2025年7月7日月曜日

まるでふつうの人間の首のような彼の首


 

  

 

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

三島由紀夫 辞世

 

 

 

すくなくとも

この地球上に生まれ落ちた者には

死こそが最上の価値であり

これを超えた価値を有するものはない

そして

なんとも慈愛深いことに

万人に平等に

死は与えられる

 

人生という融通無碍の時空のなかで逢着するあらゆるもの

人生を満たすあらゆるものは

死を幸福に引き寄せるための撒き餌であり

取り取りの撒き餌の種類や味や色や

さらには量を

どのように選択して飲み込んでいくかは

各人に任されている

 

ひとりの例外もなく

誰もが死へとだけ向かう

生きることは死のみへと向かうことであり

それまで肉体の生を支えていく思念や意志や感情の完全消滅へ

正確無比な飛行で特攻していくことである

 

だから

時間や労力の浪費をしないように努めよう

などという

わかりやすいビジネス書的思考をしたいのではない

あらゆる個人的なものの絶対消滅である来たるべき死の前では

時間や労力の浪費/有効活用などの差異化は意味を失う

いかように生きようとも

生きた内容のすべての意味を消滅させるのが死で

そこでは

規律/怠惰や

/憎悪や

/不快や

幸福/不幸などの差異も

一切が一瞬に消滅していく

 

たったひとりの個人的な体験であるはずの死は

投下された原爆の真下での爆死に等しく

意識も記憶も希望も見積もりも計画も夢も

その瞬間に

はじめから無かったのと同じになる

 

日本の歌人の春日井健は

死と

その前の前夜祭としての生との関係を

見事な短歌にした

 

死ぬために命は()るる大洋の古代微笑のごときさざなみ

 

なぜ生きるのか

なぜ人は

生物は

自分は

生まれるのか

なぜ命があるのか

 

死ぬためだよ

ただそれだけのためだよ

というのだ

 

これだけで

解答

終わり

 

人類の永遠の問いに対して

なんという

短い

簡潔な

ズバリとした解答

 

春日井健は

いわばアレクサンダーであり

神殿の柱に牛車の荷車を固く結びつけられていた

生と死という問いのゴルディアスの結び目を

日本文化のみが保存してきた短歌形式という剣で

一刀両断にしてしまったといえる

 

彼の解答は

ひとりも洩らさずに万人を掬う

絶対平等の視点を提供するものでもある

死ぬために生まれるのだよ

と答えておいてしまえば

誰のどんな人生も

完全に平等に

必ず目的を達することが保証される

きわめて論理的に

全人類の救済がなされる

 

21歳の春日井健が

1960年に第一歌集『未青年』で華々しいデビューをしたとき

「われわれは一人の若い定家を持ったのである」

と激賞したのは

三島由紀夫だった

 

三島由紀夫に

とりわけ激賞された歌は

これである

 

大空の斬首ののちの静もりか没()ちし日輪がのこすむらさき

 

西の空の鮮やかな夕焼けの

色あいがどんどん変化していくさまを

見事に表出した歌だ

 

まるで

斬首した瞬間の血のほとばしりのように

真っ赤に空が染まり

その後

死のような静まりが訪れ

赤かった空が

今度は紫色に鮮やかに変わっていく

この紫色も

時間が経つにつれての

血の色の変化を連想させる

 

10年後に

三島由紀夫は切腹し

森田必勝と古賀浩靖に斬首させて

魂の滅び切った日本の世間に

「大空の斬首」を見せつけ

文字通り

「死ぬために命は生るる」と示してみせた

彼の生首が

「古代微笑」を見せているか

そこは微妙なところだが

重い首を失った切り口からは

「古代微笑のごときさざなみ」のごとく

しばらく血は

至福の流出を続けていたことだろう

 

約十日後に斬首されることになる

三島由紀夫の首を

というより

頭を

そして姿かたちを

わたしは現実に目の前に見た

 

1970年の1112日から17日まで

「三島由紀夫展」が

池袋の東武百貨店で開催されていて

そこを訪れた際に

まだ切り落とされていない

まるでふつうの人間の首のような彼の首を

見たのだった

 

子供だったわたしは

もちろん

自分の意志で出向いたのではない

母の買い物につきあって池袋に出た際に

ついでに立ち寄ったのだ

「三島由紀夫」という名も知らなかったし

なんの興味も持ちようもなかった

大人に人気のある小説家だと言われても

わたしの興味は

『ドリトル先生』シリーズを書いたヒュー・ロフティングや

ルイス・キャロルなどのほうに

向いていた

 

古いことだから

よく覚えてはいないが

会場で人が群れている場所があって

わたしの背丈がまだ小さいのをいいことに

大人たちのあいだにもぐり込んで前に出て行ってみると

どうやら展覧会の主人公らしいオジサンが

求められるままにサインをしているらしかった

丸刈り頭のバッタみたいな顔で

どこかの八百屋のオジサンのようで

あまりかっこよくはなかった

 

あれから

十日ほどして

あのオジサンが切腹をして

首を切り落とさせたと聞かされて

うわあ

やったな、あのオジサン!

