入り口がいっぱいあるがゆえに
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の
『天国への階段』(Stairway to Heaven)の歌詞はおもしろい
まるでドゥルーズとガタリが示した
カフカへの入り込み方のように
入り口がいっぱいあるがゆえに
https://www.youtube.com/
https://www.youtube.com/
https://www.youtube.com/watch?
そして
いかなる詩も詞も
そこに
なにかへの入り口さえあればいい
中に
いっぱい物が詰まった部屋があっては
逆に困る
部屋は
空室
虚室
であるに限る
入り口の先に
虚室を作れるかどうか
ここに
詩や詞は
かかっている
ボーカルの
ロバート・アンソニー・プラント(Robert Anthony Plant)が
作詞したようで
「歌詞に深い意味なんかありはしない」
「あれは成り行きで出来た曲だ」
などと語っているらしいが
作詞者は
つねに入り口だけ作ればいい
「歌詞に深い意味なんかありはしない」
とは
最高の自信であり
うるわしき倨傲でもある
「意味という病」(柄谷行人)に冒されるばかりの現代人に
特効薬を提供している証左でもある
*
粗く喩えてみれば
ラヴェルの『ボレロ』のような
「延々と続く繰り返し」である音楽面についての評価は
ハードロックのコアなファンたちに任せたい
単一の要素を繰り返しつつ
次第に楽器数を増やしてクライマックスに至る変奏曲構成で
特に特筆するほどの新境地を拓いたわけではない
冒頭部で72BPM程度の速度だったものが
曲の終わりでは終わりでは100BPM近くにまで達していて
「だんだん速く」演奏するアッチェレランド(acceleran
これも珍しいものではない
自分でギターも弾かず
ドラムも叩かない者が語るべきことはないが
クラシック狂いの身でちょっと洩らせば
かのヘルベルト・フォン・カラヤンが
レッド・ツェッペリンのこの曲を「完璧」と絶賛していたのは
思い出しておいてもよい
ギター好きが心を奪われる
オープニングコードのあのアルペジオが
アメリカのバンド「スピリット」の1968年の楽曲「Tauru
盗用だと告訴され
連邦地裁と連邦最高裁で
レッド・ツェッペリン側が勝訴したとはいうものの
彼らは「スピリット」とともにツアーをしていたのだから
インスピレーションを得ていたのは確かだろう
ヴィヴァルディのメロディーを
バッハが勝手に貰ってしまうほどの盗みでは
ないだろうが
*
さて
歌詞に耳を澄ます時
なんといっても
注意を惹かれるのは
最後の連にある
When all are one and one is all
すべてが一つになり 一つがすべてである時
もう少しひろく引用すると
How everything still turns to gold
And if you listen very hard
The tune will come to you at last
When all are one and one is all
To be a rock and not to roll
すべてのものがどうやって金になるのか
耳を澄ませてよく聞こうとするなら
その調べがやがてあなたにも届くはず
すべてが一つになり 一つがすべてである時
岩となり 転がり落ちることはない
となる
When all are one and one is all
すべてが一つになり 一つがすべてである時
は
当然のように
聴く者を
一瞬に
3世紀の新プラトン派のプロティノスに導く
すべての存在は
一つであることによって存在なのである
このことは
第一義的な意味の存在についても
何らかの意味において存在のうちに数えらえるものについても
みなそうなのである
なぜなら
いったい何が
一つでなくても
なお存在しうるであろうか
ものが一つのものとして語られる
その一つということを取り去られるならば
そこに語られていたものとしては
存在しえないからである*
これは
『エネアデス』第6論集・第9論文の『善なるもの一なるもの』
ここに垣間見られる思考は
たんに存在論に適用されているだけでなく
ヨーロッパ政治思想の根幹をも支配している
「多」を「一」と見なすとともに
「一」はつねに「多」であるという原理を信仰することでのみ
統治論も人格統一も成立するが
この原理を抽象的に端的に示したのがプロティノスだった
レッド・ツェッペリンは
あからさまにプロティノスを出している
これが
『天国への階段』の
興味深い入り口のひとつである
*
『天国への階段』が言及した
このoneにいったん着目すると
歌のはじめに登場したladyが目にした
壁のsignに関わるコメントも
たちまち気にかかってくる
There's a sign on the wall
but she wants to be sure
'Cause you know sometimes
words have two meanings
In a tree by the brook,
there's a songbird who sings
Sometimes all of our thoughts are misgiven
signが壁に書かれているが
彼女は確かめずにはいられない
だって言葉は ときどき
2つの意味を持つことがあるから
小川のそばの木で 小鳥が一羽 歌を歌ってる
ときどきぼくたちの考えは
なにもかも疑わしいと
signを
看板や標識と訳すべきなのか
「しるし」「きざし」「前兆」などと捉えるべきか
それとも
「記号」「符号」か?
はたまた
「合図」か?
