老いによって
病によって
衰弱していく人たちを
見てきた
いろいろなことを思わされる
通信や機械に頼れるのも
体や頭の健康なうち
とも…
パソコンにも
スマホにも
頼り過ぎるのは危ない
最期の時を
最期でもない時に
考え過ぎるのも非合理だろうが
昨日まで大丈夫に見えていた人に
最期の日々というものは
ふいに
来てしまう
携帯端末の充電さえ
できなくなる
ある日をさかいに
コンセントの
抜き差しをする力が
失せる
コードの
出し入れに
耐えられなくなる
親指で
ちょっと押すという
力さえなくなる
あれを充電しなきゃ
これも充電しなきゃ
そんな思いが
乗り越えがたい
難事に
感じられる
急に来る
こうしたことが
数日前まで
軽快にメールしていた人が
もう
今日は
できない
かなや漢字の変換に
もう
耐えられない
数字や英字への
切り替えも
かな変換への戻しも
重い壁になる
電話だけは
まだできるが
やがて
腕が
上がらなくなる
携帯端末が
握っていられなく
なる
パソコンなど
もっての外
開かれなくなるのは
思いの外
はやい
心や頭は
体の衰弱とともに
魂に
重心を移そうとする
魂のほうへと
内実を
移動させる
そんな時
パソコンも
スマホも
魂には
まだまだ
馴染まないもの
らしい
瞑りがちになる
目に
画面は
意味をなさない
開きがちになる
手のひらに
長方形の
持ちづらい
かたちは
めんどうでしか
ない
音楽の
好きだった
人にさえ
音は
もう
物理的な
刺激の
かたまり
衰弱
とともに
ひとりの人の
核は
物理的なものの
域から
しずかに
去っていって
しまう
文字の羅列や
かたまりも
まさしく
小さな
直線
曲線の
羅列や
かたまりと
なってしまう
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