と興奮したが

それでも「三島由紀夫」のものを読む興味は湧かなかったし

昭和45年のタラ~っとした時代に

わざわざ切腹するなんて

凄いが

よくわからないな

と思いながら

小学校の教室では友だちと

「三島由紀夫ごっこ」をして数週間は遊んだ

体育で使う紅白のハチマキを巻いて

教壇の上に立って

なにごとか演説するマネをし

そのあと座って

小刀を持っているしぐさをして

えい!

と言って切腹するふりをするのである

友だちと順番に切腹をするのだが

誰のはいちばん真に迫っていたとか

誰のはちゃんと切れていないとか

誰のは迫力がないとか

そんな批評をしあって

その年は暮れていったように思う

 

母は

三島由紀夫は有名な作家だと言ったが

そのわりには

家にあった三島の本は

ハードカバーの『美徳のよろめき』だけだった

切腹という痛いことをやり遂げたあのオジサンは

どんなものを書くのだろうと思い

小学生ながらに

たびたび『美徳のよろめき』を開いては

冒頭のあたりばかりを

くりかえし読んだ

 

いきなり慎しみのない話題からはじめることはどうかと思われるが、倉越夫人はまだ二十八歳でありながら、まことの官能の天賦にめぐまれていた。非常に躾のきびしい、門地の高い家に育って、節子は探究心や理論や洒脱な会話や文学や、そういう官能の代りになるものと一切無縁であったので、ゆくゆくはただ素直にきまじめに、官能の海に漂うように宿命づけられていた、と云ったほうがよい。こういう婦人に愛された男こそ仕合せである。

 節子の実家の藤井家の人たちは、ウィットを持たない上品な一族であった。多忙な家長が留守がちで、女たちが優勢な一家では、笑い声はしじゅうさざめいているけれども、ウィットはますます稀薄になる傾きがある。とりわけ上品な家庭であればそうである。節子は子供のころから、偽善というものに馴らされて、それが悪いものであるとは夢にも思わぬようになっていたが、これは別段彼女の罪ではない。

 しかし、音楽や服装の趣味については、節子はこんな環境のおかげで、まことに洗練されていた。会話には機智が欠けていたが、やさしく乾いた、口の中で回転するようなその会話の、一定のスピード、一定の言葉づかいを聞けば、耳のある人なら、電話だけでも、節子の育ちのよさを察しただろう。それは成上り者がどんなに真似ようとしても真似られぬ、一定の階級の特徴を堅固にあらわしていた。

 

名文のようにも見えるが

ひどい文章であるし

人物造形が杓子定規で

まともな作家によるものとは思えない

手を抜いて書いた婦人雑誌用の小説だからこその

草稿段階の文章というべきだろう

 

というより

広く文学を読んでいる人ならば

これはラディゲを下地にした構成法なのはすぐわかるし

さらに言えば

サド侯爵そのものの文体である

サドもラディゲも好きなわたしからすれば

あのオジサンも好きだったのねえ

と共感が湧くけれども

サドを読み込んでいない日本の読者相手に

こういう子供だましをするのは

悪趣味というか

意地が悪いというか

なんだかフェアじゃないと

やはり

思ってしまう

 

澁澤龍彦なら

即座に見抜いていただろうが

三島さん

ちょっと見え透いてますよ

ぐらいのことは

言ってやったんだろうか?

 

ところで

小学生のわたしは

あまりに何度もこの冒頭を読んだ結果

いきなり慎しみのない話題からはじめることはどうかと思われるが

倉越夫人はまだ二十八歳でありながら、

まことの官能の天賦にめぐまれていた。」

というところは

いつのまにか暗記してしまった

しかし

「官能」という言葉が

感覚的にどうしてもわからず

まあ

なにか凄い才能があったんだろうな

と思って

済ましていた

 

それに

「節子」という名が

なんだかつまらない名前に感じられて

こういうオバサンとは

結婚したりはしたくないな

と思った

 

「倉越夫人」という名も

もちろん

どこか埃っぽいお蔵を想像させて

古めかしい

近寄りたくない嫌な世界だな

と感じていた

 

わたしが受けた

「三島由紀夫」のイメージの最初のものは

このように

埃の払われていない

掃除の行き届いていない

古い納屋やお蔵のようなもので

子どもには

ひたすら疎ましいものだった

 

 




0 件のコメント: