2025年11月26日水曜日

新たなるアレクサンドレイア的グノーシスの只中に

 

 

 

火は充足の欠乏である。

ヘラクレイトス

 

 

 

 

グスタフ・ルネ・ホッケ(Gustav René Hocke)

『文学におけるマニエリスム』

(Manierismus in der Literatur1959)に

このような箇所がある

 

 

おそらく近代の知的ヨーロッパ人は、技術大衆社会のメールシュトロームのなかに埋没しているのでないかぎり、絶対的なものについての知識、すなわち芸術家や詩人や作曲家の作品のなかの神経症的問題性からの救済をもとめることによって、その精神的環境の一人の新しい、きわめて創造的な代表者となるであろう。

なんという変貌か!

私たちがふたたび一個の新たなるアレクサンドレイア的グノーシスの只中に、絶対的存在との出会いにほかならぬ〈原-真理〉を、とりわけ芸術、文学、音楽のなかに見出そうとするようなグノーシスのなかに、したがって〈教会以前の〉空間のなかにあることは、個人といえども看過しえないであろう。それは私たちにとって希望の微たりうる。*

 

 

芸術、文学、音楽は

作者が完成させたつもりでも

ほとんどの場合

未完成で

断片的で

乱反射的で

いかにそれらを読み込んで

周到な解釈を企もうとも

「絶対的存在との出会いにほかならぬ〈原-真理〉」を

それら作品に見出すことはできない

 

しかし

それならば全く無意味かと言えば

そうではなく

いかなる芸術、文学、音楽も

〈原-真理〉の破片や断片的な塊ではあり

それらから〈原-真理〉に至る道は

探求者の製錬技術やセンスにかかっている

おそらく

言える

 

このように考えて

グスタフ・ルネ・ホッケの思いに

ふたたび寄り添い直すのは

21世紀の今日でも

なお意味のあることだろう

 

「私たちがふたたび

一個の新たなるアレクサンドレイア的グノーシスの只中に」

あるということや

「〈教会以前の〉空間のなかにあること」

という認識は

現代においてこそ

いよいよ重要であり

秘教や

メタレベルから批評的に捉え直す際の宗教表象や言説ばかりか

芸術、文学、音楽も

「絶対的存在との出会いにほかならぬ〈原-真理〉」を製錬するには

やはり

重要なフィールドである

あらためて再認し直しておく必要が

ある

 

 

 

 

*グスタフ・ルネ・ホッケ 『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』Ⅰ、種村季弘訳、現代思潮社、1971p.34.

 

 

 

 

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