絵本作家ののぶみさんという人は
YouTubeにチャンネルを作っていて
毎日ディスクジョッキーのようにいろいろ話して
配信を続けている
職業柄というか
興味の赴くところというか
幼い子が胎内記憶を持っている話や
生まれる前に神さまのところでどんなことがあったかとか
あるいはこの現世での予言じみた話などを収集していて
それらからピックアップしてきた内容を聞かせてくれるのが
なんといってもいちばんおもしろい
このあいだ
短いが
けっこう恐い話として
こんな話を紹介していた
幼い子が
急に
お母さんに言ったそうである
お母さん
まわりにいろんな人がいて
動いていたり
話したり
していると思ってるでしょ?
でも
ちがうよ
お母さんはたったひとりで
ほんとは
まわりに
誰もいないんだよ
ひとりで
ゲームみたいなこと
してるだけなんだ
そうして
そのゲームの規則が
わかるかどうか
っていうのが
大事なんだ
お母さん
いつも
お金がほしい
お金がほしい
って
言っているでしょ
だから
お金がほしい
を
いつも
生きてるんだよ
お金がほしい
と思って
言っていると
いつも
お金がほしい
というのが
続いていくんだよ
この幼い子は
「状態」という言葉を知らないので
それを使って言い直せば
「お金がほしい」
と思っていたり言ったりするかぎり
「お金がほしい」
という状態が続くことになる
ということになるだろう
思いや発言が
つねに現実化することになり
自分の状態を生成していく
これは
世界中の覚者が昔から言ってきたことに
繋がっていく
読みやすい本としては
フローレンス・スコーヴェル・シン(Florence Scovel Shinn)の
『ゲームの法則』
(The Game of Life and How to Play It、1925)が
すこぶる有名だが
彼女の後
ほかにも多くの類書が出されている
遡れば
新約聖書のイエス・キリストの言葉の多くは
思いと
発言とを意識して生きよ
という点に
ポイントが置かれている
さらに加えれば
・思い
・発言
・ものごとがすでに実現したようなリアルな感覚
の
三つの一致を重視した意識の持ち方が
幼い子の言わんとする
ゲームの規則といえるだろう
いわゆる
ポジティヴ・シンキングに通じる考え方と言えそうだが
なあんだ
つかの間じぶんを奮い立たせることはできても
それ以外には役に立たない
あのインチキなヤツね
と思う人は多いだろう
インチキなのかどうか
わたしは知らないが
あのインチキなヤツね
と思う人は
みな
ポジティヴ・シンキングをちょっと試みて
途中でやめて
引き返してきた人だろう
障害に阻まれても
失敗に継ぐ失敗を続けても
なおもポジティヴ・
あのインチキなヤツね
と思う人々は
まったく知らない
社会のなかで
ふつうと見なされるような計器類が
みな破綻し
まったく別のアングルからの
別の急造計器類による探索のみがはじまる
人生論の処女地の拓ける場所である
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