アテナイでは
政治に関心を持たない者は
市民として意味を持たないものとされる。
ペリクレス
政治への落胆
さらには
絶望を抱いている
という点では
世界の
あらゆる人びとは
意識の底で
精神の奥深くで
繋がりあっているだろう
プラトンも同じだった
彼は
アテナイの民主政の衰退期に生きた
あまりに昔のことだから
古代ギリシャの社会や世相など
今では誰も気にしないが……
BC500年に
アテナイを中心とするギリシャ軍勢と
巨大帝国ペルシャとの戦いがあり
ギリシャ軍勢はペルシャを打ち破った
その後
デロス同盟を基盤として
アテナイは最盛期を迎えるが
ソクラテスはこの時期の
BC470年頃に生まれている
彼は傑出した民主政治家ペリクレスによる
アテナイの黄金時代の空気を吸っている
BC449年にはアクロポリスにパルテノン神殿が建てられ
経済的にも文化的にも栄えるアテナイの象徴となった
アテナイ市民は約10万人に達し
商業や交易が盛んになり
ギリシャ全土から多くの人びとが流入する
悪名高い職業的教育者ソフィストたちもたくさん現われるが
現代で言えばテレビやSNSで活躍する
プレゼン家たちやコメンテーターたちと同じであっただろうし
あるいはビジネス書や「猿でもわかる」入門書を書いたりする人びとと
ほぼ同じであっただろう
「それってあなたの感想ですよね?」と切り捨てる「ひろゆき」などは
アテナイの時代ならソフィストと呼ばれただろう
(ちなみに
ヘーゲルは『哲学史講義』の中で
ギリシャ世界にはじめて啓蒙的な教養をもたらした
として
ソフィストたちの活動を評価しているし
ソクラテスとプラトンに批判的だったニーチェも
ソフィストの価値を認める側にあるだろう)
こんなアテナイ黄金時代も
ギリシャ全土にさまざまな矛盾や問題が出てくることで傾き始める
そもそも貴族政のスパルタと民主政のアテナイとでは
政治イデオロギーがあまりに異なっていたし
アテナイ支配に対する諸都市の不満や反感もあって
ついにBC431年
ギリシャの二大都市国家のアテナイとスパルタが戦うという
有名なペロポネソス戦争が始まることになる
この戦争はBC404年までの約30年間続くことになる
アテナイのペリクレスは強力なスパルタ軍に対抗して
アテナイ全土を要塞化し籠城作戦を行った
この「防御的な行動で敵の疲弊を待ち、現状維持を狙う戦略」は
後にペリクレス戦略と呼ばれるようになる
ところがアテナイ国内でコレラの大流行が発生して
アテナイは苦境に陥ることになる
この疫病で多くの市民が犠牲になったため
ペリクレスは急速に支持を失い
BC429年に彼自身も疫病に罹って死ぬことになった
プラトンが生まれたのはBC427年なので
まさにペロポネソス戦争の最中だったことになる
20歳のBC407年頃にソクラテスと出会って
この生涯の師に傾倒することになるが
プラトンとソクラテスの出会いの時もやはり
ペロポネソス戦争があと数年で終わろうとする頃だったことになる
ペリクレスの後
クレオン、ニキアス、アルキビアデスなどの政治家が現われたが
きわめて悪評高い政治家たちで
まさにソフィストそのものの巧みなレトリックを多用して
民衆の好戦欲を煽ったり
策略や陰謀を次々と繰り出したりして
思いのままに世論をねじ曲げていこうとした
ペロポネソス戦争は結局アテナイの敗北に終わり
親スパルタ派の30人が政権を握ることになる
戦後の日本がGHQとその息のかかった者たちによって
完全な支配下に置かれたのとよく似ている
アテナイの場合は民主派が抑圧され
30人独裁と呼ばれる恐怖政治が行われた
やがてこの政権に対する民主派の反乱が起こり
アテナイに民主政が復活することになったが
民衆の期待に反して新政権も反動的な悪政を行っていく
はじめは政治に関心のあったプラトン青年も
せっかく復活したアテナイの民主政が悪政に流れたのを見て
政治から離れることになったらしいが
さらに決定的だったのは
ソクラテスへの告発がなされたことだったらしい
よりによって
民主派の指導者アニュトスや弁論家リュコンなどが
青年メレトスを後押しして
国の定める神々を認めず異説を唱えて青年に害毒を与える
としてソクラテスを告発し死刑に至らせたのだった
プラトンが後々
政治的に民主政を認めることがなかったのは
この不当なソクラテス裁判によって
生涯にわたる
精神の奥底までの
深刻な衝撃を受けたため
と思われる
ともあれ
政治への落胆
さらには
絶望を抱いている
という点では
世界の
あらゆる人びとは
意識の底で
精神の奥深くで
プラトンと
繋がりあっている
と言える
だろう
0 件のコメント:
コメントを投稿