てきぱき
目立つところで
動いているだけのことで
動けない人体たちは
表にはもう出てこないし
SNSなんかにも
姿などさらさない
そういうのが
世間
そういうのが
世の中
大病院なんかに
なにかの用事で行ってみると
驚くほどたくさんの人体が
世間からも
世の中からも隠れて
別世界の住人のように
順番待ちのソファで座っていたり
通路をよろよろ行き来していたりする
日常のルーティーンが
ちょっと変動したり
つかのま
なくなったりするのはいいけれど
クリスマスに
ぜんぜん興味がない
興味がない
けれど
クリスマスは好き
キリスト教徒ではなく
キリスト教をまったく信じておらず
キリスト教徒が全世界のあちこちで支配戦争をしかけ
ナンセンスな屁理屈を繰り出して
戦争オタクを続けてきたのを
非常に不愉快に思っているけれど
まるで
キリストなどというものが
かつて
ほんとうに生まれたことがあったかのように
物語を想像してみるのは
好き
キリストが
いつか再臨して
どうしようもない泥沼になった
腐り切った人界を
きれいさっぱり浄化して
救ってくれる
と
空想にちょびっと参加しながら
砂糖も添加物もけっこう入っているクリーム仕立ての
安価なクリスマスケーキのひと切れを
特別な時の
なにか特別のもののように
食べてみるのも
好き
かつて
イエス・キリストに本当に出会い
正面から彼の顔を見つめた経験があるのを
あまりに俗化し
あまりにねじ曲げられたかたちながら
彼に繋がった祭事の時に
からだじゅうの
細胞ひとつひとつの微細な振動のなかに
蘇らせるのが
好き
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、
人をその父と、
娘をその母と、
嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者は
わたしにふさわしくない。
自分の命を得ている者はそれを失い、
わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
わたしを受けいれる者は、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、
義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、
わたしの弟子であるという名のゆえに、
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、
よく言っておくが、
決してその報いからもれることはない。
『マタイによる福音書』 10:34-42
木製の階段上のもので
ヨーロッパの教会でよく見かける
神父が上って
説教をする台のようにも見える
家の二階ぐらいの高さまで
階段が続いていく
自由に階段を上って
いちばん最後のところまで
行って見てみる
ことができるようだ
「何だろうね?」
「何に使った階段だろうね?」
「上まで行っても
べつにおもしろくないけどね」
などと喋りながら
ふたり連れや
家族のグループが
階段の前で見上げていたり
実際に上って
端っこまで行ってみたりしている
どこか気になって
立ち止まって
わたしもしばらく見ていたが
やはり何のためのものか
わからないので
ほかのところへ移ろうとして
離れようとしたら
なんとわたしの立っていた足元に
ちょっと小さなプレートがあり
この台についての説明が書かれていた
「長期間処刑台として使用
階段を上らせて
最後のところで押し落して絞首する
街の治安維持の象徴として
地区ごとに一台設置され
てるてる坊主
と呼ばれて
市民に親しまれた
失敗は一度もなかった」
正岡子規は『病牀六尺』にこう書いている
余は今まで
禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事か
と思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも
平気で生きて居る事であった。
至言であり
数多い禅坊主たちでも
ここまで
わかりやすく言い切れる者は少ないだろう
