火は充足の欠乏である。
ヘラクレイトス
グスタフ・ルネ・ホッケ(Gustav René Hocke)の
『文学におけるマニエリスム』
(Manierismus in der Literatur、1959)に
このような箇所がある
おそらく近代の知的ヨーロッパ人は、
なんという変貌か!
私たちがふたたび一個の新たなるアレクサンドレイア的グノーシス
芸術、文学、音楽は
作者が完成させたつもりでも
ほとんどの場合
未完成で
断片的で
乱反射的で
いかにそれらを読み込んで
周到な解釈を企もうとも
「絶対的存在との出会いにほかならぬ〈原-真理〉」を
それら作品に見出すことはできない
しかし
それならば全く無意味かと言えば
そうではなく
いかなる芸術、文学、音楽も
〈原-真理〉の破片や断片的な塊ではあり
それらから〈原-真理〉に至る道は
探求者の製錬技術やセンスにかかっている
と
おそらく
言える
このように考えて
グスタフ・ルネ・ホッケの思いに
ふたたび寄り添い直すのは
21世紀の今日でも
なお意味のあることだろう
「私たちがふたたび
一個の新たなるアレクサンドレイア的グノーシスの只中に」
あるということや
「〈教会以前の〉空間のなかにあること」
という認識は
現代においてこそ
いよいよ重要であり
秘教や
メタレベルから批評的に捉え直す際の宗教表象や言説ばかりか
芸術、文学、音楽も
「絶対的存在との出会いにほかならぬ〈原-真理〉」
やはり
重要なフィールドである
と
あらためて再認し直しておく必要が
ある
*グスタフ・ルネ・ホッケ 『文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』Ⅰ、種村季弘訳、
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