2025年7月19日土曜日

大声で生きるなんて耐えられない


  

 

どこの演説も

聞きにいかない

 

貼られた選挙ポスターの

どれも

ちゃんと見る気には

ならない

 

候補者の主張が印刷された紙も

読もうとしても

絵空事のSFのチープな登場人物たちの

雑なキャラ作りの一部のようで

すんなりとは

心には入ってこない

 

エミリ・ディッキンソンの詩の

目立たない一節が

しきりと

思い出される時節

 

大声で生きるなんて耐えられない

大さわぎはいつも恥ずかしかった

 

I could not bear to live—aloud—
The Racket shamed me so—*

 

 

 




 

*Emily Dickinson “I was the slightest in the House” 486

 

I was the slightest in the House
I took the smallest Room
At night, my little Lamp, and Book
And one Geranium

So stationed I could catch the Mint
That never ceased to fall
And just my Basket
Let me think- I’m sure
That this was all

I never spoke –unless addressed
And then,’twas brief and low
I could not bear to live-aloud
The Racket shamed me so

And if it had not been so far
And any one I knew
Were going-I had often thought
How noteless-I could die
(486)

わたしは家で一番目立たなかった
一番小さな部屋の住人
夜には わたしの小さなランプと本
それに ゼラニュームの花が一鉢

たえず放つ薫りにひたれるよう
ずっと近くに置いてある
それに わたしのバスケット
それから ほかに何か
これですべて と思う

話しかけられなければ 話さなかった
それも少しだけ 囁くように
大声で生きるなんて耐えられなかった
大騒ぎは とても恥ずかしかった

もし そう遠くでなかったら
それに 知り合いの人も
行くのならわたしはよく思った
誰もわたしの死を知らないだろうと

 





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