2025年6月6日金曜日

はじまりだ

 

 

 

歳をとっていくのには

よいこともあり

人生どう生きるべきか?

などと

もう考えなくなるのも

そのひとつ

 

どう生きたひとも

結局

望んだわけでもない死に方をしていったと

さんざん見てきたし

生きている時に

有名であったひとも

無名であったひとも

死んだあとはひたすら忘れられていくばかりなのも

さんざん見てきたし

 

たとえ死後に有名であり続けても

すでに意識も自己もない本人に

その名声は無関係なのだし

そうした名声を口にする生者たちは

死者を利用しているだけのことなのだし

 

人生どう生きるべきか?

と思わなくなった生は

ほとんど

生きていないのと同じ

ということも

歳を重ねていくとわかってくる

すでに死だろうか?

たぶん

たぶん

 

しかし

死というのは

生きていながらの死さえも

底のない深い器だ

人生どう生きるべきか?

と問わなくなった生は

自我をどう生きるべきか

問わなくなった生で

ようやく生自身に主権を返還しようとしている

ともいえる

 

はじまりだ







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