じぶんの家の居間の床を掃除したり
庭やテラスを掃除するのならば普通のことだし
当たり前のことだろう
しかし
ヨーゼフ・Kの見た気がかりな夢は
義務感や倫理観とは違う
一種の美意識のようなものの方向へ
一歩踏み出しての幸福感を満たす契機となりそうなものであり
その夢の導くままに進めば
行為自体が彼の存在の成就ともなりうるように感じられ
時間の一刻一刻が恩寵となるかに思われた
姿の見えない誰かと言葉を交わすような夢のなかで
知らず知らずのうちに
街の広場の掃除を無償で行うように促されたのである
もちろん
広場の清掃は行政が担っているが
それは週に一度のことであり
次の清掃までに落されたり
風で吹き寄せられたりしたゴミは
誰が拾うでもなしに放っておかれることが多かった
住民は掃除の任を負っているわけではないので
そうしたゴミを次の清掃までは疎ましく眺めながらも
そのままにしておく
あきらかに目障りであるのに
清掃はあくまで行政の週一回の仕事と考えて
誰も手を出そうとはしない
他の誰もやろうとはしないのに
どうして自分がしなければならないのかと思ったりもして
心という広場にも
不用なイライラも溜まったりもする
ヨーゼフ・Kは
夢のなかで諭されたり
なにかに指導されたり命じられたりしたわけではなかったが
その夢を見ながら
必要な時には自分が広場の掃除をすればよい
それだけでなく
週に2回ほど自分が箒で軽く掃除をすればよい
と思っていった
というより
じぶんの土地ではないが
毎日じぶんが行き来して目にするあの広場を
大げさにやり過ぎないまでも
ひどく目につくゴミを除く程度には
このじぶんがみずから軽く掃除するほうがよい
とてもよい
と思うようになっていった
こうして
誰に頼まれたわけでもない
義務感も
倫理観も
公共の美徳のような概念も下敷きにしない
ヨーゼフ・Kによる
広場の掃除は始まったのである
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