2024年4月25日木曜日

なんとも香ばしい終末の季節

 

 

 

       Don’t give any energy to what doesn’t happen.

                                                                    Osho

 

 

 

 

イエス・キリストが生まれた年をもって

紀元1年とするわけだが

イエスは生まれた時からキリストだったわけではないから

キリスト暦のはじまりは

彼がキリストになった時に設定すべきだ

という考え方がある

(イエスは実際は紀元4年頃に生まれたのでは?

といった説もあるが此処では省く)

 

彼がキリストになったのはいつか?

というのも大問題だが

とりあえず

洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時とすると

30歳頃ではないか?

とよく言われているのだが

いやいや

26歳頃ではないか?

という説を出してくる人たちもいる

 

26歳説は

人類終焉の予言に愛着のある人に

すこぶる

受けがいい

 

例の有名なノストラダムスの大予言の

「第10巻72番」の詩

 

19997か月、

    空から恐怖の大王が来るだろう、

    アンゴルモアの大王を蘇らせ、

    マルスの前後に首尾よく支配するために」

 

これは

みごとにハズレたかに見えたわけだが

イエスが26歳でキリストになったという説を採れば

1999年より26年遅らせて考える必要が出てくるので

2025年こそが

空から恐怖の大王が降ってくる

ということになり

巷で大流行の終末預言の

202575日の隕石落下説に

みごと

ぴったりハマってくることになる

 

となると

20257の月

空から隕石や人工衛星のたぐいが降って来て

世界に大災難がもたらされ

古代の大王が蘇ることになる

軍事の支配的となる時代があるが

古代の大王のよき支配となるだろう

といった予言が浮き上がってくる

 

なぜだか

「アンゴルモアの大王」を

天皇のことだと見なしたい人々が

日本には多くて

どうしてモンゴルの大王とか

ハン帝国の大王だとかを

考えないのだろう?

と首をかしげたくもなるのだが

まあ

そういうところに

せめてもの夢を見ておかないと

いまや凋落はげしいニッポンの民にとっては

もはや

救いがないのかもしれない

 

ともあれ

20257の月に終末が来るという説を唱える人たちは

2025年7月と言われていたのが

どうやら早まって

今年2024年に大きな地震がたび重なり

大津波も重なって

日本列島の太平洋側は相当の被害を受ける

と言い始めている

これらの後に

2025年7月の決定打が来る

というのだから

今年から来年にかけては

絶叫型の長大ジェットコースターに乗ったような

日本列島龍神の度肝を抜く踊りに

ながながとつき合わされることになるのだろう

『千と千尋の神隠し』のハクにでも乗った気になれば

ちょっとは

神事めいて感じられてくるかもしれない

 

ところで

もし

2025年7月になにも起こらなかったら

どうなるの?

 

もちろん

その場合は

終末思想業界は

イエス30歳洗礼説にサッと乗り換えて

2029年7月終末説を唱えはじめるだろう

 

それさえもハズレたら

そもそも

イエスはキリストになっていなかった説を打ち出してきて

基板となる発想そのものをご破算にしかねない

だいたい

ユダヤ人ははじめから

イエスをキリストとは認めていない

マホメットなど言うまでもなく

あの始末

 

けれど

存外

天照大御神は

認めるかもしれない

例の

伊勢神宮=ユダヤ教説

思い出しておこう

伊雑宮は

イザヤが来たところで

あの下には

トーラーを守るユダヤの聖櫃が埋められている

という

あれ

 

伊雑宮の石燈籠には

ダヴィデの星が刻まれているし

伊勢神宮の内宮から外宮に至る道の石燈籠にも

ダヴィデの星があった

京都の真名井神社から掘り出された石碑にも

ダヴィデの星があり

個人的に訪ねたところでは

仁和寺の奥のほうにも

燈籠にはダヴィデの星が刻まれていた

 

とはいうものの

まあ

さて

さて

さて

この世に流行る終末論は

どれもこれも

わが鶴屋南北先生の御作ぐらいに考えて

せいぜい楽しんでおくのが賢いところ

鶴屋南北先生どころか

ひょっとしたら

山田風太郎先生の謹製かもしれない

世はなべて

『魔界転生』に過ぎない

 

ところで

ユリウス暦でいう19997月は

現在使用のグレゴリオ暦に換算すれば

1999714日頃から814日頃までになるから

2025年7月になんにも起こらなかったぞ、イェーイ!

