だいぶ昔に書いた小文を
ふいに
見つけて
読み直してみた
………………………………………
<レット・イット・ビー> 1999.5.16
レット・イット・ビーをひさしぶりに聴いている。日になんども 繰り返して。家で、リピートに設定して、聴き続ける。外で、MD
そんなふうにして同じようにこの曲を聴いていたのは中学生の頃で
六年も続いた病のために、
一生がじぶんの傍らを通り過ぎていく、そう思って、
ぼくだけの「戦後」の曲。
余生のはじまりの曲。
「すべてなすがままに」
毎週毎週の血管注射や採血検査の終わり、日々、
六年も幽閉されて、突然、生きろ、と、
あの頃のぼくの、駈け出しはじめた道の先を、いま、
「戦後」はもう終わったのか?
運命への復讐なんてこと、もう思ってないだろ?
心だって、癒えたのだろ?
……そんな言葉を響かせながら、MDをポケットに入れて歩く。
………………………………………
小学生の半ばから
中学生の2年生までのわたしを襲った病魔は
わたしのなかに徹底した虚無を作り上げ
無責任にふいに去って行った
わたしは結構あかるく
軽快な生き方でわたしの“戦後”を生き始めたが
それでも
人びとが人生とか世界とか世の中とか呼ぶもののすべてを
なんの意味もないものとしか
感じられないようになっていた
つかの間おもしろいものは
いくらでもある
しばらく気を紛らしてくれるものも
いくらでもある
美しいものも
気持ちのいいものも
夢見心地にしてくれるものも
いくらでもある
しかし
それらのどれにもすぐ飽きるわたしには
その後にそれらにわたしを結びつけてくれる価値が
どうしても見出せなかった
つかの間おもしろいものや
しばらく気を紛らしてくれるものや
美しいものや
気持ちのいいものや
夢見心地にしてくれるものに
心身の渾身のエネルギーを注ぐべき価値は見出せなかったし
それらに人生を賭けるとか
魂を注ぐとか
情熱をどうとかこうとか
そんな気にはまったくなれなかった
けっこう長いこと
その後を生きてきたが
正直なところ
内心になんの変化も起こらなかった
人界のすべてについて
たったひとつの価値さえも感じられないで
きている
生きている瞬間瞬間
見えるものすべて
聞こえるものすべて
触れるものすべて
本であろうと
映画であろうと
劇であろうと
音楽であろうと
政治であろうと
どんな学問であろうと
どんな料理であろうと
美酒と勧められる酒であろうと
美男美女と評判の人びとのたぐいであろうと
数年はおろか
数ヶ月
数日
時には数時間
数分も
わたしを惹きつけ続けることはない
見方を変えれば
これは
死
そのものだろうとも思えるが
こうして身体と漠然とした意識だけが生き伸びてきたあいだに
友人と思った人たちの24人ほどはすでに死んでしまったし
そのうちの13人ほどは自殺であった
自殺にさえ惹きつけられないわたしがひとり
生きのびるという別の死に方をし続けてきただけだった
呪われた令和という時代に入ってから
思えば
たったひとつ
少年時代の病魔に助けられたことがあった
六年間の医療界のたらい回しによって
わたしは少年なりに
医療界の実質というものを見抜いてしまっていた
悪いとばかりもいえないが
それでも
結局はひとりひとりの運によるばかりだと
結論を出していた
たとえば医師Aに出会うのと
医師Bに出会うのとでは
病の治りぐあいは確実に変わる
どちらに出会うか
出会えるかは
本当に運命によっているばかりなのだ
病魔から解放されたわたしは
その後にあちこちで出会った健康診断の際の医師たちから
少年時代のかつての病魔の原因について
いろいろな見解を聞かされた
とりわけ大学の健康診断に来る医師たちは
たいてい大学医学部に属する若い医師たちなので
自分が興味を持っている最新の情報にもとづいて
いろいろおもしろい見解を披瀝してくれた
風邪をひくと扁桃腺が腫れるということで
扁桃腺手術して
取ってしまったんだろう?
あれは一時期子どもに手術するのが流行ったんだけれど
扁桃腺を取ってしまうと
そこで止めることができていた菌が
身体に入り込むことになって
同じ性質の細胞を持つ心臓や腎臓に到達してしまうんだよ
扁桃腺手術はするべきではなかったね
こう説明してくれる
その方面の研究をしている医師もいたし
他の理由を推測して説明してくれる医師たちもいた
はやい時期からワクチンの害を研究していた医師などは
「
高度成長期に急激に増やしたワクチンのせいかもしれ
と推測した
「世の中ではワクチンがいいものであるかのように言われているが
いろいろな問題がたくさん出ている
研究には時間がかかるし
ヘンな言い方だが被害もたくさん出ないと研究も進まないので
まだまだ確定的なことは言えないけれど
とにかくきみの場合は
これから先
なるべくワクチンは打たないようにすべきだ
ヘタするときみの場合
命にかかわることになるからね」
呪われた令和ウイルス騒ぎの際
特効予防薬であるかのように喧伝されたワクチンは
すでに現在は
人減らしのために作られた殺人兵器であったのがわかっているが
ふつうの作成年数も無視され
治験も行われず
成分もあかされず
インフォームド・コンセントもなされず
体格の違う個々人への分量差をつける配慮もなされず
まさかの血管注射まで行われたり
それどころか
打てば商品が当たるようなことまでされて
ふつうの知性があれば異常であるのが容易に感じられたのに
あまりに多数の家畜人ヤプーたちが
われ先にわれ先にと打ちに行ってしまったものだったが
わたしは少年時代のわが友たる病魔と
ウイルスへの懐疑を説いてくれた若き大学病院の医師のおかげで
殺人兵器ワクチンについては端から無視することができた
他人や世間の裏の裏の裏を抉り続けるわたしでも
そうした学びが少年時代からくり返されていなければ
あの疑似ワクチンの異常さを確実に感知できたかどうか
さだかではない
ちなみに
あの殺人液体を平気で打った人間たちを
わたしはすべて切り捨ててしまった
コロナ騒ぎもワクチン騒ぎも知的なゲームだったのであり
知能テストであったのであり
見抜けなかった者たちというのは
ユダヤ人たちがタルムードで馬鹿にする家畜のゴイムなのである
遅効性の殺傷力を持つあの殺人液体は
血管中にヒドラのように蔓延る成長し続ける血栓によって
ある時ふいに血流を止めることで急死に至らせたり
細い血管でももちろんどんどん血流を滞らせていくので
四肢に壊死が発生していく
ひとによってこうした緩やかな死の帰結はさまざまだが
長く保っても10年
ある時期から一斉に何度も打った人びとのタイムリミットは
あと2年ではないかと言われているから
2027年までには興味深い光景が世界中で見られることになるだ
塞翁が馬
という古い故事が思い出され
つくづく
運命のおかげで授かった独特のわが知を
ありがたく思う
呪われた令和の7年目である
とはいえ
日本はこれから
大水害や地震や噴火に見舞われて死の舞踏となるはずだから
また別種の知能テストが待っている
と考えておかないといけない
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