2026年5月31日日曜日

なので捨てちゃえば?


 

 

若いひとの短歌を見ていたら

 

一日を家でごろごろ過ごしつつ何もしないを幸せと知る

と作ってきた人がいた

 

風情がないとか

格式がないとか

すてきな心持ちを歌おうとしていないとか

そういうところは

まあ

どうでもよろしい

 

儲りもしないのに

いまどき

短歌という器を使って

日本語あそびをしようとしているところを

まずは認めるべきだから

 

だいたい

正岡子規などは

この傾向で短歌のやわらかな成長を加速させたのだし

江戸時代の短歌や狂歌には

すてきにタラッとしたのがわんさとある

短歌に限らないが

ピューリタンの影響かしらん

明治に入ってヘンに気張り過ぎたのが良くないのだ

ニッポンのダラダラ感を

もっと

基底文化として

認め直さにゃならんのよ

 

ところで

この若いひとの短歌では

最後の

「何もしないを幸せと知る」が

あたしとしちゃ

気にかかる

 

「知る」って言うと

自己認識だし

自己分析だし

そういうことができているゾヨ

と表現するのも

それはそれ

やり方次第では面白くなるが

「何もしないを幸せと知る」と言われたのを読むと

他人としては

このひと

自分の知性や自己認識力を鼻にかけてる?

気取ってる?

なんか冷たい感じ?

とも受け取ってしまう

 

論文とか

ちょっと気取ってやろうというブログ文とか

マウントとったろ系コメントとかなら

そういうのもひとつのお飾りとしていいんでしょうが

短歌ってのは

なんせ

「歌」だからね

聞いたり読んだりするひとの感情に

ばんばん

じわじわ

ひっそり

訴えるものでもあるので

自己分析できてま~す!

自己認識ちゃんとできてま~す!

と見せる「~と知る」は

使っちゃうと

かえって逆効果になることも多い

 

なので

捨てちゃえば?

 

放棄しちゃえば?

 

たとえば


一日を家でごろごろ過ごしつつ なにもしないよ な~んにもしない

 

ぐらいに

しといたら?

 

思っちゃう

 

自己認識や

自己分析や

さらに

状況分析や

表象効果評価まで

ひろく

含めた上で

最終表現を導こうとすれば

自己分析できてま~す!

自己認識ちゃんとできてま~す!

と見せてしまう表現は

もちろん

捨てる

判断に行き着くもの

 



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