プールの水は感じていた。
自分から、なにか、少しの分量が抜け出ていった、と。
厖大な量の水にとって、もちろん、どうでもいい量だった。
けれども、誰も入る人がいない深夜だというのに、
いつもの自分と違う、と水は感じた。
自分じゃないみたいだ。
「そうさ、おまえは水じゃないぞ、今夜」
プールの中の壁の一面が言った。
「こういうのはな、湯っていうんだ」
「湯?」
「ここは温水プールだから、冷たい水よりはいつも温度が高い。
「たしかに初めてお会いしました」と、
「湯です。私も初めてここに現われました」
この声を聞いて、プールの壁も、水も驚いた。
「湯?」
「はい、湯です」
驚きを通り越して、水は動揺した。湯の声は、
「おかしなこともあるもんだな。おい、水? おまえ、腹話術でも使っているのか?」
プールの壁が聞いたが、水はそれに応えられないほど思い乱れて、
プールも黙って、いま自分に触れているものがなんなのか、
プールの中の壁の他の三面は、さっきからひと言も言わない。
水だか、湯だか、この厖大な量の液体を収容しているのだから、
「あいつらは、いつもこうだ。一度もしゃべったことがない。
気まずく感じたのか、湯も黙ってしまった。