2025年8月29日金曜日

「愛している」

 

 


 

日本語のうちで

もっともインチキな言葉は

「愛」

「愛している」

である

 

「大好きだ」

「大事に思っている」

という表現で

ふつうは

完全に用が足りる

 

「愛している」

と口にする人に

その場合

「大好きだ」

「大事に思っている」

となにが違うの?

と真顔で質問してみればいい

 

わざわざ

「愛している」

と表現する以上

「大好きだ」

「大事に思っている」

にプラスアルファした

より高度な

至高の

至上の

神聖なまでの

認識・思念・感情・畏れなどが

含まれていなければ

ならない

 

難儀することもなく

ここで

落ち着いて

そうした

より高度な

至高の

至上の

神聖なまでの

認識・思念・感情・畏れなどが

「愛している」

には込められている

と説明できないならば

「愛している」

を使用したその人は

チープなポップスで垂れ流されているとおりに

経験にもとづく深い考察も

反省もない

便利な人たらし文句として

「愛している」

と言ってみただけだったのが

わかる

 

      *

 

言うまでもなく

「愛」

「愛している」

翻訳語

にすぎない

 

英語使用者は

盛大に

「愛」

「愛している」

を使うが

あれは慣用にすぎないし

フランス語では

「愛している」

aimer(エメ)というが

この語は

たんなる「好きだ」も意味するので

「私は抹茶のかき氷をaimerする」

とも言えるし

「私はあなたをaimerしている」

とも言える

こちらを「aimer」している

と言ってきたら

ははん

こいつは

わたしのことを

「抹茶のかき氷」と同列に扱っておるな

と思っておくのが正しい

どうせ

フランス人の「愛」など

三ヶ月ほどしか続かないのだから

「抹茶のかき氷」程度に振舞っておくのは

正解なのである

 

日本人は

「愛」

「愛している」

と翻訳したくなる言葉について

欧米人よりも

きまじめに

真剣に受けとろうとした

だいたいは

「大好きだ」

「大事に思っている」

でいいように思えるが

もうちょっと

上質で高雅な隠し味みたいなものが

「愛」

「愛している」

には

含まれているような気がする

いや

含まれていなければならない

と考えたのだろう

そこで

江戸時代まで

ふつうには世間で使われていなかった

仏教用語系の

「愛」を引っぱってきた

悟りを妨げるような執着を表わす「愛執」から

「愛」だけを抜き出してきた

「執」を除けば

いい意味での「愛」が残る

と考えたのか

どうか

いい意味での「執着」が出せる

と思ったのか

どうか

 

      *

 

坪内逍遙だったか

二葉亭四迷だったか

それとも

浪漫派の他の作家たちの

誰かだったか

西洋語の「愛している」を

「死んでもいいわ」

と訳したとかいう話を聞いたことあるが

日本語ではふつう

「愛している」

とは

やっぱり言わないものねえ

と悩んだ末の

苦肉の策であっただろう

 

文脈にもよるが

わたくしなど

「愛しています」

などと

開いた汗腺の目立つ顔で

真っ正面から言ってくる近代女性よりも

「お慕い申しております」

などと

伏し目がちに

60センチほど離れたところから洩らす日本古典的女性のほうが

「愛」

「愛しています」

の真髄をわきまえている

と感じてしまう

 

      *

 

「愛」

「愛しています」

とは

もう別のものを求めない

ということであり

いま対象としているものの唯一無二の限定された個別性に

完全完璧に満足し

そこに死ぬ

他の対象を遮断し面会謝絶する

ということを意味する

 

言いかえれば

「私はあなたを愛しています」

とは

「私はあなたに死んだ。もう他の対象にむかう命はない」

ということであり

「愛」

とは

比喩でなしに

「死」

なのである

 

ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の

「愛の死」が

見事な「愛」の形象化であることは

そこから来るし

大島渚の『愛のコリーダ』も

時代や世間や日本をも捨て尽くしての

純粋な性「愛」への献身をかなり描き得たのも

そこから来る

三島由紀夫の小説『憂国』も

彼自身が監督し演じた映画『憂国』も

露骨に「愛」を「死」として提示してみせた点で

このことについて思考を中途半端にしか進めない一般人むけの

サービス精神に富む作品で

いつもながら優れた寛大な文化教育者としての三島由紀夫の

面目躍如たるものがある

 

 

 


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