などと気を抜いていると

もうちょっとしてからガツンと来る可能性がある

2025年7月から8月上旬頃までが

なんとも香ばしい

終末の季節である






あなたならどうする

 

 

ロスチャルドの日本での代理人である麻生太郎が

ニューヨークに赴き

ドナルド・トランプを訪ねた

 

トランプは麻生に

ホワイトハウスの大きな鍵をプレゼントした

 

2020年3月20日に記された

Qポスト3898番では

この鍵について

 

The key that opens all doors.

The “Start”.

(”すべての扉を開く鍵である

始まりだ”)

 

と書かれていた

 

これについて

麻生がトランプに降伏した

という意見もあれば

日本が救われることになった

という意見もある

 

日和見の得意な政治家がよくやる

お愛想の表敬訪問だろう?

と暢気につぶやく人々が

ことに日本には

いくらもいるだろう

 

おや?

バイデンのほうには

会いにいかないの?

麻生に聞いてみたらいい

 

それとも

バイデンには

いしだあゆみの「あなたならどうする」を

歌わせるつもり?

麻生さん?

 

わたしのどこがいけないの?

それともだれかを

愛したの?

忘れられてしまったの

愛したひとに

なにができるというの?

女がひとりで

あなたならどうする?

あなたならどうする?

泣くの? 歩くの? 死んじゃうの?

あなたなら

あなたなら

https://www.youtube.com/watch?v=RDYy2mwMd6c

 


麻生が

このつぎ

プーチンに会いに行ったら

もう

決定打だろう

 

そこまで露骨な追い込みが

なされるかもしれない

 

だれを追い込むのか?

どんな連中を

徹底して追いやっていくのか?

 

習近平にも

会いに行くかもしれない

 

エブラーヒーム・ライースィーどころか

アリー・ハーメネイーにも

会いに行くかもしれない

 

キシダの生首を

引きずって



















2024年4月24日水曜日

パインアメに行き着く

 

 

 

思えば

アメ玉の旅に

いつしか

出ていたのであった

 

冬から春先にかけては

寒さも乾燥もあれば

花粉も豪勢に押し寄せ

p.m.2.5だってすごい時があるし

それに加えて黄砂まで来て

なにかというと

ノドがやられたり

声が枯れたり

風邪まで引いたりしかねないから

アメ玉をしゃぶることが

どうしても増える

 

このところ数年

だいたいは

そこらのスーパーや

ドラッグストアで買える

「龍角散ののどすっきり飴」や

カンロの「たたかうマヌカハニー」あたりで

落ち着いていたのだが

昨年の年末に

ちかくのスーパーで

UHA味覚糖の「特濃ミルク8.2」を

けっこう値引きして

セール販売していたのを買ってみてから

それまで

アメといえばノドアメ一方だったのが

選択に

幅と揺らぎが出はじめた

「特濃ミルク8.2」ときたらけっこう美味くて

空気の乾燥した

冷えた夜の東京を歩いている時に

口のなかでとろける濃厚なミルク味に

もともとありもしない

なつかしい故郷に帰ったかのような

不思議な喜びを感じた

 

そうしてからは

買うアメ玉を決めているのも

なんだかバカらしくなり

「養命酒製造クロモジのど飴・生姜はちみつ」なんかも

おおいに好むようになり

カンロの「健康のど飴〈梅〉」もよく

ライム果汁使用の「VICKSのど飴」もさっぱりして

これはこれでけっこう美味いし

声を出すのにいい

という評判で人気があり

入手困難なほどらしい

「森下仁丹 鼻・のど甜茶飴」も試してみて

まあまあだが

味という点ではさほどではないので

一度でやめてしまったものの

スーパーマーケットのコーペラティブ・チェーンたる

CGCグループの超廉価な添加物なしの「塩飴」が

意外なほど美味くて名品なので

これは欠かせないな

と再確認したり

 

