2025年12月20日土曜日

如何なる場合にも平気で生きて居る事

 

 

 

 

正岡子規は『病牀六尺』にこう書いている

 

余は今まで

禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事か

と思つて居たのは間違ひで、

悟りといふ事は如何なる場合にも

平気で生きて居る事であった。

 

至言であり

数多い禅坊主たちでも

ここまで

わかりやすく言い切れる者は少ないだろう

 

結核菌に脊柱を冒されて脊椎カリエスになり

臀部や背中に穴が開いて

膿が流れ出る病状が6年ほど続いて死に至るのだが

自分を介護する母や妹には粗食を強いながら

自分だけは飽食をし続けた子規にして到達し得たのが

「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事」

という境地だった

 

嵐山光三郎はこのようにまとめている*

 

『病林六尺』は捕われた肉体を強靭な精神が凌駕する格闘の記録として読者の心を震えさせるが、その舞台裏の壮絶さは『仰臥漫録』に、あたかも自己告発のような食事の記録として残されている。

すさまじい食欲である。

三度の食事と間食と服薬とカリエス患部繃帯の交換の繰返しのなかで、子規は、食いすぎて吐き、大食のため腹が痛むのに苦悶し、歯ぐきの膿を押し出してまた食い、便を山のように出す。子規は「自分は一つの梅干を二度にも三度にも食ふ それでもまだ捨てるのが惜い 梅干の核は幾度吸はぶつてもなほ酸味を帯びて居る それをはきだめに捨ててしまふといふのが如何にも惜くてたまらぬ」性格であり、長塚節が送ってよこした三羽の鴨を翌日の昼食に焼かせて三羽とも一人で食い、粥三わん、梨、葡萄もあわせて食い、間食に牛乳一合、菓子パン大小数個、塩煎餅、夕食は与平寿司二つ三つ、粥二椀、まぐろさしみ、煮茄子、なら漬、葡萄をたいらげ、さらに夜食として林檎二切、飴湯を飲んだ。鳴が届いたときは、

 

淋しさの三羽減りけり鴨の秋

 

と詠んでみせる。

病床のうめき声が油枯れの肉体から木枯しのようにひゅうひゅうと響いてくる。生死のはざまをさまよう食欲で、「餓鬼」としての自分の肉体を観察している。生きることはどういうことか、食うとはどういう意味かをつきつけられる。子規は貪るように食う。 あさましく、見苦しく、とどまることを知らぬ食欲である。

 

「歯ぐきの膿を押し出してまた食い

便を山のように出す」

というのが

正岡子規の真骨頂であり

嵐山光三郎は

迂回せずに

ここをよく捉えている

「歯ぐきの膿」というのは

体中に結核菌がまわって発症した

歯周病であろうから

あの歯周病患者独特の臭気も

子規の周囲には漂っていただろう

『仰臥漫録』にはこうある

「歯茎から出る膿は

右の方も左の方も少しも衰へぬ。

毎日幾度となく綿で拭ひ取るのであるが

体の弱つて居る日は

十分に拭ひ取らずに捨てて置くこともある」

そもそも

自分では便所にもいけない身体なので

糞尿の臭いも

つねに

部屋には籠もっていたはずである

 

子規の寝たきりになっていた

小さな部屋での

生活というか

生き延びというかを

子規自身でこう記している

 

病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。 僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、布団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。(『病牀六尺』)**

 

歯茎からの膿の記述を

すでに引用したが

『仰臥漫録』のそのあたり全体も

まとめて見直しておこう

 

この頃の容体及び毎日の例

病気は表面にさしたる変動はないが次第に体が衰えて行くことは争はれぬ。膿の出る口は次第にふえる、寐返りは次第にむつかしくなる、衰弱のため何もするのがいやでただぼんやりと寐て居るやうなことが多い。

腸骨の側に新に膿の口が出来てその近辺が痛む、これが返りを困難にする大原因になって居る。右へ向くも左へ向くも仰向になるもいづれにしてもこの猫所を刺激する、咳をしてもここにひびき泣いてもここにひびく。

