2025年6月4日水曜日

切断をどこで受け入れるか

 

 

 

詩人たちに自決の権利を許せよ

(sit ius liceatque perire poetis)

ホラティウス 『詩論』

 

 

 

 

絵本作家ののぶみさんは

YouTubeで「絵本作家のぶみチャンネル」を配信していて

たびたび

幼少児の霊言じみた話を取り上げるのが

最大の特徴になっている

 

幼い子たちの生まれる前の記憶であったり

彼らが眠るたびに幽体離脱して

これからこの世に起こることを見せられたりしてきたことを

Instagramなどへのコメント投稿のかたちで

親から書き送ってもらって

それをYouTubeチャンネルで紹介する

というものだ

 

63日の【13歳の子からの新たな預言】

という配信では

ふたりの子の発言が

今月6月から日本に起こる

フレッシュな予言が紹介されていた

(これらは【13歳の子からの新たな預言】の20:30頃から聞ける)

https://www.youtube.com/watch?v=ADohsBUjL4o&t=453s

 

13才の子のまず言うには

夏休みは真っ暗になるというのだが

どういう意味で真っ暗なのかはわからない

はやくも611日には暗闇が起こり

未定とはいえ618日には(20日かも?ともいう)

能登半島に震度6の地震が起こり

大雨も降る

751806にはマグニチュード13.8の大地震が起こり

千葉では震度7となる

3分間揺れ続けるが

2分後に30メートルの大津波が押し寄せる

(期日ははやまって620日や24日になる可能性もある)

翌日の767:28には

マグニチュード9.1の首都直下地震が起き

津波が来て水浸しのところへ

さらに15メートルの津波が来る

 

これだけでも十分な内容だが

まだ終わらない

716日から28日のあいだには富士山が噴火し

これ以前の地震を生きのびた人びとも

マグマに飲まれたり

火山灰に埋まったりする

ただし生きのびるよう運命づけられた人びとは

奇跡的なかたちで必ず生きのびるだろう

 

さらに

923日には

日向灘沖でマグニチュード8の大地震が起こる

 

こういう状態に入るので

米がないとか

食糧が不足しているとか

そういう問題どころではない地獄絵図の日本になるだろう

とその子は言ったらしい

 

のぶみさんの他の日の配信では

他の子の話として

611日か75日になにか大事件が起こることや

627日に大雨となってすべてが流されることや

911日や12日に選別が行われる

などということが紹介されていて

日にちや内容はちょっと違うものの

暗雲垂れ込める大災害へ突入していく日本の夏である点は

共通している

 

幼少児たちの

頑是ない戯れ言であると言えるし

寝ぼけてヘンな夢を見て

ジェットコースターに乗ったようにクラクラする印象のまま

目覚めて

惚けたことを言っているのだろう

と大人たちはふつう

受けとめて済ますわけだが

奇譚や怪異譚や異言を愛するわたくしとしては

まこと楽しく聞いてみている

 

いわゆるスピリチュアル系の世界では

実現していく可能性のある潜在的世界の流れは複数あって

現実界に向きあう意識が弱まったり

眠ったりする際には

それらの可能性の世界のあれこれが見えることがある

と語られたりする

したがって

そうした可能性世界のどれかが見えたとしても

そのままこの地上の現実界に出現するとは限らない

ということになる

 

また

神霊の世界での常識では

神仏のレベルの高次元の霊たちは

予言を見せたり告げたりすることは先ずない

予言を語るのは低レベルな霊たちや邪霊たちであり

彼らには事実ある程度の予知能力があるので

重要でない事柄について本当に当たる予言をすることもあるが

たいして重要でないそうした予言をばらまきながら

人間たちを迷いへと導いていくものでもある

 

幼少児たちが寝ている時に見る映像などは

低レベルな霊たちや邪霊たちが悪戯しに来ている時のもの

という見方もできるだろう

 

もちろん

本当にこの夏に起こっていくことを

子どもたちを通して

ご親切に天使たちが教えてくれているのかもしれないが

巨大地震が連続したり

大津波が来たり

火山が噴火したりして

腐るところまで腐った日本が消滅したところで

いったい何だというのか?

物質やかたちや命などというのは

はじめからただの夢であり

まぼろしであり

なんでもなかったのだし

なんにも本当にはありはしなかったのだ

 

「真に重大な哲学的問題はひとつしかない。自殺ということである」

とアルベール・カミュは『シシューポスの神話』に書いたが

災害や戦乱や飢餓を含めた乱世において重要なのは

奇しくも現在噴火中のエトナ山の火口に

かつて身を投げて死んだといわれるエンペドクレスのような

自決の勇気を

いつどこの時点で発揮すべきか

というだけのことである

 

「私」「ぼく」「わたくし」「おれ」などという

意識や思考や心などと呼ばれる

無限の宇宙のなかでは結局どこにも行き着かない空虚な自動運動を

どこで切断するか

切断をどこで受け入れるか

まことに

数十年以上生きた人間にとっての

人生の問題は

ここにしかない

 

 

 



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