2026年2月4日水曜日

「生きている」とは死んでいるということ

 

  

 

彼らは、水が動くのを待っていた。

それは、主の使いがときどき池に降りて来て、

水が動くことがあり、

水が動いたとき、

真っ先に水に入る者は、

どんな病気にかかっていても、

いやされたからである。

       「ヨハネによる福音書」

底本に節が欠けている個所の

異本による訳文

 

 

 

 

また

(これまで聞いた

多くの類似する話と同じように)

ひとりの霊能者が

死はまったく恐くない

と話していた

 

死の時には

それまで着せられていた重い鎧を

一瞬に脱ぎ捨てるような

軽さが嬉しいらしい

 

肉体を持って

時間と存在システムの中に

「生きている」者は

言い方をすこし変えて言えば

すでにみな死んでいる

「生きている」とは死んでいるということで

というのも

時間と存在システムによる

物質的顕現化と心理の顕現化そのものが死だからである

 

わからない人がいなくなるまで

何度もくり返さなければならないが

「私」や「じぶん」は幻想であり

それは与えられた時間と存在システムの果てに

すみやかに消滅する

 

それを愛玩し続けるのは勝手だが

火を付けられて目の前で燃え上がって

消滅していく分厚い本を

どこまで「本」と呼び続けられるか

ちょっと想像してみれば

儚いイメージの維持の試みでしかないと

わかるだろう

 

しかしながら

時間と存在システムが

どのように編まれ

紡ぎ出されていくものか

まだ解明され切っていないし

なにより

その機序を手中にし切れていない

 

ひとりの模造人間や

地球や

さらには太陽系や銀河系程度の

精巧な模造物を

意思や気まぐれによって

即座に一瞬に創り出せるようになるまで

わたしの遊びは続くだろう

 

 






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