日常のルーティーンが
ちょっと変動したり
つかのま
なくなったりするのはいいけれど
クリスマスに
ぜんぜん興味がない
興味がない
けれど
クリスマスは好き
キリスト教徒ではなく
キリスト教をまったく信じておらず
キリスト教徒が全世界のあちこちで支配戦争をしかけ
ナンセンスな屁理屈を繰り出して
戦争オタクを続けてきたのを
非常に不愉快に思っているけれど
まるで
キリストなどというものが
かつて
ほんとうに生まれたことがあったかのように
物語を想像してみるのは
好き
キリストが
いつか再臨して
どうしようもない泥沼になった
腐り切った人界を
きれいさっぱり浄化して
救ってくれる
と
空想にちょびっと参加しながら
砂糖も添加物もけっこう入っているクリーム仕立ての
安価なクリスマスケーキのひと切れを
特別な時の
なにか特別のもののように
食べてみるのも
好き
かつて
イエス・キリストに本当に出会い
正面から彼の顔を見つめた経験があるのを
あまりに俗化し
あまりにねじ曲げられたかたちながら
彼に繋がった祭事の時に
からだじゅうの
細胞ひとつひとつの微細な振動のなかに
蘇らせるのが
好き
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、
人をその父と、
娘をその母と、
嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者は
わたしにふさわしくない。
自分の命を得ている者はそれを失い、
わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
わたしを受けいれる者は、
わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、
義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、
わたしの弟子であるという名のゆえに、
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、
よく言っておくが、
決してその報いからもれることはない。
『マタイによる福音書』 10:34-42
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