2025年7月5日土曜日

広場の掃除

   

 

じぶんの家の居間の床を掃除したり

庭やテラスを掃除するのならば普通のことだし

当たり前のことだろう

 

しかし

ヨーゼフ・Kの見た気がかりな夢は

義務感や倫理観とは違う

一種の美意識のようなものの方向へ

一歩踏み出しての幸福感を満たす契機となりそうなものであり

その夢の導くままに進めば

行為自体が彼の存在の成就ともなりうるように感じられ

時間の一刻一刻が恩寵となるかに思われた

 

姿の見えない誰かと言葉を交わすような夢のなかで

知らず知らずのうちに

街の広場の掃除を無償で行うように促されたのである

 

もちろん

広場の清掃は行政が担っているが

それは週に一度のことであり

次の清掃までに落されたり

風で吹き寄せられたりしたゴミは

誰が拾うでもなしに放っておかれることが多かった

住民は掃除の任を負っているわけではないので

そうしたゴミを次の清掃までは疎ましく眺めながらも

そのままにしておく

あきらかに目障りであるのに

清掃はあくまで行政の週一回の仕事と考えて

誰も手を出そうとはしない

他の誰もやろうとはしないのに

どうして自分がしなければならないのかと思ったりもして

心という広場にも

不用なイライラも溜まったりもする

 

ヨーゼフ・Kは

夢のなかで諭されたり

なにかに指導されたり命じられたりしたわけではなかったが

その夢を見ながら

必要な時には自分が広場の掃除をすればよい

それだけでなく

週に2回ほど自分が箒で軽く掃除をすればよい

と思っていった

 

というより

じぶんの土地ではないが

毎日じぶんが行き来して目にするあの広場を

大げさにやり過ぎないまでも

ひどく目につくゴミを除く程度には

このじぶんがみずから軽く掃除するほうがよい

とてもよい

と思うようになっていった

 

こうして

誰に頼まれたわけでもない

義務感も

倫理観も

公共の美徳のような概念も下敷きにしない

ヨーゼフ・Kによる

広場の掃除は始まったのである






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