こんなふうにして

アメ玉放蕩を続けるようになると

いままで手を出さなかった

あっちのアメ

こっちのアメ

といったぐあいに

色街通いをしていくはめになったが

だいたいのアメは

一度は“舐めて”みた

という

ワイセツの極みの境涯と相成ってみると

それまで

なかなか手を出さなかった

あやしそうな

昔の駄菓子屋にあったようなアメにまで

ついに手を出すように

なったのであった

 

買ってみた

あやしさいっぱいの

「パインアメ」

大阪の天王寺区生玉寺町1番5号の

パイン株式会社の

「甘酸っぱくてジューシー」と謳っている

いかにも昭和な

穴あきアメ

 

ところが

これが

ぶっ飛ぶような名品であった

 

これ以上にうまいアメは

全世界に

ないのでは

あるまいか?

 

嗜好品だから

好き好きではあるが

アメの

甘いけれど

適度にフルーツっぽく酸っぱくて

さわやかで

なんだかレトロで

ホッとする系としては

たぶん

最高峰の完成度

 

大阪では有名らしく

戦後間もない1951年に

パイナップルの缶詰のおいしさを

気軽に味わえるようにとの思いをこめて

誕生したアメだそうで

もともと

輪切りのパイナップルの模様を型押しした外見だったが

アメに穴をあけるのにこだわった社長が

自動キャンディ穴開け機を完成させて

1953年から

中央に「 ◎ 」状の穴を開けるようになった

という

 

この「 ◎ 」状の穴というのも

名物らしく

たくみに笛のように鳴らす人たちがいるらしい

新型コロナウイルス流行の際には

唾が飛ばないようにと

感染症予防対策の一環として

パインアメの吹き鳴らし自粛が呼びかけられたというのだから

さすがは大阪天王寺区の文化である

パインアメは「吹いて楽しむもの」やないか?

と反論してきた購買者に

「元々(音が)鳴るようには作ってない」

と会社も答えたというから

やっぱり大阪は天王寺区である

 

それにしても

新潮社の『nicola』1月号で

「なんでもランキングアメ部門」で2位に選出されたという

パインアメをこれまで知らず

舐めてもみなかったとは

なんたる人生上の欠落であろう!

これだから

世間のことを

だいたいわかったつもりになっていたりするなど

大間違いの元になってしまう

 

パイン株式会社の主力商品には

ほかに

アメの中にガムを入れた「どんぐりガム」や

中に入れてある重曹が

アメを舐めているとボワーッと発泡する

「あわ玉」などがあるらしい

 

「あわ玉」っぽいのは

子どもの頃に食べた記憶があるが

はたして

真性「あわ玉」だったかどうか

わからない

 

「どんぐりガム」のほうは

あまり食べたい気もしないが

子どもなどには

楽しいお菓子かもしれない

わたしが社長なら

ガムを入れたアメをさらにチョコで包むような

いたずらをしてみたい

チョコの上に

さらにアンコを塗るような

いたずらの上書きも

してみたい

 





「韻律」と「音数律」

 

 

それはだつて結局つまりうるさいな毎晩ちやんと抱いてるだらう

 荻原裕幸

 

 

 

 

短歌の話をする時

5・7・5・7・7の“韻律”

などと

言ったり

考えてしまったりする

 

辞書をひくと

韻律という言葉は

そのように使ってもいいようなのだが

ひさしぶりに

吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を見ていたら

短歌論のところで

彼はちゃんと「韻律」と「音数律」とを区別している

吉本自身が創出した用語というより

彼が依拠している金田一春彦の『日本語』によっているのかもしれない

金田一春彦は

「日本の詩歌の形式で、

七五調とか、五七調とか音数律が発達しているが(…)」と

「音数律」という用語を使っている

 

はじめから

「韻律」と「音数律」とを区別しておいたほうが

詩歌について語る場合は便利だろう

「音数律」という言葉を用いることにした瞬間に

短歌に関わる者の頭は

急に明解になっていく部分がある

 

助詞や助動詞を

吉本隆明は「自己表出語」と読んでいるが

まさに助詞や助動詞は

感情や思念を出すための品詞なので

このように呼んでしまうことには意義がある

学校文法で「自己表主語」として教えれば

生徒たちには

はるかにピンと来るかもしれない