たしかに
ガザのパレスチナ人たちが
周到に核武装を遂げてさえいれば
あれほどの
アンフェアな攻撃や殺戮は
なされようもないだろう
ニッポンもはやく
核武装を
という声が
ようやく響くようになった
(ご注意!
かなり皮肉な言い方を
しているのである)
ニッポンのどうしようもなさは
「ニッポンもはやく
核武装を!」
という声の底にさえ
どこまでもニッポンを使い倒すアメリカの
未来へのたくらみが
潜められているところにある
右に行くにもアメリカ
左に行くにもアメリカ
現状に留まろうとするにもアメリカ
そこにさらに
業務提携している中国が
べっとりと絡みついてきている
「核武装を!」にも
「核兵器反対!」にも
アメリカと中国が
べっとり
どろどろと
ニッポンの脊髄となって
ウジ虫している
もちろんアメリカは
イスラエルそのものであるから
皮肉なことに
世界でニッポンだけが
「殺してはならない etc.」の
モーゼの十戒を
律儀に守りましょう
と必死の演技を
続けようとしていたりして
むかし
テレビドラマで
勝海舟を切ろうとして
坂本龍馬らが
海舟の家に赴いた場面を見た
ドラマは1974年の
NHKの大河ドラマ『勝海舟』で
勝海舟を演じていたのは
松方弘樹だった
坂本龍馬は藤岡弘が演じていた
https://www.youtube.com/watch?
勝は龍馬ら暗殺者たちに
「おめえさんら
斬られたほうの身になってみな
そりゃあ
痛えもんなんだぜ」
というようなセリフを言い
拍子抜けさせられるような
やけに率直な痛み談義を浴びせて
龍馬たちを説得してしまった
だれもこんな場面は
見ていなかったはずなのだから
原作者の子母沢寛の作った
でっちあげのフィクションに違いないのだが
勝海舟の気質をよく表わして
印象深かった
刀といえば
すぐに
切る!切る!切る!
とイメージを走らせるが
切られる側がつねにいるわけで
切られれば
とんでもなく痛いに決まっている
時代劇に見られるように
わああああああ!などと叫んで
バタッと倒れて
はい
後は静かになりました
などといくものでは
ない
銃弾で撃たれれば
肉も骨も裂け
砕けて
内臓や脳などはぐじゅぐじゅと
かきまわされる
爆弾の破裂を受けても
身体じゅうにこびり付くナパーム弾を受けても
白リン弾を受けても
毒ガスを吸っても
それぞれの不愉快きわまる損傷を
身体は経験することになる
核兵器が
頭上で炸裂した場合に
どんなことを経験することになるのか
ニッポンでは
諸国民のうちでいちばん伝えられているはずだが
そんなニッポン人のあいだでも
時の流れと人の世は……
ということの
せいか
「ニッポンもはやく
核武装を!」
などと
鳴き出したりするのだ
暑がっているうちに
いつのまにか8月も進み
原爆の落された
6日や
9日が
近づいている
「ニッポンもはやく
核武装を!」
という鳴き声を聞きながら
やけに儀式ぶって
しおしおと恐縮するような祈りはしないながらも
(祈るより
わたしはいつも現場を
ぎょろぎょろ
きょろきょろ
見まわし続けるたちである)
長崎で被爆した歌人竹山広の
しずかな歌を数首
今年は
思い出しておこうと思う
人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら
まぶた閉ざしやりたる兄をかたはらに兄が残しし粥を啜りき
二十六歳の骨うつくしく遺しゆきぬ豊かに固くもの言はぬ骨
なきがらの歯の美しと悲しみしことありしかど誰が歯なりけむ
竹山広は25歳の時に
肺結核のために浦上第一病院に入院していて
爆心から1400メートル離れたところで被爆した
軽症は負ったようだが
被曝後の街にすぐに出て行ったのだろう
彼にはこのように世界が見えた
傷軽きを頼られてこころ慄ふのみ松山燃ゆ山里燃ゆ浦上天主堂燃ゆ
そして
爆心地点にある元安川のこと思われるが
このような光景のなかを
竹山広はさまよい
その後数十年にわたって
心でさまよい続ける
くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川
死屍いくつうち起し見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり
追ひ縋りくる死者生者この川に残しつづけてながきこの世ぞ
毎年行われる
原爆の日の式典に際しては
投下後の現実をつぶさに見た彼は
このような感慨を持つ
おほいなる天幕のなか原爆忌前夜の椅子らしづまりかへる
一分ときめてぬか俯す黙禱の「終り」といへばみな終るなり
一分の黙禱はまこと一分かよしなきことを深くうたがふ
一分と決められて
はじまる黙祷が
「終わり」という声とともに
終わる
というのだが
原爆被害者への黙祷だというのに
わたしはここに
命令を感じ
戦争のあらゆる面に繋がっていく心性を
感じてしまう
式典は
平和のための式典でも
儀式であり
人を強制力で束ね
ある方向へ持って行こうとする
なにかおぞましいものを
呼び寄せないか
大島渚の『儀式』(1971)が
思い出される
https://www.youtube.com/watch?
竹山広の戦後は
原爆経験“後”ということには
ついに
ならなかったらしい
ものを思う時
彼の思念も
ことばも
次の歌のようにしか
紡ぎ出されてはいかなかった
地を擦りて必中の核進むとぞながらへてかかるものに絶句す
原爆の死を傍観し来しものに死はありふれておそろしく来む
病み重る地球の声のきこゆると言はしめてただ神は見たまふ
夏のかなかなも
彼には
このようにしか
聞こえてくることはなかった
二万発の核弾頭を積む星のゆふかがやきの中のかなかな
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