繃帯は毎日一度取換へる。これは律の役なり。尻のさき最(もっとも)痛く僅(わずか)に綿を以て拭うふすらなほ疼痛を感ずる。背部にも痛き箇所がある。それ故繃帯取換は余に取つても律に取つても毎日の一大難事である。この際に便通ある例で、都合四十分乃至一時間を要する。

肛門の開閉が尻の痛所を刺戟するのと腸の運動が左腸骨辺の痛所を刺戟するのとで便通が催された時これを猶予するの力もなければ奥の方にある屎(くそ)をりきみ出す力もない。ただその出るに任するのであるから日に幾度あるかも知れぬ。従つて家人は暫時(しばし)も家を離れることが出来ぬのは実に気の毒の次第だ。

睡眠はこの頃善く出来る。しかし体の痛むため夜中幾度となく目をさましてはまた眠るわけだ

歯茎から出る膿は右の方も左の方も少しも衰へぬ。毎日幾度となく綿で拭ひ取るのであるが体の弱つて居る日は十分に拭ひ取らずに捨てて置くこともある。

物を見て時々目がちかちかするやうに痛むのは年来のことであるが先日逆上以来いよいよつよくなつて新聞などを見ると直に痛んで来て目をあけて居られぬやうになつた。それで黒眼鏡をかけて新聞を読んで居る。

朝々湯婆(たんぽ)を入れる。熱出ぬ。小便には黄色の交り物あること多し

食事は相変らず唯一の楽(たのしみ)であるがもう思ふやうには食はれぬ。食ふとすぐ腸胃が変な運動を起して少しは痛む。食ふた者は少しも消化せずに肛門へ出る。

さしみは醤油をべたとつけてそれを飯または弱の上にかぶせて食ふ

佃煮も飯または粥の上に少しづつ置いて食ふ。

歯は右の方にて噛む。左の方は痛くて噛めぬ。

朝起きてすぐ新聞を見ることをやめた。目をいたはるのぢや。人の来ぬ時は新聞を見るのが唯一のひまつぶしぢや。

食前に必ず葡萄酒(渋いの)一杯飲む。クレオソートは毎日二号カフセルにて六粒。***

 

子規は

短歌において

浮薄な感情や感傷を排した

シャープなレンズによる撮影のように

写実にクリアに徹しようとする新境地を拓いたが

病牀でのこれらの文章を見ると

精神も澄み切ったレンズそのもののような箇所があったのが

よくわかってくる

 

こういった方向性から逃げて

お花畑の

パステルカラーの浮薄なお文芸に流れようとも

誰にであれ

背が曲がり

尻が削げ

フレイルよろしく震えながら

わなわな摺り足のようにしてかろうじて歩むような

もはや表情さえほとんどない

老耄の日々が来たり

予期せぬ病による衰弱も来て

「食ふた者は少しも消化せずに肛門へ出る」事態や

「便通が催された時これを猶予するの力もなければ

奥の方にある屎(くそ)をりきみ出す力もない」事態や

「体の痛むため夜中幾度となく目をさましてはまた眠る」状態や

「衰弱のため何もするのがいやでただぼんやりと寐て居る」状態は

かならずや襲いかかってくるだろう

心身状態における生老病死のリアルなるものは

どれだけそこから逃れようとしても

万人に襲いかかってくる

流行のファッションを追っても

ブランドものでつかのま身を飾っても

精神異常の証左でしかないキャラものを

ごそごそバッグにぶら下げても

男女みな行き着く先は子規の病牀である

 

ふと

思い出してしまうのは

子規とは隔絶した俗謡ながら

あの

いしだあゆみの

『あなたならどうする』

だったりする

https://www.youtube.com/watch?v=EjmZYedgMy8&list=RDEjmZYedgMy8&start_radio=1

 

 

 

 

 

*嵐山光三郎 『文人悪食』(新潮文庫、1997pp.56-66

**正岡子規 『病牀六尺』(岩波文庫、1984改版、p.7)

***正岡子規 『仰臥漫録』 (岩波文庫、1983改版、pp.124-125






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