どこの演説も
聞きにいかない
貼られた選挙ポスターの
どれも
ちゃんと見る気には
ならない
候補者の主張が印刷された紙も
読もうとしても
絵空事のSFのチープな登場人物たちの
雑なキャラ作りの一部のようで
すんなりとは
心には入ってこない
エミリ・ディッキンソンの詩の
目立たない一節が
しきりと
思い出される時節
大声で生きるなんて耐えられない
大さわぎはいつも恥ずかしかった
I could not bear to live—aloud—
The Racket shamed me so—*
*Emily Dickinson “I was the slightest in the House” 486
I was the slightest in the House
I took the smallest Room
At night, my little Lamp, and Book
And one Geranium
So stationed I could catch the Mint
That never ceased to fall
And just my Basket
Let me think- I’m sure
That this was all
I never spoke –unless addressed
And then,’twas brief and low
I could not bear to live-aloud
The Racket shamed me so
And if it had not been so far
And any one I knew
Were going-I had often thought
How noteless-I could die
(486)
わたしは家で一番目立たなかった
一番小さな部屋の住人
夜には わたしの小さなランプと本
それに ゼラニュームの花が一鉢
たえず放つ薫りにひたれるよう
ずっと近くに置いてある
それに わたしのバスケット
それから ほかに何か―
これですべて と思う
話しかけられなければ 話さなかった
それも少しだけ 囁くように
大声で生きるなんて耐えられなかった
大騒ぎは とても恥ずかしかった
もし そう遠くでなかったら
それに 知り合いの人も
行くのなら―わたしはよく思った
誰もわたしの死を知らないだろうと
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