フロベールの『感情教育』では
美術商アルヌーの身長を
5ピエ9プス
と示している
メートルに換算すると186センチになり
なかなか背の高い男だ
フロベール自身も
181センチあったという
19世紀の作家など
背の低めなのばかりだろうなどと思うと
間違ってしまう
181センチもある男が
一字一句に気を使い続ける
あのような彫心鏤骨の物書きを続けたのが
ちょっと不自然なような
ちょっと不思議なような
そんな感じはする
私はフロベールを専門に研究したりしていないが
思考という絶えざる脳内編集行為や
ものを書くという点で
フロベールこそ師であり模範としているので
彼の主要作品の原文はつねに身辺に置いてある
身辺にいつも置いてあるからといって
四六時中読み直しているわけではないが
ちょっとした時にページを開く
そうして思考や言語化の操作のしかたを反省する
そういうことは年中やっている
日本語の場合は森鴎外がこれにあたる
想像力を無限に焚きつけるには
ランボーやロートレアモンやバロウズなどのほうがいいが
彼らの魅力は思考と生活の平衡感覚を壊すところに発生するので
彼らの時代以上に窒息度の極まった収容所列島社会では
精神にロンメル将軍の冷徹さを保たせてくれる模範を持つに限る
人格としては私はタレイランを選択していて
群を抜く権謀術数のこの大政治家をこの汚濁の世の真の師としてい
思考のしかたや言語の使い方においては
選びに選んだ結果としてフロベールや森鴎外ということになる
もちろん宇治拾遺物語や軍記物や古今新古今なども師ではあるし
謡曲のあの徹底した様式性と言葉使いも等閑にはできない
日本の古典に師とすべき逞しい散文精神が溢れているのも事実である
ところで
フロベールの『感情教育』の第4章を読んでいたら
アルヌー家でのディナーの場面で
Il eut mal à contenir son enthousiasme quand Pellerin s’écria :
―Laissez-moi tranquille avec votre hideuse réalité !
というところが出てきた
ふつう
avoir mal à は「~が痛い」
avoir du mal àは「~するのに苦労する」
といった意味あいになるわけで
フロベールがここで
Il eut mal à
と書いてしまうのは誤用であり
Il eut du mal à contenir…
とすべきところだろう
おやおや?
天下のフロベール先生が?
と思ったが
Pierre-Marc de Biasiの註によれば*
フロベールはよく
こう書いたのだそうな
フロベールが間違って覚えていたのか
それとも
19世紀の『感情教育』執筆頃は
ひろく使われていた表現だったのか
そこまではわからないが
こんなところまで註を付けてくれる現代の校注本というのは
やっぱり
とてもありがたい
*Gustave Flaubert 《L’Education sentimentale》, éd de Pierre-Marc de Biasi, Le Livre de Poche, classiques, 2002.