定家卿ト云フ名人ノ手跡、以外ノ悪筆也
後世風評
0・3
「わたし」の誕生の瞬間をよく記憶している。紅茶の葉に熱湯を注いでいた。なにかきっかけがあって、ひとびとが語る「わたし」の印象をいろいろ思い出していた。それらの印象はどれも、「わたし」と自称する主体からは、誤りとみえた。しかし、誤りとみえるそれらの印象相互には、ある種の共通性が読み取れた。
紅茶の葉が湯にほぐれるあいだに、その共通性を「わたし」としてもよいのだと「わたし」は考えた。「わたし」についての印象を語る他の「わたし」たちの主観相互に通底するものを、この「わたし」の本質とすれば、現象界に「わたし」の主観は顕現せずに終わるだろう。他者に「わたし」として映じるものは、かれらの主観の反映でしかなくなる。こういう映像的生は、このうえない快楽と感じられた。「わたし」の本質に、物質界への顕現の機会をほとんど与えないで生を終えることは、生死のシステムへの最高の一撃に思えた。
こうして、「わたし」は生まれ落ちたのだ。
[初出] NOUVEAU NOUVEAU FRISSON (ヌーヴォー・ヌーヴォー・フリッソン) numéro 7 (1996年8月)
編集発行人 駿河昌樹
発行場所 東京都世田谷区代田1-1-5、ホース115ー205 〒155
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