結核菌に脊柱を冒されて脊椎カリエスになり
臀部や背中に穴が開いて
膿が流れ出る病状が6年ほど続いて死に至るのだが
自分を介護する母や妹には粗食を強いながら
自分だけは飽食をし続けた子規にして到達し得たのが
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事」
という境地だった
嵐山光三郎はこのようにまとめている*
『病林六尺』
すさまじい食欲である。
三度の食事と間食と服薬とカリエス患部繃帯の交換の繰返しのなかで
淋しさの三羽減りけり鴨の秋
と詠んでみせる。
病床のうめき声が油枯れの肉体から木枯しのようにひゅうひゅうと
「歯ぐきの膿を押し出してまた食い
便を山のように出す」
というのが
正岡子規の真骨頂であり
嵐山光三郎は
迂回せずに
ここをよく捉えている
「歯ぐきの膿」というのは
体中に結核菌がまわって発症した
歯周病であろうから
あの歯周病患者独特の臭気も
子規の周囲には漂っていただろう
『仰臥漫録』にはこうある
「歯茎から出る膿は
右の方も左の方も少しも衰へぬ。
毎日幾度となく綿で拭ひ取るのであるが
体の弱つて居る日は
十分に拭ひ取らずに捨てて置くこともある」
そもそも
自分では便所にもいけない身体なので
糞尿の臭いも
つねに
部屋には籠もっていたはずである
子規の寝たきりになっていた
小さな部屋での
生活というか
生き延びというかを
子規自身でこう記している
病牀六尺、これが我世界である。
歯茎からの膿の記述を
すでに引用したが
『仰臥漫録』のそのあたり全体も
まとめて見直しておこう
この頃の容体及び毎日の例
病気は表面にさしたる変動はないが次第に体が衰えて行くことは争
腸骨の側に新に膿の口が出来てその近辺が痛む、
繃帯は毎日一度取換へる。これは律の役なり。尻のさき最(
肛門の開閉が尻の痛所を刺戟するのと腸の運動が左腸骨辺の痛所を
睡眠はこの頃善く出来る。
歯茎から出る膿は右の方も左の方も少しも衰へぬ。
物を見て時々目がちかちかするやうに痛むのは年来のことであるが
朝々湯婆(たんぽ)を入れる。熱出ぬ。
食事は相変らず唯一の楽(たのしみ)
さしみは醤油をべたとつけてそれを飯または弱の上にかぶせて食ふ
佃煮も飯または粥の上に少しづつ置いて食ふ。
歯は右の方にて噛む。左の方は痛くて噛めぬ。
朝起きてすぐ新聞を見ることをやめた。目をいたはるのぢや。
食前に必ず葡萄酒(渋いの)一杯飲む。
子規は
短歌において
浮薄な感情や感傷を排した
シャープなレンズによる撮影のように
写実にクリアに徹しようとする新境地を拓いたが
病牀でのこれらの文章を見ると
精神も澄み切ったレンズそのもののような箇所があったのが
よくわかってくる
こういった方向性から逃げて
お花畑の
パステルカラーの浮薄なお文芸に流れようとも
誰にであれ
背が曲がり
尻が削げ
フレイルよろしく震えながら
わなわな摺り足のようにしてかろうじて歩むような
もはや表情さえほとんどない
老耄の日々が来たり
予期せぬ病による衰弱も来て
「食ふた者は少しも消化せずに肛門へ出る」事態や
「便通が催された時これを猶予するの力もなければ
奥の方にある屎(くそ)をりきみ出す力もない」事態や
「体の痛むため夜中幾度となく目をさましてはまた眠る」状態や
「衰弱のため何もするのがいやでただぼんやりと寐て居る」状態は
かならずや襲いかかってくるだろう
心身状態における生老病死のリアルなるものは
どれだけそこから逃れようとしても
万人に襲いかかってくる
流行のファッションを追っても
ブランドものでつかのま身を飾っても
精神異常の証左でしかないキャラものを
ごそごそバッグにぶら下げても
男女みな行き着く先は子規の病牀である
ふと
思い出してしまうのは
子規とは隔絶した俗謡ながら
あの
いしだあゆみの
『あなたならどうする』
だったりする
https://www.youtube.com/watch?
*嵐山光三郎 『文人悪食』(新潮文庫、1997、pp.56-66)
**正岡子規 『病牀六尺』(岩波文庫、1984改版、p.7)
***正岡子規 『仰臥漫録』 (岩波文庫、1983改版、pp.124-125)