「夢」と呼ばれるものから
こちら側の「現実」と呼ばれるものへ
すっかり戻ってきて
こちら側で使用するならいになっている心身を
潜水スーツのように
ぴったりと着込み直すことで
わたしの一日は
はじまる
ときどき
うまく潜水スーツが着られなくて
ちょうど
ゆで卵を茹でているとき
中身がすこし
どこかから洩れたまま
白濁して殻のまわりに踊っているようなぐあいに
気分が統一されないまま
こちら側の「現実」を生き始めることも
少なくない
きょうもそのような状態になり
こちら側のフィクション感があまりにつよく感じられて
ゆっくり
ゆっくりと
空気があることや
温度があることや
そのなかで
指を動かしたり
椅子に座って
腰から背の骨や筋の様子を
いちいち確認してみたりしながら
ずいぶん苦労して
こちら側のもののありようのシキタリに
馴染もうとしていった
そうしている間
日頃
使用にすこし戸惑ったり
苦労してもいる
日本語の
「魂」「霊」「心」などの区分けが
自分なりに
整っていくのを感じていた
肉体的な「体」を動かす内面の司令意識を
「心」と呼ぼう
また
「霊」という
非肉体的な体を動かす司令意識を
「魂」と呼ぼう
このような定義が
自然に整っていくのを
感じていた
もちろん
「心」は
「心・意・識」ぐらいにしないと
いろいろな機能を完備させられない
しかし
肉体的な「体」を動かす内面の司令意識について
とっさに語ろうとする際には
「心・意・識」では
すこしもどかしい
あいまいな部分を大いに残してしまうが
「心」に
まとめてしまおう
と思った
「霊」と「魂」は
これらにかかわることを
四六時中考えている日本語使用者には
いつも気になる単語で
人によって
意味あいも異なって使用されている
ルドルフ・シュタイナーの翻訳などでは
「霊」は「魂」より上位のものとして使われており
ふつうの日本語の語感とは
ずいぶん異なっている
いろいろな文献を見るたび
ここのところは
ずいぶん迷わされてきたのだが
きょう
物質界に「目覚めて」きてから
潜水スーツが身になじむまでの
居心地の悪いあいだに
非物質界で活動する際の身体を「霊」と呼び
その先に内部で司令を出す意識を「魂」と呼ぼうと
ようやく仮決着が付いた
どのような言い方をしても
曖昧さの派生や
矛盾は避けられない
そもそもからして
物質的な肉体の確固とした存在は無い
とわたしは見ており
物質界と呼ばれるこの世が
そもそも霊界であると思っているのだが
そう言ってしまうと
心霊や神霊の問題は
わかりやすく整理して語ることが
まったく
できなくなってしまう
ただ
大筋としては
肉体や物質はそのまま霊であり非物質である
という方向で
あらゆるモノも非モノも捉えていきたい
これらを扱う言葉や思念が
非常に重く融通のきかないモノ的性質を堆積させたものなので
苦労は絶えないのだけれど
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