そこに拘泥するより
いまは
words have two meaningsの
twoに注目しておきたい
さらに
この連に出現する
two paths you can go by
二つの道の
このtwo
If there's a bustle in your hedgerow,
don't be alarmed, now
It's just a spring clean for the May queen
Yes, there are two paths you can go by,
but in the long run
There's still time to change the road you're on
あなたの生垣のあたりが騒がしくなっても
心配することはない
そいつは5月の女王を迎えるための
ただの大掃除
そう そこにはあなたが通れる二つの道がある
でも 長い旅になりそうだ
あなたが選んだ道を変える機会は
まだ残されてる
これらのtwoは
プロティノスに直結するoneと
緊密に連携している
*
作詞のほとんどを
ロバート・アンソニー・プラントが行い
ギタリストのジミー・ペイジ(James Patrick Page)は
それほど関わらなかったとしても
ジミー・ペイジはリーダーとして
作詞内容に多少は関与したのかもしれない
『天国への階段』に現われる
プロティノス直結の
oneやtwoへの言及に気づくと
ジミー・ペイジが
黒魔術師アレイスター・クロウリー(Aleister Crowley)の邸宅を買い
別荘としたことや
アルバム『レッド・ツェッペリンⅢ』に
クロウリーの言葉を引用したことも
意味ありげに見えてくる
クロウリーへのそうした接近が
たとえ
「
と言われても
ペイジやレッド・ツェッペリンのメンバーたちの
探究への意志が
oneやクロウリーをsignとして
引き寄せたと感じられる
*
歌を聴く人たちの気には
あまり留められないのかもしれないが
思念のなかに見える煙の輪
というイメージは
わたしには印象ぶかい
In my thoughts I have seen rings of smoke
through the trees
And the voices of those who stand looking
ぼくの思いのなかに煙の輪がいくつか見えたのだ
木々のあいだを通して見えたのだ
立ってそれを見ている人たちの声も聞こえたのだ
レッド・ツェッペリンの
繊細さ
とでも呼ぶべきものが
こういうところに
見え
ここに気づいてしまうと
このグループのメンバーたちに降臨した
詩霊の揺るぎなさを
確信させられる
*
いちばん
この歌が伝えたいものはなにか?
いくつもの入り口が作りあげられたのだから
こんなことは
考える必要もないことなのだろうが
音楽と歌詞の結合体として
すなおに捉えるならば
やはり
いちばんのサビの部分を
受けとっておくべきなのかもしれない
If there's a bustle in your hedgerow,
don't be alarmed, now
It's just a spring clean for the May queen
Yes, there are two paths you can go by,
but in the long run
There's still time to change the road you're on
あなたの生垣のあたりが騒がしくなっても
心配することはない
そいつは5月の女王を迎えるための
ただの大掃除
そう そこにはあなたが通れる二つの道がある
でも 長い旅になりそうだ
あなたが選んだ道を変える機会は
まだ残されてる
Your head is humming and it won't go,
in case you don't know
The piper's calling you to join him
Dear lady, can you hear the wind blow?
And did you know
Your stairway lies on the whispering wind?
声に出さずに頭のなかで歌っていても
仲間にならないかと笛吹きが誘っていることに気づかなければ
意味はない
親愛なるご婦人よ
風の音が聞こえないかい?
あなたの求める天国への階段は
ささやく風のなかにあるのが
わからないの?
ともすれば
神経を苛立たされる
「あなたの生垣のあたり」の「騒がしさ」は
この世では
どの時代にあっても
どこにあっても
次々と起こり
絶えることがないが
これについて
「心配することはない
そいつは5月の女王を迎えるための
ただの大掃除」
と言い放ち
励ますところなど
ハードロックの面目躍如たるところだろう
あれもこれも
「ただの大掃除」なのだ
「It's just a spring clean for the May queen」
なのだ
*
いちばん
この歌が伝えたいものはなにか?
(と
もう一度)
もちろん
それはやはり
最後の部分にこそ
込められている
と見るのも
楽しい
入り口がたくさんある
見事な虚室の
『天国への階段』だから
And as we wind on down the road
Our shadows taller than our soul.
There walks a lady we all know
Who shines white light and wants to show
How everything still turns to gold.
And if you listen very hard
The tune will come to you at last.
When all are one and one is all
To be a rock and not to roll.
And she's buying a stairway to heaven
そしてぼくらが曲がりくねった道を進んでいくと
ぼくらの影はぼくらの魂より高く大きく伸びてしまう
ぼくらみんなが知っているご婦人がそこへ歩みよってくる
彼女は白い光を輝かせ
すべてのものがどうやって金になるのか
見せようとする
耳を澄ませてよく聞こうとするなら
その調べはやがてあなたにも届くだろう
すべてが一つになり 一つがすべてである時
岩となり 転がり落ちることはない
それでも彼女は天国への階段を買おうとしている
*
Our shadows taller than our soul.
これもまた
見事な詩句の獲得だ
自分の魂よりも
高く大きく伸びた影に
人びとは
この世でなんと憧れてしまうことか
自分の魂よりも
高く大きく伸びた影を
人びとは
なんと容易に
自分自身であるかのように
信じ込んでしまうことか
*田中美知太郎訳。「世界の名著15 プロティノス ポルピュリオス プロクルス」(中央公論社、1980)所収。
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