藤原為頼が
世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな
と詠んでいる
生きていてくれれば、
この世にあり続けていてくれれば、
と思う人たちが
ずいぶん亡くなってしまった
といった意味あいだが
今とかわらない感慨が表わされていることに
かえって
驚かされる
こんな感じかたや
思いかたは
ほとんど変わらないまゝ
時間も歴史も流れ続け
むかしの人が
こういったところでは
同時代人でいる
そういえば
豊臣秀吉の妻の兄の嫡男だったという
木下長嘯子こと木下勝俊は
播磨国龍野城を与えられたり
若狭国の後瀬山城を与えられたりしたが
関ヶ原の戦いの際には豊臣方と徳川方のあいだで
ずいぶんややこしい立場に立たされたらしい
家康の命を受けて留めおかれた伏見城を捨てて京へむかった理由は
今でもいろいろと取り沙汰されているらしいが
歌人で風情を好む彼が
絢爛豪華な大阪城が燃え上がるのを見るのに耐えられなかったため
とするロマンチックな説が楽しいし
歌人で風流人たる彼を朝廷が救済しようとしたという説も
戦国の武将にはなかなかないような話で趣がある
関ヶ原の戦いの後は剃髪して東山に隠棲し
高台寺の隣りの挙白堂に住んで和歌を読み続けた
墓も高台寺にあるというが
なんどか訪れたのに恥ずかしながら私は線香も手向けていない
こういう長嘯子もまた
われらが同時代人というべき人で
思ふどち一日もうとく過ぐさめやいつと定めぬ世のはかなさに
と歌っている
思いあう同士なら
一日であれ遠く過ごしていられようか
いつ逝くともわからない
この世のはかなさなのだから
といった意味あいで
戦国の世をまさに武士として生きた人ならではの感慨だが
彼と比べればはるかに安閑とした時代にある身にも
ただうつせみを以て生きているというだけで
この世というのは乱世なのだから
われらのことを歌ってくれていると思っても
そう違うわけでもないだろう
乱世といえば
以後のことみな乱世にて侍ればと言ひつつつひに愉しき日暮れ
と現代の安永蕗子が歌えるのも
とりあえずは現代のローマ帝国の属国であるのに甘んじた
限定された枠内での平穏に蕩け切った生活を送っているためでもあるが
木下長嘯子のような虚無の心境の突き抜けが
この列島には蓄積されてきたおかげでもあるとは言える
だれもが知っている在原業平は
もちろん
こんな決め手の一首を詠む
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
もっとも
私の数すくない見聞から思うに
終わりに近づいた人たちは
じぶんの終焉というものの時期を
意外と察知しているもののようでもあり
そうだとすれば
在原業平のこの歌は
まだまだじぶんの死を遠いものと心の底では見ている健やかな者が
あくまで詩歌の舞台上で
死を演じてみながら歌っているもの
と言えるかもしれない