真に叙情的
といいたいようなものから
時代は遠く離れて
さらに
遠く遠く離れようとして
それでも
もし「自分の感情を述べあらわすこと」が
叙情ということの語義ならば
おしゃべりでも
ひとりごとでも
SNSのなかでも
じつは叙情の垂れ流しが
溢れかえるほどの時代になってしまっていて
ああ
むかしは
叙情
と呼びたいような
あわれに
味わい深い
しんみりした叙情が
あちこちに
そこここに
あった
もし「自分の感情を述べあらわすこと」が
叙情ということの語義ならば
むかしは
ひとびとの感情は
すこし朴訥だったり
乱暴だったり
芸がないようでも
そのまま
詩のようだった
「雨がまた降るようだね」
「まだ梅雨でもないのにね」
「ちょっと涼しいね」
「ええ、ちょっと」
「寒いようなら、ジャケット、かけるよ」
「ええ、ありがと。でも、大丈夫」
「おや、水滴」
「さっきの雨のね、木の葉から」
「暗いね、このあたり」
「ええ。でも、いいわ、気が休まる」
「6月だね、もう」
「皐月闇と呼んで、いいのかしら」
「むかしなら今ごろだろうね」
「夏が盛りに向かっていく頃の闇ね」
「いいものだね、これも」
「いいものね」
湿った
まだ暑くなりすぎない頃の
夏の闇も
闇のなかでの会話も
そのまま
むかしは詩だった
黙ってみるのも
詩だった
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