信号待ちをしていて
わたし以外の人だれもが
首を落して
スマホを見ていた
電車のなかでもみなスマホ
駅の通路を歩いていてもスマホ
舗道を歩いていてもスマホ
役所や病院の待合室でもスマホ
低レベル大学では教室でもスマホ
煙草のためには
喫煙所というものが作られているが
スマホのためには
日本各地の至るところがスマホ所として
認可されているらしい
いまさら
スマホをどうのこうの
言いたいわけでは
ない
もう
どうでもよい
電車のなかや
役所や病院の待合室などはともかく
街なかでは
まわりを見まわせば
そこそこ面白いものや
目新しいものがいっぱいあって
けっこう見飽きないもので
スマホよりも
それらを見たほうが
安全のためにも
娯楽のためにも
社会観察のためにも
いいのに
とは思うものの
そうしないのは個々人の
勝手
といえば
勝手
みんなが
(というと大げさなようだが
ほんと
ほとんどみんなが)
スマホばかり見ているおかげで
こちらは
どこにいっても
けっこう透明人間していられる
これはこれで
悪くないかもしれない
と思ったりする
(だから
いまでは
管理社会へ
監視社会へ
ベンサムが発案し
フーコーが問題視したパノプティコン(Panopticon)へ
国家どころか
地球まるごと変えていく過渡期にあって
街のあちこちに設置された
監視カメラくんたちが
がんばってくれているというわけ
ひょっとしたら
監視カメラくんたちが集めた映像の総合こそが
現代の神の目かもしれない)
しかし
見方をちょっと変えて言えば
社会や集団における人間というのは
わたしのような透明人間志向の者をのぞけば
他人から見られてなんほ
ということもある
だれもがスマホしか見ていない街角では
見られたい願望
認識されたい願望のある
ふつう人間たちは
スマホしか見ない他の人間を無価値なものと見るだろうし
さらには
こちらを見ない
こちらを認識しない
という侮辱を働いていると
深層の意識においては
受けとめているかもしれない
他人が近くにいる場所で
その他人を意識もせず
その他人になんらかの配慮もせずに
スマホばかり見続けている行為は
ひょっとしたら
すさまじい挑発を行っていることになるかもしれない
ひとびとの意識も
深層意識も
どんどん変化し変貌し続けていて
新たに爆薬化していっているところかもしれない
など
など
思いながら
わたしは
目を開いていれば
耳を開けていれば
意識に入り込んでくる光景や風景のすべてを
巨大なスマホ画面に流れる映像として
また
漏れ聞こえてくる音響として
きのうも
きょうも
あしたも
受けとめていく
なにもかも
ただの
映像
ただの
音響
それだけ
ただ
それだけ
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