2025年8月13日水曜日

魂定 ゆらゆら


 

 

昔は

寺があった

という

 

寺の境内にあたるらしい土地に

いまは

古いアパートと

小公園が

ある

 

そのアパートの

一室に

わたしは

住むようになっていた

 

夢の話である

 

    *

 

ずいぶん廃れた感じの小公園には

近所の子どもも

もう

遊びにやってこない

 

(そもそも

近所に子どもはいるのだろうか?

見たことがない)

 

買い物や

用事などで出かける時

小公園の

周囲の道を通る

その道をたどって

小公園をまわるようにして

帰宅もする

 

そんな時

当然

小公園を眺める

 

なにをするでもなしに

部屋の窓から

眺めてみたりもする

 

わたしの部屋は

古いアパートの二階にある

 

    *

 

小公園には

かつて

ブランコがあったり

砂場があったり

コンクリート造りの動物像が

点在していたり

した

らしい

 

今は

ところどころに

金属製の太いパイプの柵が残り

色の落ちた動物像が

いくつか

残っている

 

公園というより

公園の廃墟

廃園

とでもいうほうが

正しい

 

    *

 

この小公園の廃墟はさびしく

なにか

人生的と呼べるようなさびしさで

見ているだけで

そばに立っているだけで

こちらの人生の過去の

あらゆる細部にまでさびしさが遡及して

乾かし

汚して

塗り直してくるようだった

 

「廃れた小公園のような人生……」

という表現を

わたしは

ふと

思いつき

すこし気に入った

 

春や夏の日中の

太陽光線が降り注ぐなかでも

この小公園は

さびしい

 

むしろ

晩秋や冬の

暗い時節のほうが

ふさわしさが勝って

さびしさが

しっかりと位置を占めるように

思えた

 

暗く

さびしく

むなしいものは

暗く

寒く

わびしい時節にこそ

ふさわしい舞台を得ることができて

それなりの華を持つ

 

死に近い人よりも

すでに死んでしまった人のほうが

安らぎと

確固たる存在感を

獲得し得るものであるように

 

 

    *

 

アパートの

他の住人たちを

わたしは

まったく知らなかった

 

入り口でも

廊下でも

出会ったことがない

 

    *

 

ところが

ある夕暮れから夜に

小公園の端の

雑木がまばらに生えているあたりで

走ったり

柔軟運動をしている

中高年の女性を見つけた

 

白髪まじりの髪は

長くなく

肩まで届いていない

 

昔の少女の

おかっぱ頭のまま

歳だけ取ったようで

すこし大きめの

メタル枠の眼鏡をしている

 

昔の女優の

左幸子が老いたような

雰囲気がある

 

この時は

遠巻きにこの人を

眺めただけだったが

これ以降

アパートの入り口や

廊下ですれ違うようになった

挨拶をかわし

すこしずつ

軽い話をするようになった

 

不思議なことには

他の住人たちとも出会いはじめ

やはり

すこしずつ

軽い話をするようになった

 

    *

 

住人たちから聞いた話によると

日本の寺には

魂定という

石造りの装飾のあるものと

ないものとが

ある

ということだった

 

長く伸びた茄子のようなかたちで

先端に

茄子の蔕のようなものが

彫られていたり

載せられていたりする

 

この魂定は

土地に憑いた霊を鎮め定めたり

あたりに浮遊する霊を

鎮めたり

定着させたりする

という

 

わたしは

どこの寺でも

これまで

この魂定と呼ばれるものを

見たことがなかった

 

少なくとも

気に留めたことが

なかった

 

石造りの

長く伸びた茄子のようなかたちのもの

など

寺にあっただろうか?

 

「ははあ

見ていたとしても

きっと

透明の魂定を

ごらんになっていたんでしょうな」

 

そうも言われた

 

「透明の魂定は

なかなか

恐いものなんですよ

見てもみえない

見えているのに見えない

しかし

視界に入ったとなると

自分の霊の内側に

キノコのように

生えてきたりする」

 

    *

 

いや

そんなことはない

と思うが…

 

と答えると

 

「いやいや

生えているはずです

その証拠に

あなたはこのアパートに来て

住んでいる

ここは

霊の内側に

魂定がキノコのように生えた者しか

来ない

アパートなのです」

 

    *

 

このアパートの土地に

かつて

あった寺は

魂定が多く置かれているので

有名だったという

 

いまは

どこにも

そんなものは見えない

わたしには

思えるのだが

「見えない」し

「気配もない」という

そのこと自体が

透明な魂定の繁茂している証拠の場合が

ずいぶん多いのだという

 

「ほら

見てごらんなさい

この公園には

魂定が

まるでムーミンのニョロニョロのように

いっぱい生い茂って

ゆらゆらしているはずだ」

 

「見てごらんなさい

見えないでしょ?

でも

ゆらゆら」

 

「見てごらんなさい

見えないでしょ?

でも

ゆらゆら」

 

    *

 

ああ

これが

わたしの今生の果てか?

 

そう思ったが

わたしの思いを聞き取ったかのように

言葉は続いた

 

「果て

でなど

まだ

ないんですよ

 

果て

でなく

ゆらゆら

 

果て

でなく

ゆらゆら」

 

聞きながら

小公園に

魂定らしきものの

なにも見えないということの

その見えなさを

わたしは

見続けていた

 

ゆらゆら

 

ゆらゆら

 

 






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