はやく目覚めてしまい
眠れなくなったので
東京湾方面の日の出前の空の
オレンジ色のグラデーションが豪勢に美しいさまを見ながら
いつもよりはやい朝食をとった
海の上を
雲がすこし厚く覆っているようで
地平線間際からの日の出は見えないが
濃い紫色の雲の上のどこかから
今日の太陽はもうすぐ顔を出すだろう
今日一日のヤマ場を
もう生きてしまったといってもよい
美しい静かな光景である
舞台というか
クライマックスというか
じぶんの生活のいちばんのヤマ場
いちばん盛り上がらせるべき場面について
設定を誤ってしまう
ということは
たびたびあった
数週間という期間や
数ヶ月という期間のなかでも
よくそれは起こるし
たった一日という時間経過のなかでも
うっかりすると
誤ったヤマ場設定は
やってしまいがちになる
子どもの頃から
ずいぶんそのように教えられ
慣らされてきたので
たった一日のなかでさえも
さほど重要でないどうでもいい時間や
次に来るものへの準備だけしていればいい時間や
注意力と集中力と機敏を発揮して
十全に生きるべき時間などとの差異をつけるように
いつのまにか成って
現代人は大人というものになっていく
そうして
毎日がやってくるなかで
だれか人に会うことや
なにかしらのイベントのみを大ごとに見なして
それらに向かっていく時間の流れを
あまり重要でないことであるかのように見下してしまうのが
ふつうの社会生活者の流儀のように
なっていってしまう
本を読むのが好きな人や
スマホやタブレットで映画を見るのが好きな人なら
だれでもすぐにわかってくれるだろうが
人に会っての会食や宴や
なにかしらのイベントへの参加や列席などは
読んでいる本の数十ページや
見ている映画の数十分よりも
往々にしてつまらないことがあまりに多い
嗜好や好奇心や欲望の合わさったじぶんという意識体が
正直におもしろさや満足度から判定すれば
その日の本当のヤマ場やクライマックスや真の舞台は
会って数時間を費やした人との会食や宴ではなく
だいぶ前から予定されていてそれなりに準備もしたイベントでもな
じぶんの手のひらで好きなように調整できる
本やスマホやタブレットという
軽い静かなものを通してひそやかに経験できるもののほうにこそ
あったのだということになる
森や林を歩くのがなにより好きな人なら
だれも伴わずにひとりでゆくりなく緑のなかを歩くのこそ
その日のクライマックスであろうし
ただ太陽のひかりに当たっているのが幸せだと思う人なら
町の公園であれ川岸であれビルの廊下の端の窓べりであれ
どこにいても人生のクライマックスを感じるだろう
こうしたことに気づいた人は
さらに進めば
あらゆる瞬間瞬間が人生のヤマ場であり頂点であり
舞台でありクライマックスであることに思い到る
人に会っての会食や宴やなにかのイベントなど
起き抜けに冷たい水をすこし飲む瞬間と
なんら価値的にかわるものではないことに気づく
このように気づいた人は
どの瞬間をも特権化しないので
瞬間から瞬間への精神の移動がスムーズになる
このスムーズさは
エネルギーの無益な漏出を減らす
どんな社会も
個々人にエネルギーの漏出を発生させることによって
じぶんという機械の糧にしようとするが
瞬間から瞬間へ
足音も立てないように滑っていくごとき生き方を身につけた人は
社会にエネルギーを吸われる度合いが
グッと減っていくことになる
雲の帯からついに太陽が顔を出し
今日の日の出となったが
強い陽光ながら
やわらかく心地よいのが
朝の日の出のひかりの特徴だろう
わたしはこの頃
太陽にじかに
正面から感謝礼拝をするようになった
思う言葉も簡単で
やりたい人はだれでもできよう
太陽よ
生かしてくださってありがとうございます
と
二度くり返すのだ
大宇宙よ
生かしてくださってありがとうございます
とも
二度くり返す
ついでといってはなんだが
存在よ時間よ
生かしてくださってありがとうございます
とも二度くり返す
だれでも知っている
だれでも言える
この
あっけないほどありきたりの言葉が
いわば
わたしのついにたどり着いたマントラであり
エネルギーと
意識と
生の感覚と
そして
存在と時間とを
常時与えられていることへの
感謝である
わたしは存在であり
時間であり
太陽から来たものだけでできており
大宇宙としてある
それ以外のことはすべて
代替可能な
その都度その都度の
気まぐれな素材の吹き寄せに過ぎない
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